第二幕 復讐という檻


 帝都に戻ってきたのは夕方頃だった。エルシリアの執務室に行くと、彼女はウェルナーの姿を認めるや立ち上がりかけ――視線を逸らして座り直す。


「……あなたの部下が困っていましたよ。上司が突然いなくなったものだから」

「ああ、そうか。しまった……。そっちのフォローを忘れてたな」


 今は実質、部下の助言でやっていけている状態だが、一応は責任ある立場なのだ。学生や準聖騎士だった頃のように勝手ばかりすることはできない。


「それで?」


 ことさらぶっきらぼうに、エルシリアは言った。


「報告があるのなら、どうぞ」


 素直じゃないな、とウェルナーは苦笑する。本当は気になって仕方がないのだろうに。


「……屋敷の中は、荒れ果ててたよ」


 見たことをそのまま、ウェルナーは語る。


「ルカントーニ家に襲撃があったのは間違いない。ルドヴィカはそれを逃れて帝都に来て、僕達と会ってたんだ。それと……こんなのを見つけた」


 ウェルナーは懐に仕舞っていた肖像画を取り出して、エルシリアに渡した。

 描かれた人物を見るなり、エルシリアは瞠目する。


「これは……! イゾルデ・イングラシアじゃないですか!」

「ああ。それと絵の右下を見てくれ。サインと日付があるだろう?」


 エルシリアの目が動く。


「……ダニエレ・ボネット……。日付のほうは……事件の……」


 絵の右下に記されているのは、ウェルナー達が捜査している事件の被害者のサインと、事件当日の日付。これが示す事実は一つ。


「そういえば、イーゼルはあったのにキャンバスはありませんでしたね……。ではこれが……」

「ああ――現場から持ち去られた絵だと思う」

「……待って下さい。辻褄が合いません。どうしてこれがルカの家で発見されるんですか? 襲撃があったのは事件より前のはずでしょう?」

「それは……誰かが一方的に置いていったんだ」


 迷いを帯びたウェルナーの声に、エルシリアは訝しげな顔をした。


「誰か、とは?」

「わからない……声しかしなかった……。誰だったんだ、あれは……」


 今でも思い出しただけで胸がざわつく。こんなにも頭に引っ掛かるのだ。まったく知らない人物だとは思えない。だが、心当たりはまったくない……。


「……とにかく、あなたは昨日、ルカに会ったんでしょう?」

「ああ。怪我をしてる様子はなかった」

「ならとりあえず、今は大丈夫でしょう。簡単にくたばるタマじゃありませんし」


 まるで自分に言い聞かせるようにそう言うエルシリアを見て、ウェルナーは『リアを頼む』というルドヴィカの言葉を思い出さざるを得なかった。


(もしかして、あれはエルシリアさんにも危険が迫っているという意味だったのか? 自分には余裕がないから、僕に守れと……?)


 考えても答えは出ない。大体、ルドヴィカの考えを見通せた試しなんてないのだ。今は、目の前の謎に一つ一つ向き合っていくしかない。


「目下の問題はこの絵です」


 エルシリアはイゾルデの肖像画を机上に広げた。


「背景を見てください。……これは、どう見てもあの地下室です。つまり、この絵が描かれた時、そのモデルもあの場にいたことになる……」


 事件当時、イゾルデが現場にいたとする証拠がないと、前にエルシリアは言っていた。


「でも、下書きをした日と色をつけた日は違うかもしれないだろう?」

「それはそうですが……」


 エルシリアは立ち上がり、肖像画を上から俯瞰するようにして観察する。


「……これ」


 やがて、彼女はある一点で目を留めた。


「この像……」


 椅子に座ったイゾルデの背後にテーブルがある。エルシリアが目を留めたのは、その上に置かれた翼の生えた像だった。


「これは……天使の像? 何の天使かな……」

「違います。見てください。タグが付いてます。……どこかで買ったものですね」


 確かに、目を凝らさなければわからないほど小さく木のタグのようなものが描かれている。こんなのよく気付くな、と感心していると、


「ウェルナーさん。部下を動かしてください。この像を売っている場所を探すんです」

「え? あ、ああ、わかったけど……」

「それで証拠が出揃います」


 ルドヴィカへの心配など忘れたかのように、エルシリアは笑った。


「イゾルデ・イングラシアを逮捕しましょう」


 ――ちょうど。

 計ったかのような、タイミングだった。




「やあ。お呼びかな?」




 ぞくっ! と戦慄が駆け巡り、ウェルナーは背後に振り返る。

 執務室の扉が、いつの間にか開いていて。

 そこに――イゾルデ・イングラシアが、笑顔を浮かべて佇んでいた。


「そろそろ私に用がある頃かと思ってねえ、こちらから出向かせてもらったよ」


 ウェルナーは、呻くことすらできない。

 こんな、おかしなことがあるか。

 正体不明の人間から最後の証拠が与えられたことだけでもおかしいのに――こちらが逮捕を決めた瞬間、当人のほうから現れるなんて……!


 イゾルデは無造作に歩いてきて、ウェルナーの横を素通りし、愕然とした表情のエルシリアの前で立ち止まった。


「ほら、逮捕するんでしょ?」


 にっこりと、怖気が走るほどにこやかに笑いながら、イゾルデは両手を差し出す。

 エルシリアは恐怖するような目でそれを見た。

 凍りついたような沈黙の後、彼女は俯き、唇を噛んで――パンパン! と手を叩く。すると、彼女の部下の下級審問官がやってきた。


「……この女を捕縛してください」


 下級審問官達は戸惑いながらも、イゾルデを両側から拘束する。そしてそのまま、執務室の外へ連れ出そうとした。


「ま、待て! 待ってくれ!」


 ウェルナーはそれを制し、俯いたままのエルシリアに詰め寄る。


「本当にいいのか……!? 君もわかってるはずだ。こんなのはおかしい! 不自然すぎる! 彼女は絶対に何か企んでる!」

「企んでるなんて人聞きが悪いなあ。弟子の手間を省いてやろうと思っただけなのに――」

「お前は黙ってろ!!」


 もはや『四槌』への敬意など微塵もなく、ウェルナーは本能が叫ぶままに黙らせた。イゾルデはくすくすと癪に障る笑い声を漏らし、口を噤む。

 ウェルナーはエルシリアの両肩を掴み、


「もう一度冷静になって考えるんだ! このままじゃあいつの思う壺――」

「――ようやく……」


 それは、か細く小さな声だった。

 それでも、ウェルナーの口を塞ぐには、充分だった。


「ようやく……巡ってきた、チャンスなんです……。これを逃したら、二度と……もう二度と、こんなチャンスは来ないかもしれない……」

「で、でも……!」

「やめてっ!!」


 バシッ! と。エルシリアは、肩を掴むウェルナーの手を弾き。

 拒絶するように、自分の耳を塞ぐ。


「……これ以上……私を、迷わせないでっ……!!」


 髪を振り乱して苦悩する少女を前にして、ウェルナーは、何を言うこともできない。

 その背後で。


「―――くふ」


 邪悪で、真っ黒な――笑い声が。


「くふふ――ふはっ! あっははは! はッはははハハハはははハハハハハハハ――――ッ!!」


 高らかに響きながら、執務室の外へと、消えていった―――








 それから一日、二日と時間が過ぎていき、エルシリアは着々と裁判の準備を進めていった。

 ウェルナーも審問官補佐としてそれを手伝いながら、他方では個人的に動いている。


「ごめん、ウェルナー。ルドヴィカちゃんの情報はまだ入ってこない。キミの部屋に来たっていうのが最後の目撃証言だ。上手く隠れているのか、もう帝都にはいないのか……」

「任せっきりで悪いな、ジーク。僕のほうでも調べたいんだけど、今は身動きが取れないんだ。さすがに『四槌』の一角を起訴するとなると、方々からの反発が物凄くてね……」

「審問会や教団、元老院の連中が本気で圧力をかけていたら、キミもエルシリアさんもとっくに首だけになってるさ。その反発はただの見せかけだよ」

「だろうな」


 おそらく、イゾルデがあらかじめ手を回していたのだ。自分の起訴を止めないように。どうしてそんな意味不明なことをするのかはわからない。わからないからこそ不気味なのだ。

 だが一方で、そうでもなければ彼女を法廷に立たせることはできなかっただろう。二度とこんなチャンスは来ないかもしれない、というエルシリアの考えは正しかったのだ。

 だけど、とウェルナーは思う。


(だからこそきな臭い……。まるで、最初から選択肢を絞られていたみたいだ……)


 今この時でなければ、エルシリアが復讐を果たすチャンスはなかった。そしてその『今この時』を用意したのが、他ならぬイゾルデ自身であるという事実……。

 ぞわぞわと背筋が粟立つ。

 それは、強力な魔獣に目を付けられた時に生じる感覚だった。








 ついに裁判の日程が決まった頃、ウェルナーは中央異端審問所の牢を訪れた。

 見張りの騎士と敬礼を交わし、冷たく薄暗い空間を歩いていく。左右に幾つもの牢屋が並んでいたが、中に人影は一つもなかった。


 突き当たりにある、ひときわ堅固な牢にだけ、真っ黒な影が座り込んでいる。

 彼女はソファーにでも腰掛けるかのように、リラックスした姿勢で床に足を伸ばしていた。


「やあ、ウェルナー君。相変わらずイケメンだねえ。お姉さんの目を保養しに来てくれたのかなあ?」


 ウェルナーは反射的に返しそうになった言葉を呑み込む。取り合ってはいけない。その瞬間絡め取られる。そんな直感が働いたのだ。


 囚人服に身を包んだイゾルデは、軽薄な語調とは裏腹に衰弱しているように見える。

 パラドックス事件の後で調べたことだが、拷問の中で一番効果的なのは不眠責めらしい。だからルドヴィカの時もそれだけで済んだのだが、イゾルデが受けている拷問はどう見てもそれだけに留まってない。

