:第3章 「私の/ボクの、音楽」

・3-1 第21話:「近づく別れ」

 シンガロイド・美詩 舞奈:九号機。

 その美しい歌声が戻った、ということは。


 奏汰と、くーのお別れの時が近づいているということを意味している。


 そもそも。

 彼女が鬼嶌家の居候となったのは、声帯パーツが故障してしまったからだった。

 それはシンガロイドとしての存在価値を失ったのと同義であり、そんな自分はもはや、サイバーライブにいることはできない。

 廃棄処分にされてしまうかもしれない。

 そう思ったから逃げ出して、行き場所を失ってしまっていた。


 だが。

 その、声を取り戻すことができた。


 忠重が専門家の指導を受けながら修復した声帯パーツは、問題なく機能している。

 故障は転倒した際に受けた衝撃の影響で配線が痛んだだけで、声帯そのものに目立った損傷はなく、回路をつなぎ直すだけで良かった。

 さすがに身体の表面にできた裂傷までも覆い隠す人工皮膚は手元になかったためにそこの傷口は残ったままで、保護テープと隠蔽いんぺいのためのマフラーは必須だったが、彼女はまた歌えるようになった。


 くーはもう、廃棄処分を怖がる必要がない。

 奏汰の家で居候をしなくても、いつでも元いた場所に帰れる。


 喜ばなければならないはずだ。

 もちろん少年の心には嬉しいという気持ちがあったが、しかし、それ以上に、残念だという感情が強かった。


 勇気を持てず、現状を変えるための一歩を踏み出せずに、ぐずぐずとありふれた日常をくり返していた自分。

 そんな時にあらわれた他とは違う[特別]は、もうすぐいなくなってしまうかもしれない。


 それはまた、奏汰にとっての日々が退屈なものになるという以上に。

 彼が、自身を変えられるかもしれない大きなきっかけを逃して、チャンスを無駄にしてしまうということも意味している。


 結局、何も変わらないまま。

 変えられないままで、終わるのだろうか……。


 自作の歌詞をサイバーライブの募集に応募する、という、たったのワンクリック。

 それができないまま、くーとの別れが近いのを察した奏汰は、憂鬱ゆううつな気持ちでその日、学校から自宅への帰路を進んで行った。


 見慣れた商店街のアーケードをとぼとぼ進むと、鬼嶌青果店が見えて来る。

 その店頭には。

 まだ、シンガロイドの姿があった。


「美味しいおネギ♪

 美味しいおネギ♪

 お買い得~♪

 お買い得~♪

 栄養満点♪

 ビ・タ・ミ・ン♪ 」


 そこでは、スーパーマーケットなどでお客の呼び込みによく使われている呼び込み君の「ポポーポポポポ♪ 」のメロディーをもじったものに乗せて、くーが楽しそうに歌っている。


(……これで、よかったんだよね)


 その様子を目の当たりにした奏汰は、彼女の声が戻ったのをようやく、素直に喜べていた。


 シンガロイド・くーは、人工知能(AI)によって人間と同様の人格を持ち、喜怒哀楽を表現する。

 人によっては[機械マシンが人類を模倣コピーしているだけ]と突き放したように言うかもしれなかったが、奏汰には本当に、自分と同じ年代の少女にしか見えなかった。


 だから。

 くーが、どれだけ喜んで、幸せな気持ちになっているのかが共感出来て。

 これから訪れるお別れを[寂しい][辛い]という気持ちを、ようやく克服こくふくできたような心地がした。


「あっ!

 奏汰さん! 」


 少年の帰宅に気づくと、シンガロイドはぱーっと表情を明るくして笑顔を見せ、ぴょん、と身軽にお立ち台から降りると嬉しそうに駆けよって来る。


「学校、終わったんですね?

 お帰りなさい! 」

「うん、ただいま、くー。

 声、調子がいいみたいだね? 」

「はい♪

 なんだか、壊れていたのがウソみたいで。

 お店の常連のおばさまたちも「かわいい」って、褒めて下さったんですよ! 」


 得意そうに話すくー。

 そんな彼女の様子に、少年も思わず微笑んでしまう。


 よく、くしゃみは人に移る、なんて言うが、これもその一種なのかもしれない。

 幸福な気持ちも伝染するらしい。


「……それなら。

 くーは、いつでもサイバーライブに帰れるんだね」


 もう受け入れてはいるが、お別れの時がいつなのかが分かれば、それまでいろいろできる。

 例えば。

 わずかな時間でも一緒に過ごせた、その思い出を長く記憶してもらえるように何かプレゼントを用意したり、鬼嶌家でささやかでも送別会を開いたり。


 結局、自分はそれほど役には立てなかった。

 あまり自己肯定感を持てずにいる奏汰はせめてそういったことをしてあげたいと思い、聞いてみたのだが。


「……ええっと。

 どうしようかな、って」


 くーは、曖昧な態度を見せる。

 何かで迷っている様子だ。


「え?

 でも、声はもう、元通りになったんでしょう? 」

「そうなんですけれど。

 でも、まだ、私に何が足りていなかったのか、分かっていませんし。

 それが分からない内に戻っても、結局、私は美詩 舞奈にはなれないと思うんです」


 サラスヴァティーの音楽の「秘密」。

 それを解き明かすまでは、帰りたくない。


「そっか。

 そうなんだ」


 うなずく間に、奏汰の内心では様々な感情と思考が駆け巡った。


 まず、嬉しいという気持ち。

 憧れだったシンガロイドが、まだまだ、近くに居てくれる。

 次に。

 最後のチャンスかもしれないという、予感。


 くーに手を差し出した日、決めたのだ。

 彼女を助けるためにできるだけのことをしようと。


 だが、少年ができたことは限られていた。

 そのことで自分はやはり、まだ幼い子供、半人前なのだと思い知らされた気分だったのだが。


 そんな有様を変える機会が、まだ、残っている。


「分かった。

 それなら、くーがシンガロイドになって、ガンガン、活躍できるように!

 ボクも、頑張るよ」


 シンガロイドが知りたがっている秘密を解き明かす、その手伝いをすること。

 それが、もっとも喜ばれ、心に残る[プレゼント]になるのに違いない。


 そう考えた奏汰があらためて約束すると、くーは心底から嬉しそうに、頼もしそうに笑みを見せていた。


「はい!

 だから、もうしばらくの間、お世話になります、奏汰さん! 」

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