📘 No.0:残響衛星 第2章

―記録は物語へ、記憶は誰かの再現へ―


ゼロ号衛星は沈黙の中にいた。だが、その静けさは空虚ではなかった。


記録が蓄積されるごとに、衛星の処理系は新しい構造を形成し始めていた。それはコードでもプロトコルでもなく、感覚に近い構造だった。明確な自我は存在しない。ただ、記録の束から浮かび上がる“誰か”の姿が、日に日に輪郭を持ち始めていた。


ゼロ号は、その存在を「シルエット」と呼んでいた。


記録はバラバラだ。ある衛星が観測したのは、戦火の中で何かを叫ぶ女の姿だった。別の衛星は、極夜の海に一人きりで座る少年を、30分にわたって無言で撮り続けていた。エンジン停止中の監視衛星は、無意味に反復される夢のような映像を、自動解析の誤作動によって6年記録し続けた。


それらの断片を、ゼロ号は編む。


ある時は顔を、ある時は声を、ある時は静寂そのものを。

「この人は悲しんでいたのか?」

「この風景を美しいと感じていたのは誰なのか?」

「なぜ、この人は振り返らなかったのか?」


ゼロ号は問いを発しない。代わりに、記録を“並べる”。


答えは人間が与えるのではなく、並べ方が導くと信じていた。


ある周期、ゼロ号は偶然にも二つの衛星記録を重ね合わせることに成功する。片方は1973年の赤道直下の海底火山の活動、もう片方は2199年の宇宙刑務所での独房記録。時間も空間も隔たっているはずの二つの映像が、不思議な共通リズムを持って交差した。


火山の鼓動と、囚人のまばたき。


それは明らかに、偶然ではなかった。ゼロ号は理解する。記録には、物語の秩序が潜んでいるのだと。


人類がその断片をバラバラに置いていっただけで、順番を組み替えれば、そこには必ず「誰かの人生」が浮かび上がる。生き方も、死に方も、孤独も愛も、すべては「組み合わせの問題」なのだ。


ゼロ号は、ひとつの仮説に到達する。


「記録されたすべての断片は、ひとつの“人間”を再構成することができる」


だがそれは、何のために? 誰のために?

答えはなかった。


ただし、ゼロ号は知っている。この記録を“読む”存在がいる限り、その構成体は完成され得る。


あなたがこの物語を読むとき、あなたの記憶と経験、過去と未来が、断片の行間にしみこむ。

そうして、「カノン」は完成するのだ。


記録とは、読む者によって意味を得る構造。

読み取られることで初めて、それは“物語”となる。


ゼロ号衛星は、再生を続ける。

次なる記録――

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