星空を見上げる三つ葉のクローバー
名月 楓
第1話「愛」
深い、深い喜びのうちにあった。暖かい脈動が私の命を祝福する。草原で横たわる他の二人を見ることはできないが、確かにそこにいるのだと言う温もりを感じることができた。
だから、あぁ、私は、
私は、幸せであった。
◆◆◆◆◆◆
私と晴人、有紀の三人は幼稚園からずっと一緒の親友であった。休日は誰かの家でゲームをして、宿題は三人で解いた。
「うわ、また負けたぁ」
「ふふ、まだまだだねっ」
悔しがる晴人に勝ち誇る有紀、それを見て笑う私、それがいつもの光景で、中学に入ってもずっと一緒だった。
「来月でもう3年生かぁ」
「確かに、いつのまにか高校生になっちゃうね」
そうだね、と少し悲しそうな声色で返すとそれに気づいたのか晴人がこっちを向く。
「やっぱ高校はあっちになるのか?」
うん、と肯定する。その声色はきっとさっきよりも哀愁にみちていただろう。来年度から父の他県への転勤が決まったので、私は中学卒業を待ってからそれについていくことになっていた。だから、この三人の関係はそこでおしまい、そのことを意識すると自然と声のトーンが下がってしまうのだ。
「寂しくなるね」
有紀の言葉につられて晴人も口が重くなる。落ち込んで欲しいわけじゃないのに。そうは思うけれど、私だって悲しいから一緒に落ち込んでしまう。いつだか星空の下でした、ずっと一緒だよ、の約束は、守ることができなくなってしまった。
「で、でもさ!全く会えなくなるわけじゃないだろ?」
私はうん、と返す。連休中なら遊びに来れるし、夏休みだってある。
「じゃあ大丈夫だよ!」
晴人らしい元気な声で私たちはいつも励まされてきた。今日もその一つみたいだ。そうだね、と私と有紀の声がハモって、ついつい笑ってしまう。
ああ、幸せだな。
そんな幸せも、どんなに前向きでも、終わってしまうのだ。
******
終わりの始まりは、夏休みから始まっていたように思う。
いつも通り遊んでいたある日、晴人が突拍子もないことを言ってきた。
「なぁ、三人でどこか別の場所で生きてかないか?」
一瞬生じた静寂に投げられた爆弾を、私は抱えて眺めることしかできなかった。
「できたらいいけど、中学生三人には難しいよね。それに周りに納得してもらうのも難しいし」
「そ、そうだよな。ごめん、気にしないでくれ」
私と有紀は訝しみつつも、晴人の気にしないでくれ、の一言を信じて特に掘り返さずにゲームを再開した。
その次は夏休み明けに、さらに次は数日後に、晴人は私たちといるためにこの社会という檻から逃げようと必死になる様子が見られた。
有紀と二人でこのことについて話し合ったが、きっと私がいなくなることが耐えられないのだろう、という結論に至った。事実、そのころの晴人は帰るころに暗くなることが多かった。きっと残された時間の短さを実感してしまっているのだろう、それが私たちの結論だった。だから私たちは、私たちにできること、うんと楽しく、うんとたくさん遊ぶことにした。
それから、たくさん遊ぶ日々が続いた。けれど、晴人の顔から、雲がいなくなることはなかった。
******
初雪が私たちの街に訪れ、景色を真っ白に染め上げる12月のある日、私は晴人に呼び出されていた。指定された場所である体育館裏は、風がない分まだマシだったが、体の芯まで冷えるほど寒く、防寒具を用意した自分に感謝していた。冷たい体をさすり、摩擦熱で体を温めていると、晴人が現れた。どうしたの?何かあったの?と言うや否や、晴人は突然私に抱きついてきた。不快感はない。しかし、何故?と言う疑問が頭の中に駆け回りパニックになる。そこに追い打ちをかけるように、晴人が口を開く。
「好きだ、付き合って欲しい」
私は驚いた。晴人が私に対して恋慕を寄せていただなんて。有紀は気づいていたのだろうか、私だけが知らなかったのだろうか。
いずれにせよ、私の答えは決まっていた。私の返事は暖かいものではなかった。冬空に浮かぶ雲のように。私の答えは白く冷たかった。その答えを聞くと、晴人は何も言わないまま私から離れ、校舎へと走って行ってしまった。
私たちをつなぐ一つの友情が、綻んでしまったような気がした。
申し訳ないことをしてしまったのだろうか、けれど、私たちは友人で──
そんなことを考えていると、後ろから有紀が声をかけてきた。
「外は寒いね」
私は急に後ろに人が現れたことに驚きつつ、いつからいたの?と返す。しかし、有紀はそれに応えることはなく、真剣にこちらを見て口を開く。
「今夜、星がよく見えるらしいよ。だから裏山集合ね」
そして私の横を通り過ぎるように、立ち尽くす私を置いて校舎へ戻って行った。何が起こったのだろう、と混乱しつつも、その日の夜を迎えた。
◆◆◆◆◆◆
夜の裏山は格段に冷えた。いくら星がよく見えたとしても、暖かい家にいるべき気温であったが、私は行かざるを得ないと言う義務感のようなものに駆られていた。頂上の草原に着くと、先に有紀だけが月明かりに照らされて立っていた。
お待たせ、と声を掛ける。しかし、返事はなく、なんだか様子がおかしい気がする。表情が見える位置まで近づくと、彼の顔はとても冷たくなっていた。
「もう全部、崩れたんだ」
その声からも、温かみを感じない。けれど、その言葉は体にスッと入る。崩れた、終わってしまった。それが体の中で反響する。次の瞬間、有紀がこちらに向かって抱きつくのかと思いきや、腹部に温かさを感じた。ぬるりとした感触を味わうと同時に、猛烈な痛みと痺れを感じてその場に仰向けに倒れ込む。
「瀬奈なら、わかってくれるよね」
この言葉もまた、スッと入る。今、有紀の気持ちを理解できている。こうするしかなかったのかもしれない、こうするべきだったのかもしれない。腹部の温かみに手を当てながら有紀を見上げると、おもむろに薬を取り出して口に含む。するとパタリ、と倒れ込む。有紀は有紀で、自分の道を選んだのだろう。そこから数秒もしないうちに、誰かが駆け寄ってくる音が聞こえた。
「おい!大丈夫か!おい!」
その声は紛れもなく晴人の声だった。薄れ行く視界では顔を区別することはできないが、美しい星の瞬きが私の視界を埋めている。
今、ここに三人がいる。
本来ならば、得られなかった最期。
それならば、これは幸せなんじゃないだろうか。
私は今、深い深い幸せの内にいるのだ。
そこに愛はない、けれど、友情は確かにある。
音すらも聞こえなくなった暗闇の中、私は幸せに包まれながら、意識を手放した。
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