 これから公開裁判があるので、目に見える場所に傷が付いていたりはしないのだが、ぐったりと脱力したその身体にエルシリアの憎悪が刻みつけられているように思えて、ウェルナーは身震いした。


「用があるなら早めにしてくれる? これから愛弟子に拷問されなきゃいけないんでね」

「……ルドヴィカを襲ったのは、あなたの手の者か」


 石のように硬い声で、ウェルナーは訊ねた。

 イゾルデはくっと口角を上げて、


「ああ、やっぱり心配なんだ? お優しいこって。でも気をつけな。優しい人が好きだとか、女は言うけどね、それは『自分にだけ優しい人』って意味であって、誰にでも優しい男は、背中を刺されるのがオチなんだからさ。おーこわ」

「質問に答えろ!! お前は何を企んでるんだ!!」

「なーんにも?」


 イゾルデはへらへら笑う。


「私からすりゃ、君のほうが何企んでんだって感じさ。困っている人がいたら助けずにはいられない? ご立派ご立派! 同じ論法で無実の人間を処刑しまくったあの不肖の弟子すら助けようってんだから筋金入りだ!」


 イゾルデはじゃらじゃらと手錠を鳴らしながら、のろのろ手を叩いた。

 そしてウェルナーに向かって身を乗り出し、


「ねえ、ここだけの話で教えてくれない? あの子、どうやって君を口説いたの? 事が終われば一生愛人になるとでも言われた? くっくくく! 英雄色を好むと言うけど、あの絶世の美少女ルドヴィカ・ルカントーニに加えて、今や帝国一のアイドルであるエルシリア・エルカーンまで! こりゃあ世間は向こう一年ゴシップに困らないなあ!」


 ガンッ! とウェルナーの拳が鉄格子を叩く。

 イゾルデは笑声をピタリと止めて、しかし、にやにやと不快な笑みをいっそう深めた。


「怖い顔するなよ、聖騎士サマ? 冗談だよ。イッツジョーク! わかってるさ、あの子はそういうことはしない。私がそう教えたからねえ。女の武器で使っていいのは涙までだよ」

「もういい。口を閉じろ……!!」

「嫌だね。鼻呼吸は苦手なんだ。実際さあ、ウェルナー君、お姉さんはどうかと思うよ? 困った人を見たら無条件で助けちゃうってのは。そりゃあ子供に言い聞かせるにはちょうどいい綺麗事だけどね。残念ながら現実的じゃあない。例えば――ほら」


 じゃらり、と、イゾルデは手錠の嵌まった腕を上げた。


「私、今、ちょー困ってんですけど? 助けてくんないの?」

「…………!!」

「そう、君は助けない。なぜなら私を『悪』と見なしているからだ。結局のところ、君は単なる『正義の味方』なんだよ。『困っている人の味方』なんかじゃなくてね。君は君の正義に味方しているだけであって、ルドヴィカ・ルカントーニにもエルシリア・エルカーンにもまったくこれっぽっちも味方しちゃいないのさ。……ねえ、ウェルナー君。そういうのをなんて言うか知ってる?」


 声を出せないウェルナーに、イゾルデは囁くような声で告げる。


「――自己満足オナニー、って、言うんだよ」


 ビシリ――と、ウェルナーの何かが、悲鳴を上げた。


「そりゃキモチイイよねええぇえ? 自慰行為で可愛い女の子に感謝されたり好かれたりしたらさぁあああ!! 最っ高だよね、やめらんないよねぇええ!? ずっとずっとそうやって生きていきたいに決まってるよねえええっ!?

 でも残念ッ! 現実は厳しいのだ少年よ。君の最高キモチイイメソッドには弱点がある。それは、自分が決めた正義を貫徹できなかった時、あっさりと瓦解してしまうことだっ!!」


 一歩、二歩と、ウェルナーの足が後ずさる。

 牢屋の中の悪魔から――そいつが吐き出す呪言から、逃れるために。


「今回、君はエルシリアを助けてやらなきゃいけない。あの哀れな哀れな小娘を! でも、それはとんでもなく難しい。君ももう知っているんだろう?」


 耳を塞げばいいのだと気付くのに、あまりに時間をかけすぎた。

 逃れる前に、拒む前に、呪いのこもったその言葉は、耳から侵入して魂を犯す。


「――復讐ほど、強固な檻はない。……さて、今度はちゃんと助け出せるかな?」


 ウェルナーは踵を返し、全速力で牢屋の前から逃げ出した。




          ◆     ◆     ◆




 第六の月二十四日。

 その日、帝都ユニケロスは朝から雲一つない快晴だったと記録されている。雨続きで湿っぽいこの季節に、雨雲が休暇を取ったかのように鳴りを潜めたこの日、人々は久しぶりの陽光を存分に楽しんだ。


 あるいは仕事に精を出し、あるいは洗濯物を干し、あるいは街のそこ彼処にできた水たまりの上を飛び越えて遊ぶ。

 そうしながら、彼らの頭には、今日の午後に予定されている一大イベントのことが絶えずチラついていた。


 特級異端審問官『四槌』が一人、イゾルデ・イングラシアの公開裁判。


 二ヶ月前のパラドックス事件に続き、間違いなく歴史に残ることになるだろうこの出来事を、人々は程度の差はあれ皆、待ち構えていた。


 そして――教会の時鐘役が、午後三時の鐘を鳴らす。

 通りのいいその音が高らかに街に広がっていくと、多くの人々が作業に切りをつけ、とある場所に足を向けた。


 帝都南東地区。ブルーノ広場。第一裁判場。

 中央異端審問所から最も近いこの議場で、世紀の法廷が幕を開ける。


 この時はまだ、集まった者の誰も、今日この場で始まることを知らなかった。




          ◆     ◆     ◆




 ウェルナーは早々に集まってきた傍聴人達が法廷内に溢れ出さないよう押し留めていた。


(なんて人出だ……!)


 注目度で言えばトップクラスだっただろうルドヴィカの裁判でも、これほどの人数は集まらなかった。一体何を期待しているのか、祭りか何かのような喧噪と熱気が渦巻いている。

 ウェルナーは法廷の奥を見やる。この法廷は、広場に面した異端審問会の施設に外付けされるような形で設けられている。奥には施設内に入れる扉があり、その向こうでは今、エルシリアが準備をしているはずだ。無論、被告であるイゾルデ・イングラシアも控えている。


 今日、この法廷で何が起こるのかはわからない。だが、確実に何かが起こると――否、のだと、ウェルナーの直感は告げていた。

 何が起こっても対応できるようにしなければならない。部下達にもそう伝えてあった。


 やがて、傍聴人達のざわめきが増大した。

 エルシリアが姿を現したのだ。

 彼女は堂々たる足取りで法廷の中央まで出ると、黒衣の裾を摘まんで深々と一礼する。その優雅な仕草を、傍聴人達が囃し立てた。パラドックス事件での失敗を経ても、彼女の人気は衰えていないようだ。


 エルシリアが審問官席に引くと、続いて下級審問官に連れられたイゾルデが入廷する。

 法廷に緊迫感のある空気が漂った。罵声を飛ばすわけでも、ひそひそと陰口を交わすわけでもない。今この瞬間が現実であることを再確認するかのような、喧噪の空隙。皮肉にも、何もかもが嘘偽りでしかないこの法廷が、近年で最も司法の場らしい雰囲気を帯びたのだ。

 イゾルデは被告席に立たされる。その表情は憔悴しているようにも見えた。……だが、ウェルナーは牢屋での出来事を忘れてはいない。


 最後に、裁判長となる司祭が、一段高い位置に設けられた席に着いた。

 裁判長が木槌を打ち鳴らし、喧噪を鎮める。


 午前三時の鐘から半時ほど――イゾルデ・イングラシアの異端審問裁判が始まった。








 裁判の始まりはいつも静かだ。今回も例によって、エルシリアから事件の概略が語られた。


「被害者はダニエレ・ボネット。職業は画家。第六の月七日午前十一時頃、自宅の地下にあるアトリエで撲殺されました。遺体の周辺には破砕された壺の破片が散らばっており、その一部に血痕がついていたことから、現場にあった壺が凶器であったと思われます」


 エルシリアの説明は殊更に簡潔だった。詳細を知るウェルナーには色々と言葉が足りないように思えるが、裁判長は頷いて話を進める。


「では審問官、貴殿に問おう。貴殿がイゾルデ・イングラシアを異端者と見定めたのは、如何様な根拠からか?」

「充分な動機がある。そう判断し得る事実が浮かび上がってきたからです」


 堂々とそう告げると、エルシリアは資料を携え、審問官席の前に出た。


「裁判長、お手元の資料をご覧ください」

「これは……」

「イゾルデ・イングラシアがかつて担当した事件の資料です。その事件における法廷画について、幾つかの疑問点と矛盾を付記してあります」


 裁判長は資料を睨んで唸る。その眉間には深いしわが刻まれていた。


「傍聴人の皆様にもご説明致します」


 黒髪を靡かせて振り返り、エルシリアは大量の傍聴人に向き直った。


「今、裁判長がお読みになられているのは、簡単に言えばイゾルデ・イングラシアが犯した不正の証拠です。彼女は以前、無実の人間を異端者として検挙するために、事件現場の様子を都合よく捻じ曲げて描いた法廷画を、証拠として使ったことがあるのです」


