第4話
それは僕にとってもやすしさんと恵子さんにとってもやりきれない事件だった。僕の家族にとってもだ。これは完全にとばっちりだった。
その書き込みを見つけたのはエマだった。「スタジオ・レンブラント」のサイトやあちこちに掲載されている店舗情報のクチコミに誹謗中傷が突如あふれ出したのだ。ウインドウに山際さんの写真が飾られていたことが発端のようだった。
スタジオ・レンブラント、最悪!あそこで写真写すと死ぬって
写真でタマシイとられるってか(笑)
レンブラントのウインドウに飾られると死神に取りつかれるらしい
S市の写真館、呪われてるw
S市商工会のえらい人の写真、そこに飾られてた 自殺したらしい
その人の自殺はホント! こないだテレビでやってたのみた(笑)
ウインドウに飾ってあったおばあさん、謎の死らしいw
それ友達の親戚のおばあさん やっぱりか!
ノロイ、こわ!
書き込みに便乗したやつらが次々と乗っかって、いやらしいコメントがどんどん膨れ上がっていた。ラーメン屋や居酒屋の炎上はちょいちょい見かけるけど、写真館みたいにめったに利用されることの無い店をディスる、っていうのは聞いたことが無かった。一体誰にこんな書き込みをする動機があるんだろう。
僕はエマと一緒にやすしさんの店へ行った。丁度恵子さんが光ちゃんのお迎えを終えて帰ってきたところだった。いつものように光ちゃんが僕の手を握ってきたけど、僕には握り返してあげる元気がなかった。不満げな光ちゃんに、エマがバックの中から自分のカフェのイルカグッズを取り出して握らせると、にたりと笑った唇からよだれが垂れて、すかさず恵子さんが拭った。
僕たちは店のPCの画面をやすしさんと恵子さんに見せた。二人は黙ったまま顔を見合わせている。
「これだったんだ‥‥‥」そう言って恵子さんがあちこちに赤ペンで×が書かれた予約表を見せた。
「二日前から、急にキャンセルが入りだしたのよ。最初は気にも留めなかったけど、だんだん増えてきて、さっきもなにが起こったのかって、二人ではなしてたの」
「ねえ、やすしさん、なんか思い当たることない? 最近クレームがあったとか、誰かとトラブルになったとか」
「そんなもんあるわけないよ。この書き込みにあるおばあさんて、多分佐伯さんのおばあさんだよな、恵子? 去年遺影写真を撮っておきたいっていうことで撮影したら、えらく気に入られてさ、よかったらウインドウに飾ってちょうだいって言われたし、とっても品良く写ってたから飾っておいたんだよ。その佐伯さんのおばあさん、こないだ病院で亡くなって、リボンを着けた遺影を届けたよ。でもさ、亡くなった年齢は八十八歳だよ。呪いなわけないだろ。いつ逝ってもおかしくない大往生の歳なんだから――家族もいい写真だって、すごく喜んでたし。こんなことするはずがないさ」
「この書き込み、なんだかかなりの悪意というかレンブラントに対する憎悪を感じるよね。
最初はよくある同業者の攻撃かもって思ったけど、ここと競合するとしたらうちのスタジオくらいだし。やすしさん、どっかの呑み屋とかでやらかしてない?」頭の中でハナミズキのモエさんの顔がうかぶ。
「バカヤロ、あるわけないじゃん――なあ恵子」恵子さんは横目でやすしさんを見ている。
「でさ、こんなもん消せないのかい? この業者に言って」
「それがかなり難しいの。これを消すためには掲載しているプラットフォーマーに依頼するんだけど、まず依頼には応じてもらえない。それに誰が書き込んだかもわからないし、それを調べるためには、開示請求っていう面倒な手続きを弁護士を通してしなきゃならないけど、何カ月かかるかもわからないのよ。
出来ることはただ一つ。嵐が通り過ぎるのを待つことだけ」デジタルリテラシーの高いエマが解説すると、絶望感が漂った。
「エマちゃん、そんな事してたら、うちのスタジオが潰れちゃうよ」
「ただこの手の話はすぐに忘れられてゆくもんなの。下手に反論なんかしたら、火に油を注いで、さらに炎上するのよ。だから今はこちらからは動いちゃダメ」
「‥‥‥私、キャンセルしてきたお客さんに全部電話して、根も葉もない書き込みだって話してみる。私にできることはそれくらいだもの」恵子さんは光ちゃんの手を握りながら深刻な顔で言った。
「ですよね、私たちも手伝います」それから二十軒ほどのお客さんに片っ端から電話をすると、半分ほどのお客さんが事情を理解して予約を入れなおしてくれた。でも半分は無理だった。中には縁起でもないから電話しないでって、バチっと電話を切る人もいた。
