第7話

 僕はボルボをなだめすかすように旅を続けた。瀬戸内海から山道を抜けて日本海にでた。エマと一緒に旅した山陰から北陸へと車を走らせる。エマとの思い出をトレースするように走った。こんなところが自分のうじうじしたところだとわかっていたけれど、気がついたらエマと一緒に廻った旅を一人で繰り返していたのだ。

 こんな情けない一人旅をしているのは、全部自分のせいだということはわかっていた。とにかく切なかった。エマに逢いたかった。エマの髪をなでながら眠りたかった。なのに――エマを追いかけなかった自分を責めつづけていた。

 時折、車を停めて日本海や里山やそこに暮らす人たちを撮影した。何を写しても、ファインダーから見える風景はよそよそしくみえる。同じ場所を旅しながら、この前は横にはエマがいた。それを想うとやりきれなさで心が縮む。

 エマからも何度も電話が入った。その度にスマホをスワイプして電話に出ようともしたのだけれど、指は動かなかった。やすしさんや恵子さんや、親父やお袋からの着信が増えていった。数え切れないほどのラインの着信が来ていた。そのどれにも返信することがないまま、既読スルーだけが増えていく。

 やがてボルボは新潟に着いた。

 僕は写大時代の先輩の伝手を頼って、新潟市内の写真スタジオでアルバイトをさせてもらうことにした。このスタジオの経営者大輔さんは、僕より一歳年上で、百年続くこのスタジオの経営者として、地元ではちょっとした顔になっているらしい。僕の仕事は学校アルバムの撮影や編集なんかだ。時々婚礼やパーティーのスナップ撮影なんかにも、カメラマンとして出張っている。結局僕にできる仕事はやっぱり写真に関することだけのようだ。

 新潟についてから、大輔さんは僕をしょっちゅう居酒屋に誘ってくれる。この街に来て二月ほどが経った頃、大輔さんが、いつもより厳しめの口調で言った。

「翔太ぁ、おまえさ、実家に帰んなくてもいいのかよ。お前も老舗写真館の三代目だろ。実はな、昨日お前の親父さんから電話があってさ、えらく心配してたぜ。あちこち連絡とって翔太がここにいるってことを探し当てたみたいだ。まあ従業員の――なにさんだっけ? そうそう愛子さんの件は、もし俺の会社で同じことがあれば俺だって落ち込むよ、そりゃあ。でもな、このままここで、ぐずぐずバイト続けていく訳にもいかねえだろう。親父さんに詫びいれてさ、彼女にもやり直してくれって、頭さげてさ……」

 大輔さんは五杯目のハイボールを濃いめと言って注文した。なんだか大助さんとやすしさんは似ていると思った途端、無性にやすしさんにあいたくなってしまった。

たしかにこのまま、ここで厄介になりつづける訳にはいかないのだ。大輔さんと呑むたびに、僕とエマがなんで別れることになったのか、なんでこんなところでうろうろしているのか、よく判らなくなってくる。自分がどれほどうじうじした人間なのかを再認識するだけ。僕の性格が、エマとの関係を破壊するほどだとは、思ってもみなかったのだ。こんなことを毎週飽きることもなく繰り返していた。

 なにも決めないまま、行動しないまま、カレンダーの月が新しくなり、違う風景写真が見えても、僕は動かなかった。あの夜のように。

 なんでエマを追いかけなかったのだろう。僕の尻はバーのスツールに張り付いたままだった。追いかけたら、何かが変わったのかといわれるとそれはわからないけれど、少なくとも行動したことにはなったはずだ。(スターダスト)のマスターも「翔ちゃん、おいかけなよ」って強い声で言ったけど、ぼくはやっぱり動かなかった。

 ぼくの中にはこんな自分を変えなければ、と思う気持ちは不思議と湧いてこなかった。そんな気持ちすら湧かないほどに、僕は自分の薄汚れた座布団の上に座り込んでいた。まるで年老いた猫のようにだ。

 それからもしばらくは新潟に留まったままだ。短い秋があっという間に通り過ぎると毎日鉛色の雲が空を覆い、すぐに霙交じりの雪が降り始める。雁木の下を歩く人 たちの姿がみんな茶色になってゆく。