 観衆がざわめく。もし本当であれば、それだけでも充分なスキャンダルだ。


「そして」


 エルシリアが口を開くと、ざわめきが凪いだ。


「その際、法廷画家としてイゾルデ・イングラシアに協力していたのが――今回の被害者、ダニエレ・ボネットなのです」


 ざわめきが波のように寄せては返し、人々の間でうねる。裁判長が木槌を打ち鳴らしても、それは完全には治まらなかった。


「審問官。被告の過去の不正についてはわかった。この事実が本事件とどう関係するのか?」

「関係は簡明です。被害者ダニエレ・ボネットは、被告の不正に関わっていた――すなわち、特級異端審問官として権勢を誇る被告の、数少ない弱味を握っていたことになります」

「だから殺した、と?」

「その通りです」

「しかし」


 裁判長は疑り深げに逆接した。


「ではなぜ、今だったのか? 資料によれば、この不正は何年も前に行なわれたもの――なぜ今更、という疑問を無視することはできない」

「その疑問にも、証拠をもって答えさせていただきたく存じます」


 エルシリアが慇懃に言うと、法廷の端から下級審問官が走り、裁判長に何かを手渡した。


「これは……日記?」

「はい。被害者宅より発見しました、ダニエレ・ボネットの日記になります」


 エルシリアは資料を一枚取り上げる。


「日記には、長きに渡る被害者の良心の呵責が記されています。『なぜあのようなことに力を貸したのか』『処刑直前の恨みの声が耳から離れない』……そのような記述が何年間にも渡って散見されます。そして……最も新しいページをご覧ください」


 裁判長が日記をめくる。


「お手数ですが、読み上げていただけると幸いです」

「『もう自分も老い先短い。このような事実を墓にまで持ち込むのは、先に逝った妻に申し訳が立たぬ。私は決めた。たとえ国を敵に回そうとも、この真実を告発しよう』……」


 裁判長の声が染み渡っていき――束の間、静寂が訪れた。


「日記は……その記述で終わっています」


 そこに、念を押すようにエルシリアが言うと――趨勢は、もはや決定的となった。

 誰も、言葉にすることはない。だが、その空気が、雰囲気が、無音の圧力をもってイゾルデを弾劾している。こいつが犯人に違いない――と。


 イゾルデ自身はわかっているのかいないのか、ぼんやりとした視線を虚空に投げている。この空気の中では、その態度は逆効果だ。『何をとぼけている』と、何もしていないのに批判の口実となってしまう。

 好機を見なしたか、エルシリアは一瞬だけ笑みを浮かべる。


「続いて、幾つかの物証について――」




「異議あり」




 その静かな声は、たった一言で法廷の空気をリセットした。

 普通ならざわめきに紛れて消えてしまうだろう、決して大きくはない声。しかし、その声には力があった。その声には――魂に言霊を刻みつけるような、刃があったのだ。


「エルシリア・エルカーン審問官。オマエは当然行なうべき審議を省こうとしている。事件当時、現場を取り巻いていた状況について、詳しい説明をすることを要求する」


 淡々と言葉を連ねながら法廷に現れた小さな姿に、ウェルナーは呼吸を忘れた。

 その姿を――その白い髪を、その白衣を、その妖精めいた美貌を――ウェルナーが見間違えるはずもない。それ以上に、エルシリアこそ、彼女の正体を見誤るはずがなかった。


 彼女は、審問官席の対面――半ば形骸と化している、弁護席に立った。

 そして、告げる。

 裁判長へ、傍聴人へ、そして対峙すべき敵たるエルシリアへ。


 己が名を。


「弁護人ルドヴィカ・ルカントーニ――遅ればせながら、参上した」








 観衆が混乱している。無言の弾劾はどこかへと散り、ざわめきが再び人々の間を流れた。

 だが、ウェルナーの混乱は彼ら以上だ。きっとそれはエルシリアも同様に違いない。


(弁護人……? ルドヴィカが弁護人だって!?)


 弁護人。それは、この国の異端審問裁判では必ずしも必要な役割ではない。基本的には、罪を糾弾する審問官がいれば事足りるからだ。

 そもそも、この国に弁護士という職業はない。ゆえに、法廷に弁護人が立つのは、被告自身が求め、弁護人本人が了承し、教団と審問会が弁護人にその能力ありと認めた時にのみ限られる。

 要するに被告を追い詰める立場である審問会から許しを得る必要があるのであり、当然、弁護人の存在など邪魔でしかない審問会はほとんどの場合認めない。だから弁護人というのは、あってもなくても同じような、形骸化した制度なのだ。


 しかし、ウェルナーは気付いた――今回に限っては、その無茶な条件が満たされうると。

 何せ容疑者として被告席に立たされているのは、審問会が誇る『四槌』の一人、イゾルデ・イングラシア。面子を重んずる異端審問会としては、無罪にしたいに決まっているのだから。

 彼らは身内を守るために、最強の駒を選択した。それこそが――リーパー事件、パラドックス事件と魔法殺人事件を立て続けに解決した『魔女狩り女伯』、ルドヴィカ・ルカントーニ。


 だが解せない。彼女が弁護人になるのは彼女自身が了承しなければならないのだ。イゾルデはルドヴィカにとっても仇だ。なのにどうして……?


(――いや、違う。ルドヴィカなら……)


 ルドヴィカなら――何よりも真実を愛するルドヴィカなら。たとえ親友の仇に利することになろうと、冤罪が生み出されるのを食い止めるに違いない。

 問題は彼女が何者かに襲われていたらしいことだ。ルドヴィカの襲撃にはイゾルデが関わっているに違いない。ウェルナーはそう確信している。

 ならば、最後にウェルナーと会った後、イゾルデ側に捕まって弁護することを強要された……? だとしたら、どうしてイゾルデは自ら捕まりに来たりしたのだ?


「さ――裁判長!」


 エルシリアが叫んだ。


「こんなことは聞いていません! 無効です!」

「いや」


 裁判長はかぶりを振る。


「こちらには話が通っている。何か不備があったようだな」

「なっ……ぁ……!?」


 エルシリアは愕然と立ち尽くす。ウェルナーも耳を疑った。不備? 不備だって? こんな重大な連絡不備、そうそう起こるはずがない……!


 ウェルナーは被告席を見た。

 イゾルデ・イングラシアが、にやにやと、笑っている。


(……あいつ……ッ!!)


 すべて、あいつが仕組んでいる。そうとしか思えない。

 だが何のために? わからない。わからないが、やるべきことは明確だ。


「――おっと、そこの騎士」


 ウェルナーが駆け出そうとした瞬間、ルドヴィカが弁護席から声を放った。


「きちんと警備していてもらおうか。オマエ達が働かなければ、わたし達も安心して審議できない――間違っても、審議を中止させようなんて思うんじゃないぞ?」


 たったそれだけで、ウェルナーの足は縫い留められる。まるで、頭の中を言葉で貫かれたような感覚だった。すべてを見通されているという事実が、ウェルナーから行動の自由を奪う。


 おかしい、とウェルナーは違和感を抱いた。

 確かに、ルドヴィカが見透かしたようなことを言うのはいつものことだ。だが、今のように、その洞察力を暴力的に振りかざしたことなんて一度もなかった。


 これは、ウェルナーの思い込みなのか?

 何もかもおかしいから、ルドヴィカもまたおかしいのだと、現実を拒絶しているだけなのか?


 あまりに謎が多すぎる。

 ウェルナーには、仇を挟んで対峙した二人の少女を、見守ることしかできなかった。








「――証人喚問を行ないます」


 審議が再開されると、エルシリアは審問官席に戻り、対面のルドヴィカを睨みながら言った。


「その際、現場の状況――密室についてもまとめて説明します。それでいいんでしょう?」

「ああ、問題ない」


 ルドヴィカが腕を組んで頷くと、エルシリアは部下に指示を出した。


「それでは――第一発見者、ドロテア・バルディを入廷させてください」


 下級審問官が被害者ダニエレ・ボネットの娘、バルディ夫人を連れてくる。

 彼女は被告席の前方、審問官席と弁護人席の間にある証言台に立たされた。不安げな様子で、法廷を包む異様な雰囲気に呑まれているようにも見える。


「証人ドロテア・バルディよ」


 裁判長が厳かに言う。


「我らが大いなる父アルシアと、真実の天秤を司る断罪の天使に対し、汝が善なる神の子であることを誓うか?」

「ぜ、善なる神の子の証明として、何事も隠さず、また、何事も付け加えないことを誓います」

「よろしい。では始めよ」


 まずエルシリアが口火を切った。


「バルディさん。ゆっくりで構いません。お父上のご遺体を発見した時のことを、できるだけ細かく教えてください」

「は、はい……」


 それから語られたのは、最初に聞いた通りのことだった。

 雨降りの朝、バルディ夫人は被害者宅を訪れ、地下室で被害者と顔を合わせた。この時、地下室には他に誰もいなかった。

 その後、二時間ほど買い物をして戻ってきて昼食の用意をしていると、午前十一時の鐘が鳴った頃、地下室のほうから何か物音と破砕音が聞こえた。

 地下室へ向かったバルディ夫人は扉越しに声をかけたが返事がない。扉を開けようと思ったが妙に重く、不審に思って覗き窓から室内を見た所、中は荒れ果て、扉の下には血塗れの父親がいた。

