第20話 奪われたストール

 リチャードはもう少しパトリックと詰めておきたい相談事があるとかで、シャルロッテは家に帰ることにした。元々、今日やるつもりだった代筆はとうの昔に終えていたし、このまま兄弟の時間に居座り続けるのも気が引ける。


 当然のようにストールはシャルロッテにプレゼントされる流れになった。


「色々とお知恵をお貸しいただいたお礼です」

「こ、こんな高価なものいただけません!」

 試着というから巻いてみただけだったのに。


「お好みではなかったですか」


 シャルロッテがそう言うと、リチャードは真面目な顔をする。まるでシャルロッテの好みを見極めようとしているかのように。


「えっと、そういうわけではなくて」

「では、どういうことでしょう」


 無言で見つめ合っていたら、もはやソファの上で不機嫌の彫像になっていたパトリックが、呆れ果てたように盛大に溜息を吐いた。


「元々試作品は売らないんだ。うちには腐るほどある。大人しくもらっておいた方がまだ可愛げがあるぞ、シャルロッテ」


 悪かったな、可愛げがなくて。


 シャルロッテはその意を込めてパトリックを睨みつけたが、彼は少しも動じない。


「あの、大事にします」

「ええ、そうしていただけると僕も嬉しいです」


 かろうじてそれだけを口にして、シャルロッテは書斎を後にした。


 見送りはいつものように、エドガーがしてくれる。メイドが恭しく着せてくれるくたびれたキャメルの外套も、来た時と変わりないはずなのに、このストールを着けていればなんだか上等なもののように見える。そして、まるで合わせて選んだのかと思うぐらいしっくりと馴染んでいた。


 おそらくそれは自分の思い違いではないのだろう。シャルロッテに似合うものを、リチャードは真剣に選んでくれたのだ。


 夕方の風は冷える。普段は身を縮めるようにして、この帰り道を進む。


 けれど、今日は違った。少しも寒いと思わなかった。心がぽかぽかとあたたかくて、地面から二センチぐらい浮かび上がっているような気がする。浮かれている自覚はある。けれど、どうすれば落ち着けるのかも分からない。


 シャルロッテはほとんど飛び跳ねるような心地で、家路を歩いた。


 こっそりと家の門を開けて、玄関で留められたピンを外す。置かれた姿見に映る自分に、シャルロッテは上機嫌で微笑みかけた。こんなことしたくなったのは、はじめてだ。


「まあ、お姉様! お帰りなさい」

 迎えるヘンリエッタの甲高い声も、不思議と気にならなかった。珍しく穏やかに「ただいま」と返事をすることができた。


「ねえ、そのストールどうしたの? とっても素敵だわ」


 さすがというべきか、ヘンリエッタは目敏い。この妹の目にも敵うものなのだというのが、シャルロッテは内心密かに誇らしかった。


「ああ、これはね」


 男の人からの――しかもとびきり素敵な人からの贈り物だと告げたら一体彼女はどんな顔をするだろう。そう思った時だった。


「でも、お姉様には少し明るすぎません?」


 ヘンリエッタは、するり、と音もなくシャルロッテの首からストールを取り去ってしまう。そうして、したり顔で己の首に巻き付けた。


 無造作に巻かれたそれは、けれど鮮やかな妹のストロベリーブロンドとよく似合う。


「ね、ほら、本当にすてきだわ」

 割り込むように得意げに、ヘンリエッタは鏡に艶然と微笑んでみせる。


「待って、ヘンリエッタ!」


 さっと伸ばした手は、くるりと身を翻したヘンリエッタには届かない。ひらりと、ペールピンクのストールが踊るだけだ。


「だって、お姉様はこういう色、きらいでしょ?」


 勝ち誇るほうに、ヘンリエッタはつんと顎を上げた。

 自分がこういう色を疎んできたのは事実だ。心のどこかでこういう色を身に纏った妹をばかにしてきた。


「ね、わたくしにとっても似合うわ。これ、くださらない?」


 シャルロッテはもう、何も言えなかった。口を開けば最後、とんでもない暴言か、もしくは絶対に妹には見せたくない涙が零れ落ちてきそうだった。


 きゅっと唇を引き結んで、右手を握りしめる。外したばかりのピンの硬質な感触が、手の中にある。


 ヘンリエッタは、にこりと口角を上げて美しく笑った。

 それがまるで勝ち誇るように見えたのは、自分が僻んでしまっているからなのだろう。


「ありがとう、お姉様」


 そう言って、ストールを見せびらかすように豊かな胸を反らしてみせる。シャルロッテはそれを、ただ見ていることしかできなかった。






 何も、はじめてというわけではない。

 むしろよくあることだ。


 シャルロッテは自室の扉を開けて、それにもたれかかるにしてへたり込んだ。大きく音を立てて扉が閉まる。


 フリルのリボンも、レースの靴下も、シャルロッテがかわいいと思うものは全て、妹の手の中に吸い寄せられるようにして消えていった。


 少し考えを巡らせれば、すぐにでも分かることだ。


 リチャードは商売人で、今からあのストールを売りつけようという人間だ。「似合わない」とは口が裂けても言わない。例えば、相手が石だとしても、流れるようなお世辞を言ってのけるだろう。


 分不相応にはしゃいでいたから罰が当たったのだ。


 大丈夫、こんなこと、なんてことない。わたしは、慣れている。 


 ――よくお似合いですよ……シャルロッテ。


 頭の中でリチャードの声がこだまする。左手でそっと首を撫でる。節くれだった指が僅かに首筋を掠めた感触さえ、まだ残っているような気がするのに、シャルロッテの元にあのストールはない。


 ああ、大事にすると言ったのに。


 次に屋敷を訪れた時、シャルロッテがストールを着けていなかったら、リチャードはきっと傷つくだろう。彼はシャルロッテを咎めることも決してしないはずだ。ただ自分の贈った贈り物が気に食わなかったのだと、静かに落ち込むに違いない。


 いっそ、本当のことを話そうかとも一瞬よぎった。


 わたしにはいじわるな妹がいて、大切なストールをられてしまったんです。


 そう一言口にすれば、やさしい彼はもう一度新しいストールを用意してくれるだろう。むしろやさしく慰めて頭を撫でるぐらいのことをしてくれるかもしれない。


 けれど、それだけは言いたくなかった。

 それは紛れもなくシャルロッテの敗北だった。


 ずっと、誰に言われるでもなく分かっている。

 ちっぽけで、かわいそうで、みじめなわたし。


 だからこそ、リチャードには、彼にだけは知られたくなかった。


「そうよ、あんなもの。元から要らなかったのよ」


 呟いた言葉には、ひとかけらの本心も滲んでいなかった。そうしなければ、自分を保てなかった。


「だからあげたの」


 涙は、流れなかった。


 シャルロッテは、そっと握った手を開く。強く握りしめていたからだろう。手のひらには食い込むようなピンの跡が残っている。


 変わりなく金細工の薔薇の花は美しく、シャルロッテの手の中できらきらと輝いた。

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