 年が明けて、学校アルバムの編集作業が佳境を迎えていた。昨日も深夜までパソコンにしがみつきながら作業を続け、帰ったのは夜中二時だった。

 朝、テレビのニュースでは、長い名前の豪華客船で正体不明の感染症が発生したと、全部のチャンネルが同じ話を繰り返していた。

大輔さんのスタジオに出社すると、スタッフ全員がその話をしている。なんだか、遠い惑星から宇宙人が攻めてきた、みたいな話に現実感が湧いてこない。

 すぐにこの得体のしれない感染症は、豪華客船から漏れだすと、街にあふれ始めた。

 新潟の町々で開催される予定の成人式が、軒並み延期になった。感染症の専門家が、朝から晩までテレビに出て、パンデミックという言葉が瞬く間に流行語みたいになり始めた頃、大輔さんがこの人には珍しいほどの深刻な顔で言った。

「翔太、えらいことになりそうだぞ。撮影の予約がバタバタとキャンセルになり始めてる。お前んちのスタジオだって、おんなじことになってるはずだよ。いいか、翔太、もうぐずぐずしてる場合じゃないんだ。すぐに実家に帰れよ。帰ってお前んちの「サンライズスタジオ」を守んなきゃ。この商売、人と人との接触なしでは、撮影なんか出来っこないんだ。生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ。いいか、早く帰れ」

 ぼくは、大輔さんの言葉に背中を押されるように、ボルボのイグニッションを回して、雪の降りしきる新潟の町をあとにした。

皮肉なことに、感染症の蔓延が、僕に行動する勇気をくれたらしい。


 途中、高速道路のサービスエリアに車を入れると、やすしさんに電話をかけた。

「生きてたか、翔ちゃん。いまどこにいるんだ?」いつもと変わらないやすしさんの話しかたが、僕には小さな焚火のはぜる音みたいに、心地よくとどいた。

「そっちへ向かってるよ。ごめん――心配かけてて」

「そんなことより、親父さんとお袋さんが、かなり参っているみたいだよ。とにかく早く帰って来いよ。あと、エマちゃんも、待ってるからな」

 僕は二度ほど休憩を取りながら1,000キロ以上の道のりを走り続けた。次の日の昼前、ボルボをエマのカフェの駐車場に入れたけど、広い駐車場には、エマの車だけがぽつんと止まっている。

 カフェのドアを開けると、カランカランというカウベルの音が店内に響いた。

カウンターに立っていたエマが、大きめの口を開いて、「おかえり」って声にならない声で呟く。

 僕は、どんな顔をしていいのかわかないまま突っ立っていると、エマが駆け寄ってきて僕の首に大きく広げた両手をまわしてきた。エマを強く抱きしめると、背中の骨がてのひらのなかできしむ。エマの頭を抱く。髪をなでながら唇を重ねる。お互いの体温がじわりと伝わり合うのがわかった。

 お客が一人もいないカフェを閉めると、僕達は「サンライズスタジオ」に向かった。

 マスクを着けた親父もお袋も、なんだか老け込んだみたいな気がして、もう一度ここに居場所をとり戻すには、少しばかりの時間かかりそうな気がする。スタッフのみんなも、なんだか申し合わせたように自然に振舞ってくれるのだけれど、知らない親戚の家によばれたように、僕は戸惑っていた。

「翔太、あんたすこし太ったんじゃない?」そう言いながら、お袋が入れてくれたほうじ茶が、冷えた身体を暖めてくれるにしたがって、少しずつ、所在なさがほぐれてゆくのがわかった。

 そこへ、タイミングを合わせたように、やすしさんが恵子さんと光ちゃんを連れてやってきた。僕を見つけた光ちゃんが、横にくると、いつもとかわらず手をつないでくる。ずっと会ってなかった時間は、光ちゃんには関係ないみたいで、僕にはそれが嬉しかった。

 光ちゃんに、途中のサービスエリアで買ってきた、ご当地ゆるキャラのぬいぐるみを渡すと、開いた唇から涎が垂れたけど、恵子さんのハンカチは間に合わず、涎はたらりとぬいぐるみに落ちるのが見えた。

