第18話 花火

 手前で停まったその車は、見慣れたブルーの軽自動車だった。

「何やってるんだよ、こんなに暑いのに外に出て! 早く車に乗れよ!」

 青龍は本気で怒っていたので、わたしたちはそれぞれぶら下げていたドリンクを持って、車に乗った。


「何考えてんだよ、まったく! 都会人はこんなに暑くても、散歩するのか?」

「まぁ、時と場合によっては」

「アホか! そうじゃなくても真帆子は」

「ごめんなさい! 反省してない訳じゃないの!」

「真帆?」

「真帆子、こっちに来てから一回、熱中症で倒れてるんだよ!」

 怒った青龍の剣幕に、わたしの身体は縮こまった。

 これは、本気だ。本気で心配させてしまった。


「俺が誘ったんだよ。知らなかったとはいえ、軽率だった」

「涼ちゃんは悪くないよ」

「真帆が暑さに弱いって知ってれば⋯⋯ごめん、バカだな、俺は」


 車の速度がいつもより速かった。

 青龍はエアコンの温度をぐんと下げた。

 カーステレオだけが勝手に喋り続ける。


 何も言うことを思い付かない。

「ごめんなさい」ともう一度、小さく呟いた。


 ◇


「母さん!」と玄関から青龍は伯母ちゃんを呼んだ。伯母ちゃんはたけちゃんと遊んでいたらしく、返事をするとゆっくり現れた。

 わたしは上がり框に座らされて、青龍にサンダルを脱がされていた。恥ずかしいけど、されるがままだ。反論は通りそうになかった。


「あら、真帆ちゃん、顔が真っ赤じゃない!」

「母さん、なんで外に出るの止めなかったんだよ?」

「涼ちゃんと一緒なら大丈夫かと思って」

「また倒れたらどうするつもりだったんだよ! こんなことなら」


 青龍の言葉はそこで止まった。

 抱き上げられた青龍から、フローラルな香りがする。すん、と匂いを嗅ぐ。


「下ろして、ひとりで歩けるから大丈夫! 青龍、心配しすぎだよ。涼ちゃんはわたしに優しくしてくれてたし」と、もう温まったアイスティーのボトルをずいと見せる。

 悪いのは俺だからさ、と涼ちゃんが間に入る。

 青龍は渋々、わたしを下ろした。


「わたしだってもう、子供じゃないんだから!」と大きな声を上げて、自室に引きこもってしまう。


 反省してない訳じゃない。

 軽はずみだったと思ってる。

 でも⋯⋯。割り切れない何かがもやもやする。


 とんとん、とまたノックがあって、どうぞ、と声に出す。

 そこにはまた青龍じゃなくて涼ちゃんがいて、青龍は相当怒ってるのかな、と思う。

 青龍も、過保護だ。


「真帆、アイスノン、持ってきたから」

 横たわっていたわたしの頭の下に、そっと頭を持ち上げて、それを入れてくれる。


「涼ちゃんはどうしてそんなに優しくしてくれるの?」

 バカみたいな質問だ。

 でも、自分にとって都合のいい、優しい言葉が聞きたかった。


「言ったでしょう? 真帆のことがすきだからだよ。誤解してるみたいだけど、誰にでも優しくしたりしないって。優しさも品切れするんだよ」

 ふふっとわたしは笑った。

「品切れしたら困る」

「そうだろう? だから真帆のためにいつも取っておくことにしてるんだ」


 その、耳に心地よい台詞は、何処までが本当で嘘なのか、全く分からなかったけど、わたしの心をくすぐった。

 自分が大切にされているんだと、素直にそう思えた。


「涼ちゃん、さっきの話、もうちょっと待ってくれる? もし本当の話だったら、だけど」

「真剣に考えてくれるってこと?」

「じゃないと失礼じゃない」


 涼ちゃんのすらっとした腕が伸びてきて、覆い被さるようにわたしを抱きしめた。

「本当だよ。何度でも言うよ。真帆がすきだよ」

「⋯⋯ありがとう。でもちょっと、苦しいかも」

「あ、そうだよなぁ」

 ふたり、笑った。


 ◇


 青龍はたくさん花火を買ってきて、この前の続きをすることになる。

 わたしは忠告通り、持ってきていたスニーカーを履いて外に出た。外の空気は辺りは真っ暗なのに、もわっとまだ熱気を保っていた。


「真帆子、足元は? ⋯⋯うん、良し」

 青龍に指差し確認される。

 涼ちゃんが「アレなんなの?」と訊いてきて、この間の話をする。


「青龍もほんと、不器用って言うか、なんて言うか」

「何か言ったか?」

「なんも」と涼ちゃんは両手を上げた。


 パチパチと、涼し気な音がする。

 みんなの顔が、ほのかに橙色に染まる。

