第3話 落ちエルフと花と風
落ちる。ぐんぐん落ちている。
だが、下から立ち上る濃い魔素がクッションになっているせいで、気を失いそうな速度にはならなかった。
なんなら絶叫系コースターよりも緩いくらいだ。
——こんな圧を感じるほどの魔素……。世界樹が枯れるほどの異常が起こっているのですね。
下界を見渡せば、世界樹の幹の周りは濃い森になっていた。
とにかく広い。数本、抜きん出て背の高い木も見える。
そしてその遥か外側には町が見えていた。
落ちておくにしたがって、もっちりとした濃密な魔素の抵抗が強くなっていく。そのうちさらに落ちる速度は落ちた。
空気と変わらないもののはずなのにこんな風になるなど、天変地異の異常だ。
まわりに圧がかかるから、魔力に力を込めた。
これではたしかに魔力の少ない人間やハーフエルフでは中に入ることもできないかもしれない。弾かれてしまうだろう。
イズナの魔力は多い。エルフの中でも多い方だ。それでも強い反発力を感じるほどの異常な魔素が、世界樹の根本付近には満ちていた。
ゆっくりと沈むように落ちていく。
真下の森には一ヶ所だけぽっかりと拓けた場所があった。その中には、小さな建物がいくつか見えている。
「あ、ログハウス。素敵です」
建物の中でも一番大きいのが、丸太で組んだその建物だった。
二階建てでペンションのような趣きだ。
ゆっくり下りていく途中で、建物から誰かが出てくるのが見える。
よろよろとやっと這い出てきたといった風だ。
「……え、あれって、大丈夫……」
手を地面についたまま、見上げた顔と目が合った。
まだ離れているけど、間違いなく目が合った——と思ったら、そのままその者は倒れてしまった。
「うわぁ、待ってください! 早く、下りないと!」
もう無理というくらいに魔力を込めて、手足をバタバタ動かしながら、魔素を蹴散らして下りていく。
その者のそばに降り立って、駆け寄った。
「大丈夫ですか?!」
「……もう、だめかと思ったわ……魔素が重くて歩けなくなってしまって……」
顔を上げたのは綺麗なエルフだった。美形が多いエルフの中でも目を惹くだろう。
顔色は悪いが、金色の瞳がきらめく顔はそれでも十分に美しい。彫の深い顔がかすかに笑むと、大輪の花がほころぶようだ。
そして長い髪は、日に照らされる麦穂のような黄金色から先に向かって茶色のグラデーションがかかっていた。
イズナには分厚い自分の魔力があるから、押し潰されることも動けなくなることもないけれど、魔力が少なくなったらこの濃い魔素には負けてしまうかもしれない。
「ありがとう。あなたが魔素をかき混ぜてくれたから、ずいぶん楽になってきたのよ。あなた、魔力がすごいのね」
「お役に立てたならよかったです」
「私は世界樹の管理者で、フレイアって呼ばれているわ。落ちエルフのあなたは?」
「落ちエルフ……。あ、わたしはイズナです。世界樹の管理者になるよう言われたのですが」
「ええ? でも、管理者の証はない……わよね?」
フレイアは左手の甲を見せた。
手首から甲にかけて刺青のように紋章が描かれている。
「これが管理者の証なんだけど」
そんなものはもちろんない。
イズナは何もない自分の手首とフレイアの手首を交互に見た。
「——ないですね」
「でも管理者になれって言われたのよね?」
「はい」
「そう……。任命される時にこの紋章を受け取るはずなんだけど。まぁでも、考えたところで浮かび上がらないわね。正式な管理者がどうなるのか決まるまで、手伝ってもらえる?」
「もちろん構いません」
「とりあえず、温室のハーブを採ってきてもらってもいい? ここ数日、動けなくて何も食べてなくてフラフラなのよ」
「わかりました。適当に採ってきますので、ちょっと待っててください」
イズナは急いで近くのガラス張りの温室へ飛び込んだ。
クローネにはガラスなどなかったから、前世ぶりの技術に触れる。
暖かい室内にはハーブや野菜が盛大に茂っていた。
エルフは食べ物はそんなに摂らなくても大丈夫だけど、魔素を魔力にしやすいハーブや魔力器官を整える野菜など、植物の摂取は必須だ。
月光夜草を多めに摘み、奥に見えていた果樹からリンカの実ももいで持っていく。
ビワに似たリンカも体の調子を整える果実で、エルフは好んで食べる。
栄養素とかはわからなくても、自然と体にいいものを欲するらしい。
クローネの森にも生えていたハーブであれば、イズナでも見ればわかるし選ぶことができた。
ログハウスの前で横になっているフレイアに、葉の柔らかい部分をそのまま食べさせる。
「ゆっくりなめながら食べてください。残りはハーブティーにしましょうか」
「ありがとう。月光夜草、助かるわ……」
食べてもらっている間に、イズナは今残っているほとんどの魔力を練り上げて手元に放出した。
それを固くして掴んだら、輪投げのロープのようにぐるぐると回して、上に放った。
イズナの魔力は濃い魔素を巻き込んで、竜巻のように回転しながらどーんと上空へ打ち上がった。
強い風が空に向かって吹き上げられる。
薄らモヤがかかっていた空の青が、一瞬、鮮明になった。
「あら……あなた、本当に魔力が多いのね……」
感心したようなあきれたような声が、澄んだ森に落ちた。
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