 僕と親父とやすしさんは、これからの写真館営業はどうすればいいのか、なんかについて話し合ったけど、何一つアイディアは出なかった。だれもこれから世の中がどうなってゆくのかなんて、わかりっこないのだから。

     


 翔太がボルボと一緒にいなくなってから、あの時、翔太に肩を貸してあげられなかった自分の馬鹿さ加減に腹がたっていた。朝から晩まで忙しく働いていても、朝から晩まで翔太のことばかり考えていた。意味もなくサンライズ・スタジオに顔をだしたり、やすしさんのスタジオで、光ちゃんと遊んでみたりするけれど、この街のすべてが翔太に結びついていることを再確認しただけで、自分に対する憤りはむしろひどくなっていった。

 冬の瀬戸内に雨が降る日は、よけいにやるせなくて、カフェから眺める夕暮れすら恨めしかった。ところがある日、翔太のハハウエから電話があって、彼が新潟のスタジオでアルバイトをしている、と聞いた時から、今度は翔太に思い切り腹がたってきたのだ。自分ではなく翔太への憤りだ。みんなこんなに翔太のことを心配してるのに、あいつは一体何を考えてるんだって思うと、このまま新潟に乗り込んで、引きづって来ようかとすら考えているところに、カフェに家族連れで遊びに来たチビが言った。

「エマさぁ、気持ちはわかるけど、ちょっとの間、そっとしておいてやんなよ。翔太はきっと帰ってくるさ。男にはさ、女にはわからない、そんな時代もあるもんだから」なんて演歌の歌詞みたいな、判ったようなことを言うものだから、このチビ、分別臭い事言いやがって、と腹の中で毒づいてみたけど、家に帰って考えてるうちに、翔太の性格を考えれば、帰るにして帰らないにしても、時間がかかるのだと思いなおして、すこしだけ落ち着きを取り戻したのだ。

 年末が近づいてきて、去年の今頃は翔太と一緒に旅をしたことを思えば、また切なさがあふれ出してくる。この年は、暮も正月も休まずに店を開くことにしたのだ。

 夜一人でスターダストに行っても、マスターのジョークが耳を通り抜けてゆく。赤いカクテルも、苦みだけが口いっぱいにひろがって、振られた女の一人酒、みたいな、それこそ演歌の歌詞を地で行ってる自分が嫌になってくる。

 ときおり居ても立っても居られないほどの気持ちになって、その場で座り込んでしまったりもした。私の気持ちは、折れ線グラフみたいに、翔太への想いと怒りが、上がったり下がったりしながら、時間は確実に通り過ぎていった。


 そんな時、なんだかよくわからない、そしてわからない分、とんでもなく怖ろし気な感染症が、あっという間に世の中を覆い尽くし始めたのだ。有名人が死んだとか、今日の死亡者は何人で感染者数は何人です、みたいな話でテレビ番組が埋め尽くされ、そのうちCMもACジャパンに取って代わられた。

 S市市民病院で看護師をしている母親の話では、病院の外にプレハブが建てられ、感染の疑いのある患者はそこで検査をしてから、陽性の場合は救急車に乗せられ、H県の中央病院に送られるのだと言っていた。家族すら会うことができないらしい。連日夜遅くまで働いている母親の顔には、深い疲労がこびりつき始めていた。

 カフェのお客さんは、みるみるうちに減っていく。ウエブサイト制作の営業活動にも支障が出始めた。創業から二年、右肩上がりだった売り上げが、ついに下がり始めた。

 S市からは、飲食店の感染予防のため、パーテーションを設置することが推奨されて補助金も出はじめる。わたしはチビに頼んで、店内に座席を仕切るアクリル板をつけてもらったり、消毒液のポンプを店先に置いたりと、厚生労働省のホームページをみて、できる限りのことをした。でも、お客が一人もいない店の中を見渡すと、そこには翔太と一緒に仕上げた店とは全く違う、殺伐とした風景がひろがっていた。

 なんでこんな時に翔太がいないの、わたしに一番必要なのは、アクリル板でも消毒液でもなく、翔太のやわらかな肩だけなのに。

 

