さよならジュース(1)
教室がすっかり空っぽになった頃、俺は自販機の前に立っていた。
財布の中に、100円玉がひとつ。それだけ。
ここ最近、妙に暑い。
水道水じゃなくて、ちゃんと冷えたジュースを飲みたかった。
指先に触れた金属の丸い感触を確かめながら、ボタンを見つめる。
ラムネにするか、カルピスにするか。
「どっちが似合うと思う?」
振り返らなくても、誰の声かはわかった。
選択肢が増えたわけでもないのに、頭の中がややこしくなる。
「お前が言うと、カルピスが小馬鹿に聞こえるな」
「ひどくない? 純白の清楚ドリンクに失礼だよ」
日高は制服の裾を軽く摘んで、自販機の前に並んだ。
俺より少し背が低いその視線が、ボタンの並びをじっと追ってる。
「あと100円あれば、二人で飲めるのにね」
なんでもないようなその言葉が、やけにひっかかる。
ジュースなんかに、俺たちの関係性の境界線があるわけでもないのに。
「飲みたいなら、自分で買えよ」
「お金ないもん」
「ある時に言え」
「圭こそ、ある時に奢ってよ」
「その時はお前、いないだろ」
言ってから、少しだけ後悔した。
来週には放送部の大会で、日高はしばらく来ない。
「…へえ。じゃあ、いない間に誰かとカルピス分け合うんだ」
「お前以外で飲むくらいなら、断水してる方がマシだ」
言い切った自分の口調が、少し文学的すぎたかもしれない。
なのに、日高は笑った。少し、嬉しそうに。
「そっか。じゃあ、あたしの分、冷凍庫にとっといてね」
そう言って、日高はふわりと指先で俺の100円を奪った。
気づいた時には、彼女はラムネを選んでいて。
「圭はこっち。あたしが一口もらうだけ」
蓋を開けて、差し出してくる青い瓶。
「勝手に決めるなよ」
「だって、『断水』しちゃうんでしょ?」
ジュースよりも冷たくて、言葉よりも甘ったるい。
その一口の中に、夏が始まりそうな音がした。
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