 もたれかかっていた父親ごと扉を押し開け、地下室に入ったバルディ夫人は、父親が死体になっていることを確認する。


「お聞きの通りだ、裁判長」


 証言が終わるなりルドヴィカが言った。


「扉には被害者の遺体がもたれかかっていた。現場の扉は内開きだ、外側からその状態にすることはできない。犯人は犯行の後、扉から出ることができなかったんだ」

「しかし、現場は半地下で、扉の他に窓があったとある」


 資料に目をやりながら裁判長が言った。


「扉が使えずとも、窓から出ることはできたのではないか?」

「それは――」

「それは、窓が普通の高さにあったなら、の話だ」


 エルシリアに発言する隙を与えず、ルドヴィカは法廷での存在感を強めていく。


「現場はかなり天井が高く、窓はその天井に極めて近い位置にある。そうだな……わたし二人分以上は優にある高さだ。梯子でもなければとても手が届かない」


 だが、とルドヴィカは続けた。


「被害者宅にあった唯一の梯子は、事件当時、使用されていた。そうだな、証人?」

「は、はい……。使用人の方々が、屋根の修理で……」

「よって、梯子か、何か足場になるもの――しかも、窓の外から回収できるもの――を外から持ち込む必要があったわけだ。ところが、そのようなものを持ち歩いていた人間の目撃証言はない。そうだな、そこの異端審問官補佐?」


 突然ウェルナーに水が向けられて、視線が集中した。ウェルナーは驚きながら、


「あ……ああ。いくら聞き込んでもそういう話は出てこなかった……」

「さて」


 と言って、ルドヴィカはパンと柏手を打つ。

 法廷は、すでに彼女を中心にしていた。


「扉も使えない。窓も使えない。ないない尽くしのこの状況で、犯人はどうやって現場を脱出したのか? これが、被告を異端者扱いする前に解決せねばならない問題だ。……審問官殿、これをどのように考えている? 別にいいぞ? 魔法のせいにしても」


 ルドヴィカの挑発的な台詞に、エルシリアは眉をひそめつつも、


「いいえ、魔法なんていりません」


 毅然と答えを返す。


「先程、弁護人は窓が使えないと仰いましたが、その発言には語弊があります。要は踏み台さえあればいいのです。現場には天井近くの窓まで登るのに最適な踏み台が、きちんとありました」

「それは?」


 裁判長が問い、エルシリアが答える。


「本棚です。位置としては、窓に向かった時に、右側の隅にあります。まるで軽くするかのように中身の本が取り出されていたことから、犯人はこの本棚を横に移動させ、踏み台にして窓に登ったのだと思われます」

「異議ありだ、審問官」


 ルドヴィカが手を挙げ、強い語調で言った。


「その通りだとするなら、本棚は窓の下になければならないことになる。だが現実にはどうだった? つい今し方、その口でちらっと言っていたように思うが」

「窓の右方の隅です」

「であれば、オマエの推理は成立しない。本棚みたいに大きな家具を、何メートルも上にある窓からどうやって元の位置に動かす? わたしには、手を触れずに物体を動かす魔法でも使えなければ難しいように思えるがな」

「はい、不可能です。窓の外から本棚を動かすことはできません」


 あっさりと認めたエルシリアに、裁判長が眉を上げた。


「審問官。それでは、貴殿の推理は不成立になってしまうが?」

「いいえ。私はのが不可能と言ったまでです。至極簡単かつ単純な話で――外から動かせないなら、中で動かしてもらうしかありません」


 傍聴人に気付きの気配が流れた。室内の人間が本棚を動かした――だとすれば、その機会があったのはたった一人。


「バルディさん」


 静かにエルシリアが呼ぶと、バルディ夫人はびくりと顔を上げた。


「あなたは昔、教会のシスターだったそうですね。結婚するためにお辞めになったとか」

「は、はい……そうですが……」

「こちらのほうで少し調べさせていただいたのですが……どうも腑に落ちない点があるんです」


 そう言いながら、エルシリアは証言台に近付いていく。


「あなたがシスターをお辞めになった時期と、お子さんを出産された時期……二つを見比べてみますと、どう考えても、シスターであった頃から身籠られていたとしか思えないのです。聞けば、旦那様も教会に出入りするお仕事をされていたそうですね。あなた――本当は自分から辞めたのではなく、妊娠がバレて破門されたのではないですか?」

「そ、それは……」

「異議あり! 極めてプライベートな問題だ! 公の場で取り扱うべきではない!!」

「犯行手段を解き明かすのに必要なことです!!」


 二人の少女が食い合うように大音声を交わし合った。裁判長は少し考えたのち、


「……異議を却下する」


 ルドヴィカが舌を打ち、エルシリアが口角を上げる。二人の間で視線が衝突した。


「証人、今一度問い直します。あなたは、教会を自ら辞めたのではなく、妊娠が発覚して辞めさせられたのですね?」


 バルディ夫人は足元を見つめ、


「……そう、です……」


 震えた声で答えた。エルシリアは頷いて新しい資料を取り出し、


「ここで、もう一つ気になる事実があります――証人が勤めていた教会の神父が、およそ三年前、異端者の疑いをかけられたことです。しかも、その時の担当異端審問官はイゾルデ・イングラシア。被告です」


 観衆が再びざわめく。まったく予想外な方向から事件に話が繋がった。


「その際、被告はその神父を無罪と見なしました。しかし、当時の資料を紐解いてみると、どうにもきな臭い事実が見え隠れするのです」


 少女の声は流れるように続く。


「その神父には、異端――すなわち殺人の他に、性暴行の疑いがありました。異性同性問わず、その強権を用いて教会内で横暴を働いていたと言うのです。これが事実であったとするなら、証人、あなたは相当に不憫な環境で働いていたことになります」


 バルディ夫人は震えていた。それは緊張でも羞恥でもなく、恐怖の震えだった。


「証人――正直に仰ってください」


 さらに追い詰めるべく、エルシリアは問う。


「――あなたが身籠ったのは、その神父の子供なのですね?」


 バルディ夫人は答えない。ただ全身がさらに震え、つ――と、涙が溢れて頬を伝っていく。

 エルシリアは、それでも手を緩めなかった。


「あなたは望んで教会を出たのではない。望んで妊娠したのでもない。望んで結婚したわけでもない。おそらく、あなたの今の旦那さんはあなたと同じくその神父の愛人だった。身籠ったあなたの存在を不都合に思った神父は、適当な男をあなたに宛がって口実を作り、教会を追い出した――そうなのではありませんか?」

「証人を虐めるのはそこまでにしてもらおうか、審問官」


 ルドヴィカが静かに口を挟んだ。


「この場はイゾルデ・イングラシアの異端審問法廷だ。その神父とやらを糾弾する場でもなければ、証人の過去の傷を抉って晒す場でもない」

「異議を認める。審問官は過度な尋問に注意せよ」

「……失礼しました」


 エルシリアは深く息をする。ウェルナーには彼女が焦っているように見えた。どんな時でも堂々としていた、あのエルシリア・エルカーンが。


「しかし、これは重要な確認なのです。……証人、もはや隠し立てできる状況ではありません。あなたのかつてのご同僚の方々も、証人としてお呼びしてあります。あなたがお認めにならない場合、彼女達に証言していただくことになります」


 優しく丁寧な言葉だったが、それははっきりと脅迫だった。バルディ夫人はしばらくの間、無言でぶるぶると震えていた。顔は真っ赤に染まり、零れた涙は服を濡らしている。

 本来ならば、その姿だけで答えには充分だった。しかし、法廷では言葉と証拠がすべて。言わなければならないのだ、己が口で、己が傷を。

 バルディ夫人は、証言台を強く掴み、


「…………その……通り、です…………」


 耳をそばだてなければ聞こえないほどの声で、言う。


「私、は…………あの人……神父様、に…………いつ、も…………だから……子供の、父、親、は…………―――うぅ、うぅうううぅぅ…………!!」


 最後まで言い切れず、彼女は嗚咽を漏らして崩れ落ちる。それを見るエルシリアの瞳は、殊更に冷たく凍っているように見えた。


「……もう結構です。裁判長、証人の退廷の許可を」

「許可する。廷吏の騎士は証人を控室へ」


 騎士が二人、証言台に駆け寄り、泣き崩れる証人を支えて奥の建物内に消えていった。法廷に同情の空気が漂う中、ウェルナーは一人、内心で舌を巻いていた。


(嘘だろう……? 本題に一切入らず、証人を法廷から排除した……!)


 エルシリアの考えをある程度聞いているウェルナーにはわかる。彼女はあえてバルディ夫人を追い詰めたのだ。これから始まる欠席裁判の準備を整えるために……!


