第一章 幸福な世界

第1話

 夢から覚めるとき、わたしはいつも泣いている。

 それが何の夢か、誰の夢かは、大体分かっている。その夢の内容を思い出さないために、わたしは決して目を閉じてはいけない。

 今朝も両頬に涙の冷たさを感じたとき、ああまただ、とわたしは懸命にまぶたを開いた。

 また見てしまった――わたしは、目尻にのこった涙を手の甲で拭う。

『チカちゃんおはよう!』

 クリアになった視界から、天使のアバターが現れる。視覚野に繋がれたARインターフェースが起動し、いつものように「幸福」な情報を届けてくれる。

『今日はまだ少し眠そうだね。でも学校にいく時間だから頑張ろう! 今日の天気は晴れ、最高気温は30℃だよ! 暑いと思うから日焼け止めと日傘を持っていくのがおすすめ!』

 朝から元気なその声は、人間のストレスにならない周波数に設定されている。昔の人は母親に起こされていたという話を愚痴っぽく言うが、どっちが嫌なのか、わたしには良くわからない。でも意識が始まった瞬間から、言葉をつらつらと投げられるのはどっちも面倒なことに変わりない。

『体温は36.6℃、正常だね! でもちょっと心拍が速いよ? 緊張してるのかな?』

 余計なお世話だよ。

 私はため息をついて、ベットから降りた。天使に文句を言っても仕方ないから、無視をするしかない。耳を塞いだって、天使は脳にいるから意味がない。

『HALOは39.4。すこし低いね! 今日はゆっくり休んで、カウンセリングしてもらう? 一応リストを広げておくね!』

 天使が視界の下半分に、診察可能なカウンセラーリストを展開する。わたしは制服に着替えながら、慣れた手つきでそれを下にスワイプして、削除する。朝の役目を終えた天使は、それでやっと消えてくれる。


 HALO。

 人間の幸福度を示す数値。わたしたちの脳に通された、天使の輪っか。

 制服に着替え、化粧台の鏡に自身を映す。相変わらずひどい顔だ、と思う。これじゃあHALOの数値を見るまでもない。わたしは鏡から目を逸らし、化粧台の上に立てかけた美しい姉の写真を拝む。姉は制服姿で軽いピースをし、愛らしい笑みを浮かべている。

 その首に輪っかが通ったのは、一年前の、彼女が二十歳になったときだった。

 

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