我が身醜さ

@NOMOA

1-1

 私は自分のことが嫌いだ。長所など皆無、好きになる人などいようはずがない。

 私は努力ができない。大学の金、支払わなければならない税金を親に払わせている。言い訳を並べて働かない。資格試験の勉強も中途半端。

 私にはコミュニケーション能力が不足している。初対面の人の前ではうまく笑うことができない。人と話そうとすると喉の奥を強い力で握られているような感覚に陥り声を出すことができない。言いたいことがあるのに言い出すタイミングがわからない。

 私は周囲の人を見下している。髪を染めている人をみると外人の真似して何が面白いんだ、なぜプラスに要素なりえないことに金を払うのかと軽侮している。まるでそれが自身の天命でもあるかのようにように何かあればすぐカメラを向ける人をレンズを通さないとモノが見えないのかと侮蔑している。

 私は外に出ることが嫌いだ。外に出るとすれ違う人みなに笑わるから。何を笑われているのかわからないから。ふと気を緩めると涙があふれてしまいそうになるから。

 こんな私を一体だれがそばに置くことを許してくれるのだろう。さらに私は上記の事柄が特別でないことを知ってる。自分が特別でないことを知っている。現代人であれば多かれ少なかれ自己嫌悪を抱いたことがあるだろう。では周囲の人たちはどのようにして前を向いているのだろう。あるいは前を向くことなく歩みを進めているのだろうか。私はその術を知らない。私は社会に適応する術を知らない。そして社会に適することができないのだから社会から弾かれて当然ではないか。

 私は現状の原因の追及を体外に向けることはできない。原因を社会や時代や親が悪いとすることは誤りであるからだ。今の社会や時代に適している人間の方が多いのだからそれらのせいにするのは無理があるだろう。そして親に原因を押し付けるのは私の場合暴論というほかない。自分の子供とはいえ他人に多分の金と時間を注ぎ込んでくれている。幼少期から様々なところへ連れて回り豊富な経験をもたらしてくれた。今私の社会や時代、両親への思いは感謝と謝罪である。「こんなにも自由のある社会でありがとう。今この日本という場所でうんでくれてありがとう。そしてこんなに素晴らしい世界、両親に対して何も貢献できなくてごめんなさい。」


 私という人間は何を胸に将来人生を歩んでいるのだろうか。今更社会に復帰することはできるのだろうか。このまま他者を巻き込みながら時間と金を浪費し続ける社会に対しての敵へとなり果てるのという終末の可能性が一番高そうである。私はこのままではいけない。変わることもできない。であれば死ぬしかないのではないだろうか。 私は今までの人生で個人はみんなのため為すべきことを精一杯為すことが正しいと教わった。one for all, all for one. 私はこの考えに大いに賛成するところである。目の前に自分のことしか見えていない人がいるとどうしようもなく腹が立つ。だからは私は死ぬべきなのだ。消えるべきなのだ。この社会から。みんなのために。それはみんなのプラスになるべく死ぬのではなくマイナスにならないために消えるのだ。正解だろう。最適解だ。包括的に絶対的に論理的に正解だろう。

 しかし私は努力できないのだ。私の怠惰がそれを阻む。自分の生を自分で絶つというのは簡単なことじゃない。私は臆病なのだ。私は正しいことを為すこともできない。だから私は誰かに為してもらおうと考えた。しかし他人に迷惑をかけてはいけない。なので線路に飛び出したりするのは論外だ。ここで考えるのはどういう死に方がベストかということだ。one for all, all for one.私は待っている。待ちわびている。誰にも迷惑をかけず、そして誰かのために死ねる。そんな死に場所を。

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