「それで、審問官」


 冷め切った表情でルドヴィカが言った。


「今の見るに堪えない尋問に、一体何の意味があったんだ? わたしには、善意で法廷に立った証人を公衆の面前で辱めたようにしか見えなかったがな」

「証人には明かされたくない過去があった。その過去に関わる人物を、かつてイゾルデ・イングラシアが調査していた。この二つの事実が重要なのです」


 冷たさを感じる声で、エルシリアは説明を重ねる。


「これらの事実から、一つの推測が立ちます。すなわち、第一発見者ドロテア・バルディの秘密を、イゾルデ・イングラシアが知っていた可能性がある――そう、被告には、第一発見者であるドロテア・バルディをある程度、操ることができたのです」


 重く沈黙する法廷に、エルシリアの声だけが広がっていく。


「現場は画家のアトリエでした。当然、大量の絵の具が常備されています。犯人は本棚を窓の下に動かし、露わになった壁に絵の具でメッセージを残した。バルディさんにとって不都合な事実を告発するメッセージを、です。

 そして本棚を踏み台にして窓から外に出ました。そこにバルディさんがやってきます。彼女は見たでしょう、本棚があった場所の壁に書きつけられた告発文を。彼女は父親の死体に動転しながらも、誰かが来る前にそのメッセージを消さなければならないと判断したはずです。

 そして、ちょうどいい所に水で満たされた木桶があった。アトリエですから、絵の具を溶かすためのものでしょう。これは私達が現場に入った時点では部屋の中央辺りに転がっており、中が濡れていました。当然、記されたばかりのメッセージはまだ乾いていませんから、その水をかければ落とせます」


 懐に手を入れ、エルシリアは布のようなものを取り出した。

 いや、布のようなもの、ではなく、それは布だ。ただしすり切れてボロボロになっており、色とりどりの絵の具で汚れている。


「その際、より完璧に絵の具を落とすために、布でこすったりもしたのでしょう。その布が、この通りこちらにあります」


 しれっと言い放ったエルシリアを見て、ウェルナーは息を呑んだ。

 そのすり切れた布こそ、エルシリアが用意した第一の切り札――捏造証拠だ。

 今エルシリアがもっともらしく語っている推理は完全なるでっち上げである。裏付けとなる証拠は、実際には一つもない。だから彼女は自ら喚問したバルディ夫人を排除したのだ。不利になる証言をされないために。


「しかし、だとすれば」


 ルドヴィカが眉根を寄せながら言った。


「わざわざ本棚を元に戻さずとも、メッセージとやらは処理できたことになる。第一発見者が自分に不都合なメッセージを隠すために本棚を動かした――そう言いたいのだろう、オマエは?」

「メッセージそのものが消えても、消した跡が残ります。何せ水をぶっかけたんですからね、乾くのを待っていては不審に思われます。屋敷の外には使用人がいたわけですから、他に不審な物音を聞きつけた人間がやってこないとも限りません。

 なので、濡れた壁をひとまず隠すために本棚を元の位置に戻したのです。それから私達が現場にやってくるまでの間には、壁は充分に乾いてしまう」


 そして、エルシリアは続けざまに第二の捏造証拠きりふだを切る。


「現場の地下室は、あまり掃除が行き届いていなかったようです。おかげで、この通り――」


 彼女が取り出したのは、一枚の絵だった。

 法廷画だ。現場の本棚周辺が詳細に描かれている。本棚の足元には、真左――窓に向かって伸びるように、引きずった跡があった。


「――本棚を移動させた痕跡が残っていました。これを証拠として提出します」


 彼女はつい先程、イゾルデの法廷画での不正を告発したばかり。その舌の根も乾かぬうちにでっち上げの絵を提出してみせる豪胆さ。ウェルナーは戦慄すら覚えた。

 対面のルドヴィカはその法廷画を目を細めて見やる。彼女には見抜かれているかもしれない。だが、彼女は資料でしか現場の状況を知らないはずだ。実際の現場の出入りは、エルシリアが厳しく制限していたのだから。


「……一つ、疑問を挟ませてもらおう」


 探りを入れるように、ルドヴィカが口を開く。


「本棚を動かし、絵の具で壁にメッセージを残し、それから窓の外へ出る。これだけの行動を、第一発見者が物音を聞いてから現場にやってくる僅かな間に完遂できるものだろうか? わたしには少々厳しいように思えるが」

「犯行前に準備を整えておいたのです」


 エルシリアは動じずに答えた。


「まず被害者を睡眠薬で眠らせ、諸々の準備を整えた後、犯行に及んだ――そう考えればいい。事実、現場に残されたティーカップの紅茶は、片方だけが証拠を隠滅するように床に捨てられています」

「だとすれば、なぜ被害者は扉にもたれかかるように倒れていた? 犯人から逃れようとした所を追いつかれて殺害された、と考えるからこそ、その奇妙な状態を説明できるんだぞ」

「その通りですよ。犯人から逃れようとした所で殺された。犯人の予想以上に睡眠薬の効き目が弱く、準備中に目を覚まされてしまった――そうは考えられませんか?」

「考えられはするが、根拠が薄い」

「密室という状況そのものが根拠ですよ」


 エルシリアは薄く笑みを浮かべる。


「そもそも、この密室は何の意味も生み出していませんでした。意味があるとしたら魔女の犯行に見せかけることくらいですが、それにしては密室条件が緩い。しかし、死体が扉にもたれかかってしまう、という状態が、犯人の意図しないものだったとしたらどうですか? 窓は位置が高すぎて使えない。脱出経路は扉だけ――となると、我々捜査陣は誰を怪しいと思ったでしょう?」


 誰もがハッと鋭く息を吸う。事件当時、屋敷にいたのは被害者を除けばたった一人――ドロテア・バルディ。きっと彼女が筆頭容疑者になっていただろう。


「ところが、犯人にとって不都合なことに、死体が扉を塞いでしまった。もちろん、死体を扉の前からどけてから逃げることだってできたでしょう。

 しかしその場合、第三者が接近している緊迫した状況で、犯人がわざわざ死体を移動させる手間を取ったという事実が残ってしまう。そこから足がつく可能性があると、イゾルデ・イングラシア――特級異端審問官である被告はすぐに思い至ったのです。

 だから仕方なくそのまま脱出した……。こうして、誰に望まれることもなく密室状況が完成してしまったのです」


 観衆の脳内には犯行時の情景が鮮やかに再生されたことだろう。それほどエルシリアの説明は具体的で、説得力があった。ともすれば、深く考えもせず納得してしまいかねないほどに。


「……わかった。考えとして、オマエの言う手段が成立することは認めよう」


 ルドヴィカもまた、瞼を伏せがちにして告げた。だが、と彼女は続け、


「なぜその手段が被告にしか使えないと考える? 異端審問には大勢が関わる。ドロテア・バルディの秘密を知り得たのは被告だけではなかっただろう。にも拘らず、イゾルデ・イングラシアこそが犯人だとオマエは言う――その主張に明確な根拠はあるのか?」


 ――来た。

 エルシリアの心の声が聞こえてくるかのようだった。彼女は笑みを浮かべ、最後の証拠を抜き放つ。


「もちろんです。こちらをご覧ください」


 エルシリアが提示したのは、一枚の肖像画。

 イゾルデ・イングラシアの肖像画である。

 ルドヴィカは眉をひそめた。


「……それが?」

「この絵の隅にご注目ください。署名と日付がありますね。――ここには、ダニエレ・ボネット、到達歴一四一四年第六の月七日、と書かれています」


 観衆がさざめく。被害者が被告の肖像画を、事件当日に描いていた――?


「また、背景もよくご覧ください。これは現場となったアトリエそっくり――いえ、そのものです。この絵が紛れもなくボネット氏の作であることは、専門家からもお墨付きを得ています」

「……そんなもの、一体どこから出てきた? 現場のイーゼルには何も掛けられていなかったと聞いているが」

「ええ。この絵が証拠になることを恐れた被告が持ち出したのでしょうね。この絵は騎士の方々の懸命な捜査の結果、イゾルデ・イングラシアの拠点の一つから発見されました」


 出所に関しては嘘八百だ。だがイゾルデが犯行時に持ち出したのだと仮定するのなら、その答えが最も無難になる。


「ならばどうしてさっさと処分してしまわなかった? 残しておいても危険なだけのはずだ」

「弁護人――私達は、この絵がどういう経緯で描かれたものなのか知りません。よって、本当に『残しておいても危険なだけ』なのか、判断のしようがないのです」


 エルシリアの声は語りかけるように叙情的だった。


「そして、それを判断する必要はありません。この審議に必要なのは、『事件当日、被害者が被告をモデルに絵を描いていた』という事実のみ。違いますか?」


 ルドヴィカは忌々しげに黙った。なぜ証拠となる絵を処分しなかったのか――この論点を突き詰めていけば、エルシリアの嘘を暴けるかもしれない。だがそれは、傍目から見ると本筋からずれた無為な議論に映ってしまうのだ。


