絵の具が乾くころに(1)

体育館裏の木陰で、段ボールを解体していたら、名前を呼ばれた。


「悠真、カッター逆だよ」


振り返ると、絵の具のついた指先で口元をぬぐいながら、葵が立っていた。

わかってるよ、と言おうとして、ほんとに逆さまだったから何も言えなかった。


「ありがとう」とだけ返して、手元を直す。

葵はそのまま俺の隣にしゃがんだ。汗のにおいに混じって、少しだけ甘い香りがした。


「ダンボール、やるの?」


「今やってるけど」


「じゃあ、私もやる」


言うなり、彼女は何のためらいもなく、俺の段ボールを取り上げた。しかも俺よりきれいに、速く、正確に折りたたんでいく。


(やばい、普通に上手い)


「前世、回収業者だった?」


「失礼。私はただの美術部です」


「なるほど、それなら納得」


軽口を交わしながら、作業が進んでいく。

周りの喧騒も、蝉の声も、なぜか遠く感じた。


「悠真、真面目だよね。文化祭、そんな頑張らなくてもいいのに」


「そう? 別に普通じゃない?」


「私、昨日は昼寝してた」


「知ってる。シーツにくるまって寝てたでしょ。幽霊かと思った」


「それ、みんなに言ったら許さない」


そう言いながらも、口元が緩んでいる。

おかしいやつだと思ってたけど、こうして話すと案外、気が合う気がする。


「……悠真さ」


「ん?」


「絵の具、ついてるよ。ほら」


そう言って、彼女が俺の頬をぬぐう。

その手が妙にあったかくて、動けなかった。


「ついでに、鼻にも」


「ついでの範囲が広いな」


「だって、目立ってたから」


からかってるのか、本気なのか。

でも、嫌じゃなかった。


作業がひと段落して、立ち上がる。葵も立ち上がって、俺を見上げた。


「明日はペンキ塗りだって」


「手、真っ青になるやつだ」


「うん。でも、悠真の手なら似合いそう」


「どういう意味?」


「内緒」


そう言って、彼女は先に歩き出した。

陽射しの下で、絵の具のついた髪が光ってた。


俺はその背中を、少しだけ長く見ていた。

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