第25話 青い心
「ねぇ
多分、これは彼女の口癖だ。いつもみーちゃんはそう言って、わたしに話しかけてくる。そしてこの「ねぇ葵」という言葉を聞くだけで、わたしの胸は期待で弾むようになってしまった。まるで犬みたいだ。
わたし、
物語だけじゃなくて現実もそうだ。わたしは消極的な性格もあって、小学生から中学生の間、特に友達と言えるような友達は出来なかった。小学生の時は「なんかこの子つまんなそう」という理由で。そして中学生の時は「オタク」という枠組みにカテゴライズされてしまい、クラスで浮いていた。
でもそれは良い。気に入らなかったのは、そんなわたしを「可哀そう」という目で見る人たちだった。中学生の時にも、一人でゲームばっかりやっている可哀そうなわたしに、声をかけて“あげる”ような人が何人か存在した。
しかしわたしは本当にゲームや漫画やアニメ、ラノベなどを見ているだけで、楽しい毎日を送れていたので、余計なお世話だと思った。それにこれは勘だけど、近い将来、わたしの大好きな「ゲーム」を職業にする人が、どんどん増えていく気がする。ゲームの上手さが社会的なステータスみたいになって、もう誰も「オタクの逃避先」なんて言えなくなる時代がくるかもしれない。
だからわたしは最初、みーちゃんこと
みーちゃんは派手でキラキラしていて、気付けばみんなの中心にいるような、いわゆる“ギャル”と呼ばれる人種だ。そしてギャルはオタクの敵だ。
そんなみーちゃんが、偶然彼女を保健室に連れて行ったあの日を境に、しきりにわたしに話しかけてくるようになった。クラスの中心的な可愛い女の子が、オタクの俺に話しかけてくる! みたいなラノベは、何度も読んだことがある。でもわたしはちゃんと、現実とフィクションの区別はつけるタイプの人間だった。
なのでわたしは初めてみーちゃんと一緒に帰った日に、どうしてわたしに構うのか割と直球で聞いた。そしたらあり得ないことが起きた。みーちゃんはうじうじしているわたしに、
「単純に葵が好きだから、友達になりたい」
と言ってきたのだ。一瞬、耳を疑った。もしかしてみーちゃんは、一人に耐えきれなくなったわたしの弱い心が生み出した、都合の良い幻覚なのかとも思った。
その後もみーちゃんは、わたしが貸したラノベとか、おすすめしたアニメとかを全部見て、その度に色々な感想を聞かせてくれる。その感想が毎回、貸したわたしも「そんな見方があるのか」と頷いてしまうようなもので、彼女がただ読み飛ばしただけではないことが十分伝わってきた。
そうしていくうちに段々、わたしの心の中に「他の人とはなんか違う」という感情が芽生え始めてきた。可哀そうだからとか、そういう理由で話しかけてくる人とは違う。わたしの大好きなものを、一緒に大切にしてくれる人だと思った。
みーちゃんはアニメとかラノベだけじゃなくて、ゲームにも興味を示した。わたしは一度、みーちゃんを自分のホームグラウンドとも言えるゲーセンに連れて行って、本気でボコボコにしてみたことがあった。自分でも、試すようなことをしてしまったと思う。上級者に一方的にやられる格ゲー程、つまらないものは無い。
それでも彼女は一方的にやられた後も、わたしに再挑戦してきた。連コインだ。どうしてそこまでするのかは、わからない。だけど、わたしよりずっと大人っぽい見た目のみーちゃんが、むきになったような子供っぽい一面を見せてくれたのは、少し安心した記憶がある。
ただ全体的に見れば、やっぱりみーちゃんは大人だ。わたしはたまにみーちゃんが、「大人っぽい」ではなく、本当に大人なのかもしれないという錯覚に捉われる。わたしと同じ高校一年生なのに。
みーちゃんは時々、高校生の常識では考えられないことをする。雨宿りでラブホテルを利用したり、思い付いたように旅館に泊まってみたり。その度にわたしは格好悪くあわあわしながら後をついていくけれど、どれも良い思い出だった。わたし一人だったら、絶対に出来ない経験だ。