「事件当日に被害者が描いた、被告をモデルにした肖像画――これを、被告イゾルデ・イングラシアが事件当日、現場に所在していた証拠として提出します」

「異議あり!」


 すかさずルドヴィカが口を挟む。


「絵に描かれているからと言ってモデルがその場にいたとは限らない! 線画を前もって描いておき、事件当日に色を付けて完成させたのかもしれない!」

「異議を認める。審問官、その絵が確かにモデルを前にして描かれたとする根拠は何か?」


 裁判長の質問に、エルシリアは間髪入れず答えた。


「それは、この絵の背景に描かれている像です」


 彼女は背景のテーブルの上を指差した。そこには手の平サイズの天使像が置かれている。


「像にタグが付きっ放しなのがお見えになるでしょうか。実は、この像――被告が事件当日の朝に、贈答用として買い求めたものなのです」

「異議あり! 何を根拠に言っている!」

「根拠? もちろん証人の証言ですよ!」


 エルシリアは歌うようにして高らかに宣言した。


「――証人喚問ですっ! 北西区にある彫刻店の店主、ステファン・バッソ氏をここに!」


 下級審問官に連れられて、快活そうな小男――ステファン・バッソが入廷する。

 バッソは証言台に立つと、ニカッと明るい笑顔を見せた。


「証人、名と職業を」

「ステファン・バッソと申します。帝都の北西区で小さな彫刻店を営んでおります」


 それから、バッソはバルディ夫人と同じように宣誓を行なった。証言において何事も隠すことなく、何事も付け加えることもしないという宣誓だ。


「バッソさん」


 エルシリアは肖像画を持って証言台に近付いた。


「ここに描かれている天使像は、あなたのお店で取り扱っているものですね?」

「ええ。ウチの人気商品です」


 バッソがハキハキと答えると、エルシリアは頷いて、


「第六の月七日の朝、あなたのお店に客が来ましたね?」

「何人かいらっしゃいました」

「その中に、この像を買っていった客はいましたか?」

「おりました」

「それは――彼女ですか?」


 エルシリアが被告席のイゾルデを指差すと、バッソも後ろを振り返り、


「彼女です。間違いありません」


 ニカッと笑って、はっきりと告げた。

 観衆がざわめく中、ウェルナーは信じられない気持ちでいる。


 絵の天使像が幾つかの彫刻店で売られていることを知ると、エルシリアはウェルナーにある条件を満たしている店員を探せと命じた。

 その条件とは、一つ目はもちろん事件当日の朝に店頭に立っていたこと。そして二つ目と三つ目が、目立ちたがり屋であることと思い込みが強いことだ。

 見つからなかった場合の代替案も言い渡されていたが、そう時間をかけないうちに条件に見事合致する人間が見つかった。

 それが彼――ステファン・バッソである。


 彼はおそらく、イゾルデの姿なんか見ていない。ただエルシリアに印象を誘導され、そう思い込んでいるだけ――そして、大勢が注目しているこの裁判で目立ちたいだけだ。

 そんな理由で証言台に立つ人間がいるなんて、ウェルナーは思いも寄らなかった。だが感心はしない。エルシリアが身に着けてきた技術と知識に、ただ虚しさを覚えるだけだ。


「ありがとうございます、バッソさん。とても助かりました」

「いえいえ! この程度であればいつでも!」

「もう戻っていただいて結構です」


 バッソを連れていくべく下級審問官が動き出すと同時、エルシリアはさっとルドヴィカに視線を送った。

 彼女はルドヴィカがバッソを尋問し始めることを警戒しているのだ。弁護人の存在はエルシリアの計算外だった。尋問を許せば偽証が暴かれる可能性がある――


 しかし、意外にもルドヴィカは控室に消えていくバッソを黙って見送った。エルシリアは訝しげな気配を覗かせる。ウェルナーにも不思議だった。今のはルドヴィカなら決して見逃さない場面だと思っていたのだ。


「……お聞きいただいた通りです」


 不審を押し殺し、エルシリアは弁舌を続ける。


「肖像画の背景に描かれた像は、事件当日の朝に被告が買ったものだった。それが描き込まれている以上、事件の日、被告は確実に現場のアトリエを訪れているのです。現場にこの像が残されていなかったのは、肖像画と同じく、証拠になると気付いた被告が持ち出したからでしょう」


 裁判長が唸った。序盤から疑り深げだった彼だが、ここに来て説得されかかっている。

 法廷の空気も同様だった。多くの傍聴人達が、エルシリアの推理を認めかかっている。勝敗はもう決まったという、ある種の弛緩した雰囲気を、法廷全体が帯びていた。


 だが、一方で。


 今回のエルシリアのやり方は、いささか強引だった。特にバルディ夫人を追い詰めて泣き崩れさせた一幕は、心証を悪くするに充分なものだった。最初、エルシリアが登場した時にはあれだけ好意的だった観衆が、ぼんやりとした反感を彼女に向けているのがわかる。

 それに伴って、ある一点に観衆の期待が集まっているのを、ウェルナーは感じていた。


 ルドヴィカ・ルカントーニ。

 去年には帝国中を恐怖に陥れたリーパー事件を解決せしめ、二ヶ月前には自身が容疑者となったパラドックス事件を解明し異例の逆転無罪を勝ち取った天才。


 彼女なら、ここからでも何かしてくれるのではないか――そんな期待が、弁護席に立つルドヴィカに注がれて渦を巻いていた。


「……被告、イゾルデ・イングラシア」


 黙然と長考していた裁判長が、粛然と口を開く。


「今や貴女の容疑は極めて色濃いものとなった。申し開きがあるならば聞こう」


 被告席のイゾルデに視線が集中する。

 イゾルデは、ふらふらと今にも倒れかねない弱々しい様子で、しばらくの間沈黙した。

 声も出せないほど弱っているのか――おそらくは誰もがそう思った頃。


「―――くく」


 噛み殺し損ねたような笑い声が、静寂の法廷を貫いた。


「くく――くくくくくっ――――申し開き? 申し開きだってさ、ルドヴィカ。どう思う?」


 イゾルデはゆらりと揺れてルドヴィカを見やり、ルドヴィカは釣られたように唇を歪める。


「まったくもって面白い冗談だ。申し開き……申し開きか……くくくっ! ――こんな矛盾丸出しの推理に! 何を申し開くことがあると!?」


 ルドヴィカとイゾルデはたった二人で爆笑した。

 他の誰もがついていけない。ウェルナーも、エルシリアも、裁判長も、傍聴人も――誰もが、笑い転げる二人に置き去りにされる。

 ルドヴィカはひいひいとお腹を抱えて呼吸を整えると、


「がっかりだよ、リア」


 唇を酷く歪めたまま、対面のエルシリアに告げた。


「証人を虐めてまで出したのが、まさかこの程度の推理だとはなあ! まさしく凡百! やっぱりオマエは凡才だよ!!」

「なっ……なんですって……!?」

「オマエの推理には致命的な矛盾がある!!」


 叫びながら、ルドヴィカは鋭くエルシリアを指弾する。


「証拠はオマエがしたり顔で提示したその肖像画だ! 平凡で凡才なオマエは気付かなかったようだが、わたしは一目で気付いたぞ――その絵の右端をよく見てみろ!!」


 エルシリアは困惑の表情で肖像画を確認する。そして――


「――こ……れ、は……」


 瞠目して、目眩でも起こしたようにふらついた。


「さあ言えよ、リア――気付いたんだろう? ことに気付いたんだろう!?」

「ぐッ……ぅ、くっ……!!」

「はッ! どうやら異端審問官殿は二の句が継げないらしい! 諸君! 代わってこのわたし、ルドヴィカ・ルカントーニが説明しよう!」


 当惑する傍聴人に向き直り、ルドヴィカは高らかに話し始める。


「肖像画に色が滲んでいる部分がある――これが何を意味するか? 簡単なことだ! んだ! となると、その水は一体どこから来たのか?」


 コツコツと足音を立て、ルドヴィカは法廷を歩き回った。


「これも考えるまでもないことだな。現場には水で満たされた木桶があったのだから! さて、ここで審問官殿の推理を振り返ってみよう。彼女の推理はこうだ」


 ルドヴィカは俯いたエルシリアの目の前で立ち止まり、彼女を殴りつけるように言う。


「『犯人は犯行後、本棚を窓の下に移動させて現場を脱出。その後やってきた第一発見者が、本棚があった場所の壁に残された落書きを木桶の水で洗い落とし、濡れた壁を隠すために本棚を元の位置に戻した』――

 そう、彼女の推理によれば、木桶の水がぶちまけられたのは犯人が現場を去った後だと言う! ところが、彼女はこうも言っていた――『肖像画は、証拠になるのを恐れた犯人が持ち去ったのだ』と!」


 おおっ! と観衆が感嘆の声を漏らした。


「おかしいではないか! 第一発見者ドロテア・バルディが木桶の水を壁に向かってぶちまけた時、肖像画はすでにその場にはなかった! なのに、肖像画にははっきりと水に濡れた跡がある! これを矛盾と言わずして何と言う!?」

「そ……そんなのはどうとでも言えます!」


 ようやく、といった様子で、エルシリアが顔を上げた。


「事件当日は雨が降っていました! 逃げ出す際に雨に濡れたのかもしれません!」

「犯行があったのは午前十一時! 雨はほとんど止んでいた!」

「水たまりに落としたのかもしれませんし、水飛沫がかかったのかもしれません! とにかく、被告が現場にいたという事実を否定するものではありません!!」

「はははっ! なかなかイイ反論だ! 具体性にかけること以外はな!!」


 法廷の空気は覆らない。ルドヴィカに味方し、エルシリアに敵対する。ぼんやりとした反感以外に武器を持たなかった観衆が、ルドヴィカにそれを与えられたのだ。そうそう手放すはずがない……!


