拳客怨嗟矜持
お豆腐メンタル
拳客怨嗟矜持
僕の口がまともに動かなくなったのは7歳の誕生日の頃、母が僕を捨てて逃げた時だった。
血管が浮き出るほどの、今までで一番の力が込められた隻腕の父の拳が僕の顎を打ち抜き、顎が砕かれ歯がほとんど抜け落ちた。父はまるで猿が威嚇するような声で叫び散らす。あいつらが五体満足で勇者でいられたのは俺のおかげ。どいつもこいつも俺をバカにしやがって。父にとってきっと僕は、自分を顧みないすべての者の代わりだった。
その日以来、口さがない輩はまともに歯が噛み合わず顎がずれたままの僕のことをゴブリンや"スナッグ"だと言い出した。
幼馴染たち。と言っても、住んでいるのは僕の住むダウンタウンの外れから貴族たちの住まう一帯。父のかつての友人の子供たちが、親の話を聞いて僕に会いに来たのが始まりだった。
出会って遊び始めたばかりの頃は僕も楽しかった。触ったこともない玩具。聞いたこともないような話。それを与えてくれた彼らのことが大好きだった。
だが、それは徐々に終わっていった。彼らも成長して気づいたのだろう。あるいは、親が関わらせたくないと言い含めたのだろう。僕の家の惨状を。救国の英雄の一族と、ただの飲んだくれ男の息子では関わるには地位も何もかもが違いすぎることを。そうして、7歳の誕生日の翌日。顎を砕かれた僕を見て、彼らは二度と僕に近づくことはなかった。アイツらは、僕を見捨てたんだ。
そうして12歳の冬の日のこと。父が死んだ。死因は寝ている間に吐瀉物を喉に詰まらせたことによる窒息だった。
父が死んでから僕は、住んでいた家を追い出された。家はやくざな金貸しに抵当に入れられたらしい。父の死を嘲笑う暇も、悼む余裕も無く、僕は社会に放り出された。
表社会から崩れ落ちて、転がり落ちて。僕がたどり着いたのはスラムの一角。違法な賭博場の中にある拳闘の闘士だった。
スナッグ!スナッグ!スナッグ!スナッグ!
客は、僕が戦えば大喜びだった。情け容赦なく相手の体を破壊する戦い方。父が僕を殴るやり方を真似て戦えば僕は勝てた。例え負けても、相手に多少"おいた"をされる程度で済む。それすらも人気の理由か、反吐が出る。
誰かと戦うたびに僕の拳は堅く、素早く、そして肉を抉り破壊できるようになっていった。年を重ねるたびに僕は僕の顔に父の面影を見出すようになった。何度も何度も鏡を叩き割った。だがそれでも、僕から父の面影が消えることはなく。僕の振るう拳は父のそれになっていった。
そして、僕が18歳の成人を迎えたころ。戦争が起きた。
数十年前に突如決起した進化した魔物である魔族が王を──魔王と呼ばれる強大な魔族らしい──立て、多くの国々へ侵略を行った。それが再び、起きたのだ。
戦場へ送り出される兵士たちへのパレードの先頭に、幼馴染たちはいた。勇者と仲間の子。二代目の勇者と仲間たち。人々は騒ぎ立て褒め立て、幼馴染たちを死地へと送り出した。その光景を見て、僕は爪が掌に刺さるほどに拳を固めていた。
それから数か月、僕も戦場へ駆り出された。
他の兵士が槍や弓矢に剣、魔法を振るう中、僕は拳だけで戦い続けた。最も信頼できたのが、両の拳だったから。多くの魔族を、使役された魔物を殴り殺した。そうして生き残り続け、いつの間にか一番槍を任せられるようになった。敵陣に突っ込み、布陣を搔き乱す一人として。
戦い続ければ戦友というやつもできる。
その中の一人、前の戦いの頃から兵士をしていた爺さんから、ある話を聞いた。先代の勇者たち。元は農村部から飛び出してきた義勇兵たち。その中にいた父の話を。
長引く戦争、戦火に焼かれ飢えていく農村部。それを変えるために若者たちは戦場へと飛び出した。その中にいたのが父と幼馴染たちだけで作られた少数精鋭の部隊だった。そして、戦場を駆け抜け魔王へ戦いを仕掛け討ち取ることに成功したと。
だが、父は勇者の仲間として認められなかった。元から悪漢染みた見た目と粗暴な態度。それに魔王との戦いで片腕を捥ぎ取られたと、隻腕で王のところへやって来たものだ。王族や貴族連中が見目が悪いと排除するのもやむなしだった。
その話を聞かされてから僕は、父のことをずっと考えていた。
戦争はついに終わりへと近づく。
平野でぶつかり合う両軍。そして、幼馴染たちは魔王との戦いを始めた。だが、遠目から見てもわかるほど、戦いは終始魔王が優勢だった。少し考えればわかる話だった。以前負けた相手と同じような相手と戦うならば。対策を立てるのはどの世界、どんな勝負でも当たり前だった。
戦場で戦いながら、幼馴染たちを見る。どいつこいつも傷だらけに血まみれで、いつ死んでもおかしくない。そして気づく。今、自分は戦場を駆け回ったことで魔王の背後の位置にいると。今なら、背後から奇襲を仕掛けられると。そう思った瞬間、僕の足は動き出していた。
ああ、畜生。飛び出して気づいたんだ。父もきっと、同じように隙を作るために特攻を仕掛けたんだと。だから、片腕しか残されていなかった。何故そうしたか。きっと、一緒に旅して戦った幼馴染たちのことが大好きだったから。どうして理解できたか。僕も、同じだから。幼馴染たちのことが、今でも大切だから。一年にも満たない付き合いだったのに。
背後から駆け寄る僕に、魔王はようやく気付く。
見開かれた目。そして僅かに開かれた口。僕は、奴の顎に全力の拳を放つ。顎の骨を砕く心地良い感覚。一秒、魔王の動きが止まった。二秒、魔王の振るった腕が僕の上半身と下半身を粉砕して泣き別れにした。
幼馴染たちの僕の名を呼ぶ声。なんだアイツら。僕のことなんか覚えていたのか。
「ヤ゛れ゛!」
僕の口から割れ鐘のような怒声が響いた。あいつらはすでに走り出していた。
僕は地面に落ちて、空を見る。そして理解した。僕がこうやって命を懸けた訳を。幼馴染たちを助けるためだけじゃなかったってことを。
僕はきっと、勝ちたかったんだよ。父が、アンタが負けちまった全てに。アンタから教わった、僕が知る限り世界で一番強い拳で。アンタはすごいやつなんだって、世界で一番強い拳の持ち主なんだって、知らしめたかったんだよ。
「あア゛…チグしョう゛…ガヂたガったナ…」
魔王の足が、僕の頭を粉砕した。
(了)
拳客怨嗟矜持 お豆腐メンタル @otouhumentaru
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