 たけちゃんは伯母ちゃんと家の中からガラス越しに見ていて、明日香ちゃんが外に出てきた。


「今日は何かあったの? バタバタしてたでしょ」

 わたしたちは黙った。都合の悪いことだと、言っているように。


「あー、俺が真帆を散歩に誘って、青龍に怒られたってとこ」

「アンタ正気!? この猛暑の中」

「だから、ごめんて。でも俺、車もないしさぁ、真帆とちょっと何処かに行きたかったんだよ」

 あぁ、と明日香ちゃんは納得したようだった。


「真帆、真帆って、涼平は今でも真帆を追いかけ回してる訳だ」

「何だよ、悪いかよ」

「悪かぁないけどさ。暑苦しい」

「暑苦しい!? 明日香の感性、おかしくね?」

「だってねぇ、追われたら逃げるものじゃない」

 ねぇ、とこっちを向いて明日香ちゃんが言うので、恥ずかしくなる。


 青龍のところに消えた花火の代わりをもらいに行くと、青龍は次に出してあった針金の花火を除けた。代わりにカラフルな持ち手の花火をくれる。

「色が変わるんだってさ」と言って。


 明日香ちゃんと涼ちゃんは何だかんだ、昔から仲がいいなぁと、ふたりを横目で見ながら花火に火をつけると、いきなりシュバッと炎を吹いて、思わず「うわっ」と声に出てしまった。


「なんだよ、大丈夫かよ?」と振り向いた青龍に、「大丈夫、いきなり火がついてビックリしただけ」と答えた。

「それならいいけど、火傷には気を付けろよ」と言われて「はい」と答える。


 もっと驚いてくれるかと思ったのに⋯⋯と思って、自分が欲深いことを知る。心配されたいなんて、甘えるにも程がある。

 大体、今日だって、あんなに心配してくれたのに。


 ふわっと花の香りがした気がして、微妙な気持ちになる。今日は何処に行ったのか、聞いていない。誰と会っていたのかなんて、とても訊けない。

 青龍はわたしの物じゃないんだ。誰と会っていようと、わたしがその間、放っておかれてようと、文句は言えない。


 ――もしもわたしがこの前みたいに倒れていたら。

 倒れていたらなんだって言うんだろう? もやもやが止まらない。こんな気持ち、子供みたいだ。


「あぁ、大人の花火ってつまんないわねぇ。どうしてアンタたち、誰も喋らないわけ?」

「いやぁ、花火なんて久しぶりにしたからキレイだなって、純粋に思ってただけだよ」

「ほんとに? 涼平の言うことは当てにならないな。嘘っぽい」


 そんなことないよな、と言いながら、自分の持っていた花火を、わたしの持っていた消えちゃった花火とさらりと交換してくれる。そういうスマートな優しさに、ときめかない訳じゃない。

 涼ちゃんは、優しい。


 手持ち花火は早々に終わってしまって、線香花火に火をつける。互いに輪を作るようにしゃがんで、真剣な顔をして。


「これ絶対落ちるヤツ」と涼ちゃんは笑った。

「日本製の昔ながらのヤツなら、上手くやると本当に落ちないらしいけど⋯⋯あ、ほら落ちた」

 どっと笑いが起こる。


「あ」とわたしは火をつけた瞬間に落ちてしまって、しーんとなる。

「勝負だな」

「勝負だ」

 男って勝負すきよねぇ、と明日香ちゃんが呆れ気味に言う。


 火花が花びらが散るように、はらはらと瞬いて闇に消えていく。わたしは息を止めて、それを見つめる。

 パチパチ爆ぜていた火花は、やがて柳の葉のように枝垂れて、終わりを迎えようとする。


「あ!」

 もう少し、というところで涼ちゃんの花火は落ちてしまい、笑ったところで青龍のも落ちた。落ちない花火はなかった。少し、ガッカリする。


「最後の一本、誰がやる? レディファースト?」

「俺がやる」

 珍しく青龍が先に手を出して、わたしをチラッと見た。そこに何の意味があるのか分からなかったけど、青龍はその紅色の細い先端に火をつけた。


 花火は、さっきと同じく華々しく始まって、みんなの期待値が上がる。青龍の手は、ビクともしない。ブレることなく、垂直に花火を持っている。

 やがて花火は柳のように大人しくなって、去りゆく時間を思わせる。こういう楽しい時間は刹那的で、あっという間に終わっていくんだ⋯⋯。

 火花は段々、弱々しくなって、そして、黒い塊になった。


「すげー、落ちなかった!」

「偶然だよ」

「アンタ、才能あるんじゃない?」

「そんな才能いらねぇよ」

 散々、冷やかされた青龍はまたチラッとわたしを見た。わたしは何も言えなかった。

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