第17話  本気

「うぅ」

 なんだか頭が重い。

 でももう朝だから、起きなくちゃいけない。

 ここへ来て、こんなに寝坊したのは初めてだ。

 外から水音が聞こえる。雨が降ってる気配はしない。わたしは急いで着替えて外に出た。


「ごめんなさい!」

「真帆子、起きたのか?」

 青龍はホースの口を持って、庭の水撒きをしていた。

 首にタオルをかけて、ホースを高く上げるとその水飛沫に虹が浮かんだ。

「あとはわたしがやるから」

「もう終わるよ」と青龍は何とも言えない顔で笑った。


 キュッと青龍が水栓を閉じると、そこにはホースが蛇のように残された。くるくると収納ケースにホースをしまう。

「足元、泥、跳ねなかった?」

「うん、離れてたから」

「頭は痛くないか? 朝飯は残してあるから今、出してやるよ」とわたしとは目を合わせず、玄関から台所に行ってしまう。わたしは大事な何かを忘れてる気がして⋯⋯ああ、多分、暴論を吐いた気がした。


 何を言った?

 大切なのは何を言ったのか覚えてないことだった。

 何だかふたりに酷いことを言ったような気がするのに。


「青龍!」

 台所に青龍を追いかける。


「青龍!」

「ああ、もう準備出来るから」

「そうじゃなくて、わたし⋯⋯」

 青龍は目を見開いて、わたしの頭に手を乗せた。顔が青くなって、赤くなる。

「頑張ってみるよ」

 何を!? 何を頑張るの?

 わたし、そんなに酷いこと、言ったの?


「真帆、おはよう。よく眠れた?」

「涼ちゃん、昨日言ったこと⋯⋯」

「ああ、気を付けるようにするよ。でも、誰にでもじゃないよ。真帆だから、だよ」

 こっちも意味不明だった。何を気を付けるって?


 解けないパズルだ⋯⋯。

 うーんと、頭を捻る。

「⋯⋯なんか、ごめんなさい」

「覚えてないの?」

「はい、まったく⋯⋯。申し訳ないです」

 青龍、覚えてないってー、と台所に向かって涼ちゃんは大きな声を出した。


「え? 覚えてないの?」

 台所から顔だけ出した青龍は、耳まで真っ赤になって、その大きな手で口元を覆った。


「まぁ、いい。努力する」

「お、いいね」と涼ちゃんはにやにやして返した。


 朝ご飯はいつも通り美味しかったけど、ぼんやりして何が何やらわからなかった。

 ただ、正面に青龍が座って、片肘をついた姿勢でわたしが食べているのを見ているのが堪らない。


「味噌汁、味どう?」

「うん、丁度いいと思うよ」と言ったところで会話は途切れて、青龍は難しい顔をしている。ムードメーカーの涼ちゃんはこんな時に「二度寝してくる」と言って、部屋に戻ってしまったし。


 ご馳走様、と言って箸を置くと、青龍は席も立たずに居間にい続ける。何か用事があるのかと思って、食器を洗ってからまた席に戻る。

「あの⋯⋯失礼なこと、言ったんだよね、多分」

「いや、的をえてた」

「何を言ったか教えてくれる?」

「それはちょっと、努力しても言えない」

 沈黙。

 言ってくれないと何も分からない。


 わたしは困惑して、青龍に詰め寄る。

「あのさ、言ってくれないと分からないことってあるでしょ? わたし、ちゃんと謝りたいから教えてくれない?」

「⋯⋯言うべきなのかもしれないけど、やっぱり言えない。無口なのを理由にして逃げるのは卑怯だと思うけど」

 青龍は顔を赤くして、立ち上がった。


「青龍!」

 せーりゅー、とたけちゃんが歩いてきて、明日香ちゃんが押しとどめる。

「ごめんねぇ、ふたりで真面目な話をしてたところを邪魔して」

「いいの、だって青龍、何も言わないし」

 明日香ちゃんは困った顔をして、たけちゃんを膝に抱っこしてわたしを見た。


「言わないと、伝わらない? 言わなくても伝わることってあるとお姉ちゃんは思うんだけど」

「え?」

「確かに青龍は朴念仁で、言った方がいいことも口に出さないけど、基本的には素直でいい子だとわたしは思うのね。真帆ちゃんに対する態度を見てたって、不誠実なことは何もしてないと思うんだけど」


「⋯⋯」

 明日香ちゃんの言う通りだ。

 青龍は涼ちゃんとは違って、言葉数は少ないけどいつも優しくて誠実で。

 なのにわたしは何をそんなに不満に思ってるんだろう?

