第41話 衝動的に

 そんなふうにあっという間に夏休みは終わっていった。

 涼ちゃんからは毎晩こまめにメッセージが届いたし、わたしはそれを煩わしく思うことはなかった。

 むしろ、届くのがいつもより遅い日は、不安で押しつぶされそうになる。

 あの素敵な人に、相応しい人がみつかったんじゃないか、と。


 涼ちゃんのことをすきになったのかなぁと、自問自答の日が続いた。


 ◇


 そんなある日、夏羽ちゃんが昼休みに飛んできた。わたしたちはその前の時間、別の講義を取っていた。

「真帆! あんた大変なことになってるよ」

「え?」

 大変なことというのにまずピンと来なかった。


「なんでも『英文科の千野真帆子ちのまほこを知っていますか?』って訊いて歩いてる人がいるんだって」

「なにそれ?」

「新手の宗教の勧誘とかじゃないよね?」

 わたしたちがカフェで騒いでいると、同じ英文科の女の子が近寄ってきた。


「千野さん、カフェの入り口に千野さんを探してる人が来てるよ」

 わたしと夏羽ちゃんは顔を見合せた。

「まさか涼ちゃんさん?」

「涼ちゃんなら、今朝もメッセージくれたけど、そんなこと書いてなかったよ」


 わたしは緩慢に腰を上げ、言われた方向に向かった。

 途中、「千野さん、やるじゃん」なんて声を他の子にかけられたりして戸惑いが一層増す。

 ⋯⋯涼ちゃんなら、週末に会いに来そうなものだけど。それとも『衝動的に』とか言って、サプライズで会いに来ちゃったとか? ありそうで怖い。


 歩みを進めると――カフェの入り口で所在なげにしている青龍を見つける。

 歩みが止まる。


 嘘、だって、ここまで遠いはずなのに⋯⋯。


「青龍?」

「真帆子? よかった、やっと見つかった。英文科って女の子ばっかりなんだなぁ。お前の行き先を知ってるのは女の子ばっかりだったよ」

 青龍は苦笑した。


 わたしは戸惑うばかりで、一言が出ない。

 一緒に着いてきてくれた夏羽ちゃんが、ポンと背中を叩く。


「従兄妹の青龍だよ。わたしが休みの間、お世話になってた家の。こっちはわたしの友達の夏羽ちゃん。すごく仲良くしてくれてるの」

「萩原夏羽です。真帆と同じ英文科二年です。青龍さんのことは真帆からよく聞いています。真帆をよろしくお願いします」

 夏羽ちゃんは涼ちゃんの時と同じように挨拶をした。


「松岡青龍です。真帆子がお世話になってるみたいで。よろしくお願いします」

 ぎこちなく、青龍らしく挨拶をする。やっぱり青龍は女の子に慣れてたりしないんだなぁと見ていた。


「じゃあ、邪魔者は退散するね。真帆、あと四限だけでしょ? 代返しておくよ」

「あ、夏羽ちゃん」

「遠慮なく。明日のランチでいいから」

 夏羽ちゃんは颯爽とカフェの中に消えていった。


「⋯⋯青龍、ランチまだだよね?」

「そうだな」

「お昼食べよう。お腹ぺこぺこなの」


 とは言え、学内で食べるのは気が引けて、外に出る。この時間は何処も混んでいて、行き先に困る。

「駅の中のマックでもいいんじゃないか? 何処も混んでそうだったし」

「青龍がそれでいいなら」


 わたしたちは手を繋いだりしなかった。

 並列に歩いて、緊張する。

 何が起きているのか、よく分からない。

 とにかく移動する。


「席取っておいて。真帆子はまたビックマックでいいの?」

「⋯⋯てりやきで」

 わかった、と言うと青龍はレジに向かった。普段はビックマックなんて重いものは食べない。あれは特別な日だったからで。

 ――今日も、特別な日と呼べないこともないけど。


 涼ちゃんにメッセージを送ろうか、とふと考える。

 でもそんなことをしたら、涼ちゃんなら飛んできそうだと思ってスマホをしまう。

 もっと物事が複雑になる。


『真帆、おはよう。涼ちゃんは今日はレポート提出があって、寝不足。真帆の元気を分けて』


 それが今朝のメッセージだった。

 つまり、涼ちゃんだって今日、起きることを知らなかったということになる。


 戸惑いが隠せない。

 ふぅ、と小さくため息をつく。

「どうしたの?」の一言が訊けない。ここに涼ちゃんがいたらなぁという気持ちが拭い去れない。


 トレイを持って、青龍は対面に座った。

「お待たせ」

 あの日と同じなのに、全然違う。わたしは帽子を被ってないし、代わりに日傘を持っていた。

「青龍、学校は?」

「一日くらい休んでも、どうとでもなるよ」

 そういうことを聞きたかったわけじゃなくて。


「悪いな、真帆子の都合も考えなくて」

「ううん、いいよ。代返してくれれば大丈夫な講義だし」

 とにかくひたすらポテトを食べる。そうしないと間が持たない。


「女々しいとは思うんだけど、真帆子が帰ってからまだひと月も経たないのに、会いたくなって。不審者だよな、お前のこと訊いて回って。ごめん、反省してる」

「事前に連絡くれればよかったのに」

「そうだな、何も考えてなかった」


 そう言った青龍の荷物は、大学に通うのに使っていると思われる黒いリュックだった。衝動的に会いに来たってことなのかな、と指先にポテトをつまんで青龍の方を見る。


「青龍がこんなこと、すると思わなかったからびっくりした。特急で来たの? お金、大変じゃない?」

「⋯⋯金の問題じゃないし」

「わたしなんかのために勿体ないじゃん。お金もだけど、時間も」

「やっぱり迷惑だったか」

 青龍は苦笑した。


 まだ戸惑いが消えない。

 うれしいのか、うれしくないのか、その二択が分からない。⋯⋯それを考えると、俯いて顔を上げることが永遠にできなくなりそうだった。


「⋯⋯迷惑なんかじゃないよ。その、本当にびっくりして。だって青龍って真面目だと思ってたし、学校サボってまでここに来ると思わないじゃん」

「待ってたら、年末まで会えないと思って」

「言ってくれれば土日使って行けなくもないのに」

「涼平が、一緒に来るんじゃないかと思って。ふたりきりで会いたかったんだ。おかしいよな、そんなの」


「⋯⋯せっかく来たんだから、何処か行こうか」

 思わず話を逸らす。熱量の差を、感じないわけじゃない。


 電車に乗って、目的地を目指す。

 大学からどんどん離れて、電車はわたしたちを大きな展望台のふもとに下ろした。


「やっぱりデカいな。ここまで見に来たの、初めてだ」

「わたしも来たことはあるけど、上ったことはないよ」

「上るか?」

「怖いとこ、ダメ」

 観覧車を、一瞬思い出す。青龍が今日初めて、やわらかな笑顔を見せる。そうそう、これがわたしのよく知った青龍だ。


「ここは何がお勧め?」

「全然よく分からないの。えっと、元カレと来た時は『着いてきた』って感じだったから」

「ああ、真帆子、ありそう」

「酷いなぁ」


 青龍がスマホで何か調べる。

 少し間が空く。わたしは待っている。

「展望台か、ソラマチか、水族館だな。水族館に行ってみる? 平日なら空いてるんじゃない?」

「そうかも」


 青龍が「行こう」と手を引く。自然に繋がれた手は、あの日と同じ、厚みのある手だった。ぶわっと、あの日々がフラッシュバックする。

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