 三月に入ってすぐ、突然翔太が返ってきたのだ。カフェの入口で立ち竦んでいる翔太を見ると、「おかえり」という言葉は声にはならなかった。初めて翔太の胸で泣いた時みたいに、ため込んでいた感情が、濁流が堤防を押し流すみたいに決壊した。 

 わたしは声をあげて泣いていた。翔太は私の頭をなでてくれる。背中に翔太の手の温もりを感じる。私の唇に翔太の唇が重なる。温かな唇が溶けるようにわたしと一体になった。

 なにも話さなくてもいい、と云うのは、こうゆうことなんだ。そこにいるだけでいい、という意味が初めて分かった。

 私たちは、翔太のボルボでサンライズ・スタジオへ向かう。年老いたボルボも、今日はなんだか気持ちよさげに走っている。

     


 大輔さんが言った通り、スタジオの予約はスカスカになっていた。例年なら卒園や卒業、入学の記念写真で賑わうはずの店は、こんなに広かったっけ、と思うくらいに閑散としている。エマのカフェも同じような具合で、お客さんも、アクリル板で仕切られた席からは、海に沈む夕陽を眺めるという気にはならないようだった。

 緊急時対応宣言が出てから、SNSには、県外ナンバーの車の写真を晒したり、なかには感染者を特定するような書き込みがあふれてきた。皆一様に、怯えを誰かのせいにしたがっているようにみえる。愛子さんがスタジオ・レンブラントのホームページに憎悪のこもった書き込みをした件以来、僕はかなりナーバスになっている。毎日やり切れない気持ちで、そんな書き込みを見ていた。見なきゃいいのにと思いながらも、見てしまう自分がさらにやりきれなかった。

 僕とエマは、家から歩いて十分の天満宮へ行ってみることにした。

鳥居の周辺には「疫病退散」と書かれたのぼり旗が何本も春風にはためいている。境内に入ると、感染症が広がっている中でも、最期の望みを神頼みに賭けた受験生の姿がちらほら見えた。僕たちの姿を見つけた宮司の山階さんが、大きなマスクを着けて社務所から出てきた。

「おお、翔ちゃん、ちょうど良かった、電話しようと思ってたんだよ」

「ご無沙汰しています。なにかありましたか? 婚礼もしばらくは無いみたいだし‥‥」

「いやね、こんど疫病退散のお守りを作ったから、写真を撮って、エマちゃんにうちのホームページにアップしてもらおうと思ってたんだよ」さすが商売上手な宮司さんだ。こんな時でも、神様は商売になるみたいだ。

「わかりました。ヒマで死にそうなんです。やらしてください」

 そんなことをしながら、感染の流行が第三波、四波と通り過ぎてゆくのを、ただぼおっとしながら耐えていた。この街の色々な場所も変わり始めている。商売をやめる店もあった。倒産した会社もあった。うちの店も、やすしさんの店も、コロナ融資という銀行借り入れをして、なんとかしのいでいたのだ。

      


 翔太が返って来てからは、何をしていても楽しいし、なんでもうまくいく気がする。

 マンションで二人で飲むメーカーズマークすらも、知らない間に熟成が進んだみたいに美味しくなった。(そんなことはないはずなのに)カフェで珈琲をドリップしても、翔太のいない頃より奇麗な泡がたった。この街の飲食店は軒並み休業していたから、スーパーで食材を買ってわたしが晩御飯を作った。どうせカフェにお客は来ないから、当分の間営業時間を短縮したのだ。

 スターダストは、感染症の中でもむりくり営業を続けている。マスターから、お客が来ないから、たまには顔を見せてくれっていうLINEが来たから、私は翔太とやすしさんを誘ってスターダストに行った。

 スターダストのカウンターの上には、ペラペラのビニールがぶら下がっていた。どうやら感染予防の真似事らしい。まあ、うちのカフェだっておんなじようなものだけど、これをやらないと、飲食店の休業補償金がでないのだから、仕方がないのだ。