 後悔。


 ◇


 お昼を過ぎると風が出てきて、とんとん、と襖を叩く音が聞こえた。青龍かな、と思ってダラダラしてたわたしは襖をガラッと開けた。

「真帆、青龍は出かけたみたいだから、少し散歩でもしない? 外、あっついけどなぁ」と涼ちゃんが現れた。


 支度するよ、と言うと涼ちゃんは居間に向かうのが見えた。わたしは襖を閉めて、日焼け止めを残すところなく、全身に塗る。誰かさんのせいだ。


 買い物に行ったのかもしれない。わたしを置いて。一緒に行っても何の役にも立たない上に、倒れたりするから。

 残念なわたしに、ため息をつく。

 帽子を深く被って部屋を出た。


「昨日、帽子も買い換えれば良かったのに」とわたしを見るなり涼ちゃんは言った。

「内側が花柄だったり、オシャレなリボンが巻いてあったり、気の利いたのたくさんあったじゃん?」

「日焼け防止だから、これでいいの」

「そう? そんな帽子、帰ったら被らないでしょ?」


 涼ちゃんの言う通り、帰ったらお気に入りの日傘をまたさすんだろう。街中では、この帽子じゃアウトドアの人みたいになってしまう。


「また買いに行けばいいよ。俺がかわいい日傘でも買ってあげようか?」

「日傘は家にあるからいいの」

「まぁ、そうだよな。じゃあ、行こう? 日焼け止め、塗った?」

「うん、塗ったよ」


 家の前の田んぼ沿いの道をふたりで歩く。すごく暑いので、歩いてる人なんかひとりもいない。農家さんだって、家から出ていない。アスファルトに陽炎が立つ。


「暑いよなぁ、しかし。田舎に来ればちょっとは違うかと思ったんだけど」

「何処に行くにも車だったから、こんなに暑いと思わなかった」

 途中で見えた自動販売機で、よく冷えたアイスティーを買ってもらう。


「アイスティーがすきなの?」

「うん。コーヒーは苦手。カフェインが身体に合わないみたい」

「そっか。⋯⋯真帆もそうやって、溜め込んでないで言いたいこと、もっと言った方がいいよ」


 いつもと違う、茶化してない真面目な声でそう言うのでドキッとしてしまう。

「あの、やっぱりわたし、昨日、変なこと言ったんだよね?」


「高輪くん? アレはないわ。男の風上にも置けねぇ。今度会ったら殴ってやる」

「会わないよ」

 わたしは笑いながら、高輪くんの話までしたのかと、かかなくていい汗をかく。汗は瞬時に蒸発していく。


「高輪くんのことは、もういいの。何か、こっちに来て気持ちがさっぱりしたって言うか。どんどんそんな男に縛られてたわたしってバカだなって思えるようになって」

「真帆はそのままの自然体でも十分、魅力的だよ?」

「だから、そうやってまた茶化すから」


 わたしが苦笑すると、涼ちゃんは顔を伏せた。

 稲がざざんとうねって、まるで波のようだ。

「割と本気なんだけど。今回も真帆が久しぶりに来るって聞いて、すごく楽しみにして来たんだけど」

「随分、会ってなかったもんね。二年? 三年?」

「二年でも三年でも、真帆のこと、忘れたことはないよ」

「⋯⋯忘れたことはなくても、その間に他の女の子と付き合ったりしたでしょ?」

 痛いところ、突くな、と涼ちゃんは笑った。


「でもさ、真帆だってもう大人なんだから分かるでしょ? 本気かどうかってこと」

「⋯⋯本気ってこと?」

「本気だよ。小さい頃からずっと見てた。真帆は何でか青龍にくっついて歩いてたけど、俺は声をかけるのをやめないで真帆を待って」

 ふふっと、涼ちゃんは思い出し笑いをする。


「真帆の家は俺の家から通勤圏内だし、何なら真帆の家に近い方の会社を受けてもいい。そうしたら、一週間に一度は少なくとも会えると思わない?」


 涼ちゃんの足が止まったので、わたしの足も止まる。

 え、それ、どういうことかなって、頭の中で何度も繰り返す。それって、そういう意味? わたしたち従兄妹なのに?


「ずっとすきだったよ。俺と付き合わない?」


 頭の中がぼーっとして、何も考えられなくなる。帽子を被っていても、その熱は遮れそうにない。

 田んぼを渡る風が、ふたりの間を通り過ぎる。熱を帯びて。


「あの、急すぎて分かんないや。そんなの言い訳にもならないと思うけど。涼ちゃんのことはすきだし、素敵だなって思うけど、付き合うってなるともっと真剣に⋯⋯」

 その時、キキッと車の停まる音がして、「危ない」と涼ちゃんがわたしを引き寄せた。


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