「どんな推理をするのかと暖かく見守っていたが、底が見えたな! これ以上審議を長引かせる必要はあるまい!!」


 バチンッ!! とルドヴィカは力強く指を弾いた。


「裁判長! 弁護側から証人喚問だ! フレッド少年を呼べ!!」


 戸惑って顔を見合わせている下級審問官の代わりに、廷吏の騎士が急いで走っていく。それを訝しげに見やって、エルシリアは目の前のルドヴィカを睨みつけた。


「一体どういうつもりなんですか、あなたは……!」

「リア。オマエの推理なんて、最初っから眼中になかったんだよ」


 そう言い放つルドヴィカには、酷薄な笑みがあった。


「オマエが必死に何を主張しようと、わたしには一撃でオマエを潰せる切り札があった。無駄だったんだよ、オマエの頑張りは」

「無駄……? 切り札……!? そんなもの――」

「――あるはずがない、と思うなら勝手にしろ。まあ、すぐに認めざるを得なくなるがな」


 ルドヴィカはくるりと背を向け、エルシリアの前から離れていく。ちょうどその時、廷吏の騎士が証人らしき少年を連れてきた。

 八歳程度の元気そうな少年だ。傍には母親らしき女性がついている。

 証言台に立つと、フレッド少年は物珍しそうに左右を見回した。


「証人。名を」


 裁判長が飽くまでも幻覚に問うと、少年は「フレッド・アゲロ!」と威勢良く答えた。その後、母親の助言を受けつつ、証人としての宣誓を済ませる。


「フレッド少年。後ろの女性を見てくれ」


 弁護席に戻ったルドヴィカに言われ、フレッド少年は振り返った。


「その女性に見覚えはあるか?」

「うん。劇場で、いっしょにお母さんを探してくれたおばさんだよね?」


 エルシリアが動揺を瞳に浮かばせる。

 劇場――まさか、とウェルナーの背筋が震えた。


「それはいつのことか覚えているか?」

! すっごく楽しみにしてたからちゃんと覚えてるよ!」


 ざわ――っ! と一際強く観衆が揺れた。ルドヴィカの言わんとすることを察したのだ。


「ご母堂。そちらから詳しい経緯を説明してもらえるか」

「はい……」


 少年の傍にいる母親が、遠慮がちに話し始める。


「第六の月七日に、南区の劇場にこの子と演劇を見に行ったんです。でも、その日はすごい人出で……この子とはぐれてしまったんです。その時、この子を連れてきてくださったのが……」


 母親の目がイゾルデに向いた。イゾルデはにっこりと笑顔を浮かべる。


「それは何時くらいのことかわかるか?」

「はい。この子を探している最中に、午前十一時の鐘が鳴ったのを覚えています」

「フレッド少年。母親とはぐれている間、キミはずっとその女性と一緒にいたんだな?」

「うん! お母さんがいなくなってすぐのときから、ずっとだよ!」

「――と、いうわけだ」


 ルドヴィカは肩を竦めて苦笑した。


「いいことはしておくものだな?」

「まったくだね」


 ルドヴィカとイゾルデがくすくすと笑う。対し、観衆は騒然としていた。

 午前十一時に南区で迷子の相手をしていた人間が、同じく午前十一時に北区で殺人を犯すことなどできない。

 ここに来て、イゾルデ・イングラシアのアリバイが証明されたのだ。


 ウェルナーは唖然とするしかない。確かに、イゾルデのアリバイについてはろくな捜査をしていない。エルシリアが必要ないと判断したからだ。

 だが、仮に騎士を動員したとしても、相当な人数だったと言う劇場の観客の中から、この親子を見つけ出すことはできただろうか?


 難しいだろう、とウェルナーは思う。にも拘らず、この証人はここにいる。組織力をほとんど持たないルドヴィカが、一体どうすればこの親子を見つけ出せると言うのだ?

 まさか、イゾルデ自身が用意していたと言うのか。甘んじて牢に入りながら、自分の無実を証明する算段を整えていた……? だとすれば、彼女は殺人が起こる時間を知っていたことになる――


「ま、待ってください!」


 エルシリアが焦りの表情で叫んだ。


「それは本当に事実ですか!? 裏付けは取れているんですか!?」

「おいおい、審問官殿――先導主アルシアと断罪の天使に宣誓を立てた無垢な子供を嘘つき呼ばわりするのか?」


 ルドヴィカは嘲りの調子で言う。


「そう来るなら、こちらもこう返そう。キサマが先程喚問した彫刻店の店主……ヤツの証言の裏付けは取れているのか?」


 エルシリアは押し黙るしかない。裏付けなどあるはずもなかった。エルシリアが証人に思い込ませて作り出したでっち上げの証言なのだから。


「だっ……だったら……っ!」


 エルシリアは歯噛みして、ルドヴィカを睨みつけながら叫ぶ。


「イゾルデ・イングラシアが犯人ではなくて! ドロテア・バルディが本棚を動かしたのでなければ! 一体誰が犯人で、どうやって密室を抜け出したって言うんですか!! ここまで私の推理を否定するんです、当然説明できるんでしょうねえ!?」


 悲鳴のような詰問に対し――ルドヴィカは、唇を吊り上げるように笑った。

 待ってました、と。

 獲物が罠にかかったのを楽しむように。


「扉が塞がれ、手の届かない位置にしか窓がない部屋から、どのようにして脱出したか――この問いに対する答えは、至極シンプルだ」


 すなわち、と言葉を切って、ルドヴィカは観衆の視線を集める。

 一層に笑みを深め。

 まるで、ギロチンの綱を切るかのように。

 彼女は――告げた。







 しんっ――と。

 法廷は、一瞬にして静まり返った。


 彼女が何を言っているのか、誰もが捉えかねたのだろう。

 だが――徐々に、徐々に――ざわめきが戻ってくる。

 その答えが有り得ないものではないことに、気付いたがために。


「そう――諸賢がお考えの通りだ」


 大仰な口調で、ルドヴィカは言葉を放る。



 声が爆発した。

 もはや騒然という言葉では足りない。ルドヴィカの言葉はそれほどに爆弾的だった。


 聖騎士。年に一度、騎士学校を主席で卒業した者だけがなれる特別な存在。その力は一騎当千と呼ばれ、常人のそれを遥かに凌ぐ。有り体に言えば超人だ。

 こんなにもあからさまな存在が、なぜ異端審問の場ではほとんど議論の俎上に上がらないのか――それは、一種のタブーだからである。高潔の代名詞たる聖騎士が、こそこそと小細工をして犯行を隠すなどあるはずがない――否、あってはいけない。意識的にか無意識的にか、多くの人間がそう思い込んでいるのだ。


 だが、この白い少女はそれがあったと言う。ならば確固とした根拠あってのことに違いない。

 そんな心の声を聞き取ったかのように、ルドヴィカは完璧なタイミングで告げた。


「――最後の証人喚問だ。ボネット家の使用人、ベッペ・ブラージを入廷させろ!」


 親子が退廷し、入れ替わりに中肉中背の青年が入廷する。ウェルナーはその青年に見覚えがあった。被害者ダニエレ・ボネットに仕える使用人だ。事件時は梯子を使って屋根の修理をしていた。不要だとして、エルシリアは彼を召喚していない。

 使用人ブラージは証言台に立ち、朴訥な声で宣誓をした。


「証人、まずは安心してほしい。ここで何を証言しようとも貴殿が危害を加えられることはない。騎士団には話を通してある。貴殿の安全は間違いなく保証される」


 剣呑に過ぎる語り出しに観衆が鎮まっていく。痛々しい緊張感が法廷に張りつめた。

 使用人ブラージが汗をかきながら頷くと、ルドヴィカも頷いて再び口を開いた。


「事件当日――ドロテア・バルディが買い物に出かけている間に、来客はあったか?」

「……ありました」


 一瞬、観衆がざわめく。しかし次の質問を聞くためにすぐに鎮まった。


「ソイツ以外に、屋敷を訪れた者はいたか?」

「いえ、いません」

「ソイツの顔を覚えているか?」

「はい」

「ソイツは――今、この場にいるか?」


 びくり、と証人が震えた。彼はしばらく時間をかけて震えを抑え、


「……はい」


 と、朴訥だが良く通る声で答える。

 またしても観衆がざわめきかけた時、ルドヴィカが機先を制するように言った。


「口で答えなくてもいい。事件当日、ドロテア・バルディ以外で唯一屋敷を訪れたソイツを――オマエを脅して自分の存在を秘匿しようとしたソイツを、指で示してくれ」


 法廷にいる誰もが、息を呑んだ。

 ドロテア・バルディ以外で唯一屋敷を訪れた人物。

 しかも、その事実を脅してまで隠そうとした人物。

 疑問の余地なく、その人物が犯人に違いない。


 そして、その人物が今、この場にいると言うのだ。

 ベッペ・ブラージというこの青年が指差す先――そこに、この事件の犯人がいることになる。


 誰もが沈黙し、青年の動向を見守った。

 ウェルナーも、エルシリアも、例外ではなかった。

 何百という視線が集中する中――おずおずと、青年の腕が上がる。

 震えながら、ゆっくりと、汗の滲んだ人差し指が伸びて――


 ――ある人物を、指差した。


「あの人……です」


 その人物を見て、ルドヴィカとイゾルデ以外の誰もが瞠目する。

 エルシリアも、裁判長も、傍聴人も。

 そして、ウェルナーも。


「そういうわけで――犯人はオマエだ」


 青年ブラージを追うように、ルドヴィカもその人物に指を突きつける。


「帝国騎士団本部少聖騎士にして異端審問官補佐――――ウェルナー・バンフィールド」


 その指は、ウェルナーをまっすぐに指していた。








「……は?」


 すぐには現実を認識できない。

 それは観衆も同様だった。今の今まで、ウェルナーは警備に就いていた騎士の一人に過ぎなかった――それがいきなり、議論の中心に現れたのだから。


 しかし、やがてウェルナーも理解せざるを得なくなる。

 自分が、ルドヴィカに犯人として告発されたのだと。


「う――嘘だ、そんなの!!」


 我知らず、ウェルナーは叫んでいた。


「その証人は嘘をついている! 僕が現場に行ったのは捜査の時が初めてだ!!」

「先導主と断罪の天使に誓って為された証言が偽証だと?」

「嘘でなければ勘違いか変装だ! 誰かが勝手に僕を名乗ったんだ!!」


 ウェルナーとしては極めて真っ当な主張は、沈黙した法廷の中を流れていくだけだった。

 誰もが冷めたような顔でウェルナーの叫びを聞いている。ウェルナーはそれらを見回して当惑した。どうしてこんなにも理解してもらえないのか、わからなかった。

 焦りが頭の中を満たしていくのがわかる。そんな状態で、ウェルナーは必死に考えた。どうしたら真実を理解してもらえるのか……。


「……そ、そうだ……アリバイだ」


 記憶を掘り返し、ようやく答えに辿り着く。


「僕にはアリバイがある! 犯行時刻の午前十一時、僕はエルシリアさんと一緒にいた!!」

「そ……そうです!」


 エルシリアもハッと硬直から溶けて追従した。


「その時間、ウェルナーさんは私と一緒にいました! 犯行は不可能です! ルカ、あなただって直前まで一緒に――」

「――オイオイ。オイオイオイオイオイオイオイオイオイ!!」


 ルドヴィカは突如、頬を引き裂くように笑って、傍聴人に振り返る。


「聞いたか諸君!! エルシリア・エルカーンと一緒にいたのがアリバイだと! まったく面白い話だよなあ、笑ってもいいんだぞ!!」

「な……何がおかしいんですか……! これはただの事実で、」

「もう忘れたのか!! キサマは今し方、間違った推理で冤罪を生もうとしたばかりだろうが!!」


 瞬間、法廷の空気が切り替わった。

 ふらふらと揺れていた天秤が――一気に、片方に。


「嘘だと言うならオマエ達のほうこそ嘘!! 信じてもらえるとでも思ったのか、無辜の民を食い物にしてきた殺人鬼が!! 結託してアリバイを作り合っているに決まっているだろうが!!」