みーちゃんは、人に抱きついたりするのが好きだ。わたしにも、たまに抱きついてくる。
多分ギャルと呼ばれる人たちにとっては当たり前なのかもしれないけれど、いつもわたしは死ぬんじゃないかってくらいドキドキしてしまう。でも決して不快な訳じゃなくて、胸の奥が暖かくなるようなドキドキだった。
わたしはいつの間にか、女の子のことが好きになってしまったんだろうか。よく分からないけど、そういう人たちがいるという話も、たまに耳にする。創作には百合ってジャンルもある。でも多分、そういう気持ちとはまた違うような気もした。現実の恋愛なんかしたことが無いから、サンプルが少な過ぎて結論は出せないけど。
とはいえ出来るか出来ないかで言えば、わたしは多分みーちゃんとセックスくらいなら出来てしまう気がする。創作の中でしか知らないエアプだけど、自分がみーちゃんとそういうことをしている想像をしても、嫌な気持ちにはならなかった。
つまりそのくらいには、わたしはみーちゃんのことが好きだ。
「ねぇ葵、そろそろ花火が上がるよ」
今、みーちゃんがその綺麗な手でわたしの髪を撫でながら、夜の学校の屋上でそう宣言する。
まただ。またみーちゃんが「ねぇ葵」って語りかけると、何か素敵なことが起こる。魔法みたいだ。この花火もみーちゃんが上げているのだと、倒錯的な勘違いをしてしまう。
しかしわたしは、みーちゃんに後ろから抱きつかれていて、花火どころではなかった。夏休みの間、ほんの一週間ちょっと会えなかっただけで、みーちゃんとの時間を噛みしめるようにしている自分がいた。わたしの、このみーちゃんに対する気持ちはなんなのか。既にわたしは、その答えを知っていた。
信仰だ。
てるてる坊主に、明日晴れるのを祈るように。夜に口笛を吹くと、蛇が出るように。みーちゃんの口から「ねぇ葵」という言葉が発せられると、次に必ず素敵なことが起こるのは、わたしの信仰以外の何物でもなかった。
家に帰って、部屋で一人、みーちゃんに貸した「涼宮ハルヒの憂鬱」の文庫本を開く。ほんの数週間しか貸していないのに、本からはみーちゃんの匂いがした。香水の匂いとか、みーちゃんのお部屋の匂いとか、みーちゃん自身の匂いとか。
わたしが貸した本とかが、みーちゃんの匂いで染められると、わたしの大好きなものをみーちゃんに肯定されたような、誇らしい気持ちになる。だからこれは聖遺物だ。
部屋の中には他にも、これまで貸した聖遺物がたくさんある。でも時間が経つと、みーちゃんの匂いが薄くなってきてしまう。だからまた何か、貸してあげたい。わたしがみーちゃんにラノベとかを貸す理由は、趣味を共有したいという当初の目的から、別のものにシフトしつつあった。
柳瀬さんも委員長さんも、とても良い人たちだ。もちろん彼女たちのことも、大切な友達だと思っている。だけどわたしの中の“悪い心”は、こんなことを考えるのだ。
わたしがみーちゃんの中の、一番の友達になりたい。
友達に一番も二番も無い。きっとみーちゃんならそう言う。でも彼女がふと誰かの顔を思い浮かべた時に、それは柳瀬さんでも委員長さんでもなく、わたしであればいいなと願ってしまうのだった。
もしわたしが一人称の小説とかが書かれたら、それはとてもドロドロしたものになりそうだと、少し自嘲する。わたしだけじゃなくて、恐らく大体の人の心の中は、これくらいドロドロしているものだとも思う。
でも多分、みーちゃんが一人称なら、それはとても綺麗な物語になりそうだ。醜い嫉妬とかもなく、程よく感情的で、毎日がコメディで。
そうに違いない。わたしはみーちゃんに貸した文庫本を抱きながらベッドに寝て、うずくまる。そして今日の屋上で感じたみーちゃんの体温を思い出しながら、なんだか眼が冴えて眠れなくなってしまったわたしは、本を持っていないもう片方の手で……。
みーちゃんは、きっとこんなわたしも許してくれる。
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