「みんなで暗い顔しててもしょうがないから、今夜はぱあっとやろうよ」私はこの店で一番強いカクテルを注文する。

 最初の飲み物が三人の前に置かれるとすぐに、やすしさんの愚痴が始まる。

「翔ちゃん、俺、嫌になっちまったよ。まだ店を出した時の借金が終っていないのに、また大きな金を借りてさ、一体いつになったら返せるのか、先が見えないよな」

「うん、それはうちも一緒。そうそう、親父がさ、この感染症が落着いたら、僕に社長を変わろうと言い出したんだ。最近親父もめっきりやる気をなくしてるんだよ」

「いいじゃないか、そんなタイミングだよ。俺はさ、光があんなだから、とにかく長くこの商売をやり続けなきゃならないんだよ。でも、恵子とよく話すんだけど、俺たちが死んだら、光はどうなるんだって思うと、やりきれないよ」

「ちょっとォ、あんたたちね、ぱあっとやろうって言ってるそばからそんな話ばっかりして、少しは前向きな話はできないの!」危うくまた、翔太を𠮟りつけるところだった。

 マスターが自分用のウイスキーを、ロックグラスにどぼどぼ入れると言った。

「前向きかどうかわからないけど、少しずつ感染者は減って来てるみたいだよね。俺もあと少し、あと少しって、なんとかやってるけど、一年後はどうなってるんだろうなあ」

 また悲観的な話に戻って行った。

 それでも私は、横のスツールに座っている翔太の肩を確認するたびに、嬉しさでお酒がすすんでいるのだ。その夜も私たちは、すこし激しめのセックスをした。

なんだかコロナが始まってからの私たちのセックスは、以前より間違いなく回数が増えていた。それは、お互い仕事が暇で時間ができた、ということも有ったけど、それ以上に翔太の何かが変わり始めていたのだと思う。翔太が私を求める頻度が確実に上がっていたのだ。


 世の中をつつんでいたアルコール臭い霧が、徐々にではあるけど薄らいでくるのがわかった。カフェのお客さんもまた増え始めているし、翔太ややすしさんのスタジオの撮影件数も、だいぶ戻ってきたみたいだった。テレビは相変わらず感染者数のグラフを示しながら、専門家の警告めいたコメントを垂れ流しているけれど、少なくとも、私たちの住むS市の景色が、元に戻り始めている。

 モエさんの(ハナミズキ)も、ミエさんの(スナック夕暮れ)も元気に営業している。道で会ったモエさんは、コロナ太りした肉感的なお尻を、もう限界! と思えるほどピッチリしたタイトスカートに包むと、ピンクのレース模様のマスクをかけ、相当時間を費やしたであろうアイメークで、中年男の劣情を誘っているらしい。

 海の景色が秋めいてきた。

 カフェのテラスから見える瀬戸内の夕暮れも、また前と同じ真っ赤な夕陽を、小島の浮かぶ海に落している。しばらくお休みしてもらっていたバイトの子たちも戻ってきて、ランチタイムは満員になってきた。

 翔太のスタジオの七五三キャンペーンが終わりに近づいた頃、私たちは、ハナミズキの小上がりに座っている。

 久しぶりのハナミズキで、翔太と二人で飲み始めた。

 相変わらずお酒の弱い翔太をよそに、テンションの上がってる私のビアジョッキは次々と空いて、四杯目のおかわりをした頃、いつもよりよくしゃべる翔太の話を聞きながら、今なら、と思った。私はこの機を逃すまいと、翔太に詰め寄った。

「そろそろ、結婚しようよ」

 私は固唾をのんで翔太の答えを待った。優柔不断な翔太は果たして‥‥。

「うん、しよう」

「えっ、しよう、ってエッチするって話じゃないんだけど――」

「ああ、わかってる。結婚しようぜ、エマのお袋さんにもちゃんと挨拶してさ、式は天満宮の神前式で、写真はやっぱり、やすしさんかな。エマのカフェで友達集めて披露宴もしよう」

 何という事だろう! 目の前の翔太が、優柔不断の皮をかなぐり捨ててサクサクと物事を決めている! あまりのことに、逆に狼狽えるわたし。すぐに体の奥の方から得も言われない喜びがせりあがってきて、小上がりのテーブルにあふれ出した。 続いてあふれ出した涙で、目の前の翔太の顔が霞んだ。おもわず立ち上がって「私たち、結婚するよー」って叫びそうになったけど、にこにこ笑っている翔太に止められた。

                  つづく


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