「そんなのは決めつけです! どうして私がウェルナーさんを庇わなくちゃいけないんですか!!」

「ははははっ!! オイオイ、そこまで言っていいのかぁ!? お互い年頃の男女だ、そのうえ浅からぬ因縁もある! 何かの拍子にになってしまっていても、まったく不思議ではないよなあぁあああぁ!?」

「なっ……ぁ……!?」


 エルシリアの顔が赤みを帯びる。おそらくは度の超えた屈辱によって。

 だが、観衆はそれを別の意味に取った。一度根付いた印象はそうそう拭えない。


「憶測だッ!! ルドヴィカ、今のは侮辱だぞ!!」


 二の句を継げないエルシリアに代わり、ウェルナーが一歩踏み出して叫ぶ。しかしルドヴィカはにやにやと下卑た笑みを浮かべたまま小動もしない。


「何が憶測なものか。ネタは上がってるんだよ!! オマエ達の痴話喧嘩らしきものを下級審問官の連中が聞いているんだ!!」


 エルシリアが怒りの表情で部下達に振り返った。部下達は一斉にさっと目を逸らす。

 ウェルナーが不用意なことを言ってエルシリアを泣かせてしまった時のことだ。部屋を出た時、聞き耳を立てていたらしき者が何人かいた……!


「罪のない者を威圧するのはやめてもらおうか、リア! ひた隠しにしてきたスキャンダルが暴かれたからといって!」

「ルカ……! あなたは、あなたはっ……!!」


 法廷は異様な雰囲気を帯びていた。指名された意外すぎる犯人。そこから突如浮上した人気異端審問官の醜聞。話題が渾然一体となって法廷全体をうねる波濤となる。

 これ以上この話題を続けるべきじゃない。ウェルナーは歯噛みしながら頭を切り替える。


「そもそも、どうして僕がダニエレ・ボネットを殺さなきゃいけないんだ!! 僕と被害者は面識すらないんだぞ!!」

「はッ! 動機ィいい??」


 ルドヴィカは表情を左右非対称に歪める。


「そんなもの、オマエには不必要だろうが! ウェルナー、オマエは出会って一ヶ月も経たないわたしを助けるために異端審問会を敵に回した非常識な男!! あの時のことは感謝しよう――だが今、はっきりとわかった!! オマエ自身に動機など必要なものか!! そこの見てくれだけは整えた女がしなを作ってねだったら、一も二もなく実行する――オマエはそういう人間だろうが!!」


 胸の傷を深く抉られる感覚があった。それは謎の声、イゾルデ、そしてルドヴィカ――都合三度に渡って抉られた傷。ウェルナー・バンフィールドという人間の根幹を揺るがす真実。


 ウェルナーには、敵と味方を分けるための主義や思想がない。

 困っている人の助けになる――それはただの願望であって、状況次第ではその立ち位置は如何様にも変わる。

 たった今、かつて敵対したエルシリアの側についているように。


 何も答えられないウェルナーを、ルドヴィカは唇を吊り上げてせせら笑う。

 ……今は自分のことはどうでもいい。問題はルドヴィカだ。

 明らかにおかしい。

 ルドヴィカがこんなことを言うはずがない。少なくともこんな言い方はしない。こんな、人を辱めるためだけの真実の使い方――


「…………君は…………誰だ…………?」


 散らかった純白の長髪。くたびれた白衣。妖精のような美貌。

 どう見てもルドヴィカ・ルカントーニで、どう見てもルドヴィカ・ルカントーニではない。

 ルドヴィカによく似た何者かは、邪悪としか言えない笑顔で告げた。


「わたし、ルドヴィカ・ルカントーニだよ」


 ウェルナーが疑問の坩堝に叩き落とされている横で、法廷は混沌とした様相を呈していた。

 裁判長すら木槌を叩くことを忘れている。人々の間を荒れ狂う流言は、それ自体が意思を持つかのように大量の憶測を呑み込み、自らを育てていった。どんな怪物であれここまで巨大ではあるまい。膨らみに膨らんだ流言という名の怪物は、法廷どころか広大なブルーノ広場を丸ごと押し潰そうとしていた。


 そんな中。

 いつの間にか、事の中心から外れていた者が――今まさに、中心へと舞い戻る。




「―――諸君!! これが異端審問会のやり方だ!!」




 イゾルデ・イングラシア。

 彼女の声は、混沌の中にあっても朗々と響き渡り、人々の視線を引き寄せた。


「ルドヴィカ・ルカントーニ、君には感謝しよう! よくぞ私を不正な裁判から守ってくれた! そして聞け! 善なる神の子らよ!! このような冤罪は今回に限ったものではない!! 長く審問会に身をやつし、私は幾度となく見た! 不正な証拠、不正な取り調べ、不正な裁判! 異端審問会が生んできた数々の悲劇と、無辜の民の絶望を!! もう一度言おう、これは今回だけではない!! これまでに何度も繰り返し、異端審問会は無実の人間を処刑してきた!!」


 魂を絞り出すような演説に観衆が聞き入る。ウェルナーも、エルシリアも、突然に色んなことが起こりすぎて対処し切れない。


「私もまた特級異端審問官! その非道を行なってきた者の一人! しかし、だからこそ! 今ここにその罪を懺悔しよう!! 断罪は甘んじて受ける!! だがその前に知ってほしい! 異端審問会が我が物顔で行なってきた信じ難い非道を! そしてそれを許しているこの国の歪んだ在り方を!! 私、特級異端審問官が一人、イゾルデ・イングラシアは、今ここに神聖インぺリア帝国の真実を告発す――――――」


 ―――ヒュン。


 風を切る音が、突如として、耳に届いた。

 誰もが脳裏で不審に思った、次の瞬間――


 ――混沌をも超える、カタストロフが始まった。




 ドス、と。

 飛来した矢が、イゾルデの喉に突き刺さったのだ。




 勢い良く噴き出す赤い赤い鮮血。朗々と演説していたイゾルデの瞳から一瞬にして魂の輝きが消え去る。ぐらり、と後ろに倒れていく彼女を、きっと誰もが鈍重な世界で見守った。

 どうっと、イゾルデの身体が力なく仰向けになり、目に刺さるほど赤い血がどくどくと地面に広がっていく。


 悲鳴が弾けたのは、それからだった。


「曲者だ!!」


 裁判長が立ち上がって叫ぶ。ウェルナーは反射的に矢が飛んできた方角を見た。広場に面した建物の屋根の上。そこに人影がある。騎士の誰かが素早く矢を放った。逃げようとしていた人影はその矢を受け、呆気なく屋根から転がり落ちる。

 視線をイゾルデに戻した。思考が止まっている。それでも理解できた。遠目で充分だった。


 イゾルデ・イングラシアは、死亡している。

 即死だ。聖騎士だってあんな所を射抜かれては死ぬしかない。


「―――これがこの国のやり方だッ!!」


 傍聴人達が騒然として逃げようとする中、ルドヴィカがけたたましく弁護席を叩いて叫んだ。


「無実の人間を貶めて殺す! 都合の悪い人間は即座に消す! 民を守るのが国なら、この国は一体なんだ!? 国ですらありはしない!! ただの巨大な殺人装置だ!!」


 観衆に向き直り、ルドヴィカは訴える。まるでイゾルデが乗り移ったかのように。


「問おう、賢明なる民達よ!! オマエ達は許しておけるか!? 自分達の国がこうまで腐り切っていることを!! 重ねて問おう、賢明なる民達よ!! 我らが大いなる父、先導主アルシアは、この巨大なる悪を許すと思うか!!」


 大音声は群衆に溶け、即座に答えが返る。


「……許さない」「許さない」「許さない!!」

「そうだ、許さない! 善なる神の子らよ、今一度先導の声を聞け!! 悪を許すな。悪を許すな! 悪を許すなッ!! 今、諸君の胸に宿る熱こそこう呼ばれる!!」


 天を指差し、胸を張り――ルドヴィカは、最後の一押しをした。




「正義、と!!」




 地面が揺れた。天が震えた。

 熱気が異常に膨れ上がる。暴力的な視線が全身に刺さる。ウェルナーは危機を察した。と同時、エルシリアに向かって走った。


 秩序は崩れ去り。

 混沌に支配され。

 圧倒的な脅威の渦が、全方位から押し寄せて――――――――――――



 この日、帝都ユニケロスは崩壊した。

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