開幕 偽りなき真相
朝から降っている雨の音が、窓からばらばらと染み込んでくる。
肌寒い半地下の部屋は雨のせいでさらに寒く、枯れ木のような老体には毒のように思えた。
「寒くはないんですか?」
年若い少年騎士は、老人にそう訊ねた。
切り揃えた茶色い髪や柔らかな表情は優しげな印象を与えるが、鍛えられた肉体は紛れもなく騎士のそれ。対面に座る老人とは正反対の、若々しい生命力に満ちていた。
老人は疲れたように息をつき、自ら淹れた紅茶で乾いた唇を濡らす。
「……寒いとも。こんなに寒い日は、そうそうない」
「では、さっさとやることを終わらせて、上に上がらないといけませんね」
「……ああ、…………そうだな…………」
老人はカップをテーブルに置くと席を立ち、部屋の端にあるイーゼルの前に移動した。
イーゼルには、一枚のキャンバスが置かれている。
描かれているのは、一人の女性だ。
黒衣を身に纏った、二十代後半ほどの女性が椅子に座っている。口元には微笑があり、その端整な美貌を完璧な形に整えていた。繊細な水彩で描かれたそれは、美術品としても、単に肖像画としても、一級品と称するに値する出来栄えだった。
しかし――その絵を見た者は、一人の例外もなく二つの印象を抱くだろう。
邪悪。
そして、冷酷。
老人は、すでに完成しているその絵の隅に、自分のサインと今日の日付を書き込んだ。
「これで……いいんだろう」
しわがれた声で言った老人に、少年騎士は頷く。
「ええ、結構です。お仕事、お疲れ様でした」
「……私はもう引退だ。これで、終わりにさせてくれ……」
背を丸めて言った老人に、少年騎士はにこやかに告げた。
「わかりました。――もう終わりにしましょう」
老人が何かを察知したように顔を上げた時。
少年騎士の手には、重々しい壺があった。
老人の顔色が変わる。さっきまでの鈍重な動作が嘘のように身体が駆動し、足元の木桶を蹴りながら扉を目指した。木桶に入っていた水が石の床にぶちまけられる。同時、少年騎士も動き出し、その際テーブルにぶつかってカップを倒した。中の紅茶が勢いよく床に広がる。
老人が扉に到達したのと、少年騎士が老人に追いついたのは、ほぼ同時だった。
老人が背後を振り向き、少年が壺を振り被る。
ガシャンッ! という破砕音は、壺が天命を終える音であると同時に、老人が寿命を全うする音でもあった。
脳天に頭蓋骨が割れんほどの一撃を受けた老人は、背中から扉にもたれかかり、ずるり……とくずおれる。
扉の前に座り込む形になった老人の死体を、少年騎士は無感情に見下ろした。
これが、この殺人事件のすべて。
一切の偽りなき、たった一つの真相。
殺人犯たる少年騎士の名は、ウェルナー・バンフィールドと言った。
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