その夜、見るからにへこんでいるやすしさんを誘って、僕とエマは駅前のバー(スターダスト)へ行った。恵子さんも元気出して行っておいでと送り出してくれた。
スターダストのカウンターでやすしさんがタンカレージンのロックを舐めながら話し始めた。
「なんで俺んちみたいなちっちゃいスタジオを虐めなきゃならないんだろうなあ。世の中病んでるやつがいっぱいいるんだな、まったく」
「そうね、こんなことする人って、自分の「今」にものすごく不満を持っていて、それを誰かにぶつけることで解消しようとしてんのね。解消なんてできるわけも無いのに。そのやり場のない不遇感とか薄幸感のはけ口であんなことしてんのよ。質が悪いのはそんなことする連中は、自分が正義だと思ってること。誰にも知られずに誹謗中傷で正義を実行してると。だからそんな連中を相手にしても、何にも得られるものなんてないでしょう。思い切り腹は立つけど」
「そうだよな、めちゃくちゃ腹立つし、今後の営業を考えると不安だよ。恵子はこんな時にも意外と気丈だから平気な顔してるけど、俺、結構ビビりなんだよ」
「知ってる」やすしさんが僕を横目でにらんだ。
「今夜は飲みましょうよ。明日は水曜日でここにいるみんなの店が店休日だし。ここであれこれ考えてもね。マスター、わたしに何かカクテルお願い」エマが無理くりテンションをあげようと声を張った。
「はいよ、みんな今夜は沈みがちだから、派手目なのいっちゃおうかな。パンチの効いたやつ」
「おッ、いいね。派手な赤とかピンクのカクテルがいいな、わたし」エマは酒がとても強い。
しばらくは他愛もない話でわずかにもりあがったけれど、話はいつのまにか山際さんの事件の事になっていった。
「山際さんて、とかくの噂がある人だったけど、私は本当にお世話になったのよ。いまカフェをやれているのも、ライターとして仕事できるのもみんなあの人のお陰なのよ。なんで死ななきゃならなかったのかなあ。奥さんやお嬢さんもとっても仲良かったし」
「でも山際さん、(夕暮れ)のママとできてたんだぜ」マスターが云うとやすしさんが、
「男はさ、それとこれとは別なんだよ」
「あっ、恵子さんに言ってやろう」
「馬鹿、一般論だよ。でも会社が行き詰まってるときに、外に女を作るって云うのはなかなか図太い神経してるよな。そんな図太い山際さんが自殺するなんてすごい矛盾してると思わないか? 俺が山際さんのポートレイトを撮ったのは、ほんの二カ月前で、その時は全く気配すらなかったんだけどなあ」
「そうそう、あれは商工会のホームページに掲載するからって、山際さんに顔写真を一枚お願いしますって頼んだら、まさかやすしさんのスタジオで本格的なポートレイトを撮ってくるとは思わなかったし」エマは細い喉をあげて、三杯目のザクロのカクテルを飲み干した。僕はまだ一杯目のダイキリをちびちび舐めている。
「本当は自殺じゃなくて、他殺だったりして」
「エマちゃん、好きだよね、この手の展開」マスターが四杯目のカクテルをシェイクしながら云う。しばらく四人で思いつくままミステリアスな推理をまき散らすと、その夜は解散になった。やすしさんもさすがに(スナック夕暮れ)でカラオケやろうとは言いださなかった。
木曜日、僕は店の朝礼で「スタジオレ・ンブラント」の書き込みについて話をした。親父はこの理不尽な話にカンカンに怒って、見つけたらただじゃおかないって息巻いている。お袋は「うちは大丈夫かねえ」と心配そうに手をこすっていた。
僕はみんなに、時々うちのスタジオの口コミを見てくれるようにお願した。昼前に恵子さんがうちの店にやって来て、「いろいろご心配をおかけします」といって手製のチーズケーキを持ってきた。
「スタジオ・レンブラント」の書き込みは店が休みの間にまた増えていた。僕は一日に何度も見直しては、その度毎に苛立ちを募らせている。時々、書き込んだ奴を刺激しないように注意しながら、「スタジオ・レンブラント」をフォローする書き込みをしてみたけれど、二時間もすると僕の口コミにはドサドサと音をたてて新しい口コミが乗っかってきた。
僕のメッセージは瞬く間に悪意の渦に飲み込まれてゆく。さすがに嫌気がさして、当分静観することにした。
日曜日は、朝から春の日差しが空気を温めて、すこし暑いくらいの陽気だった。店の前の花壇に植えられたチューリップが赤、白、黄色というように、童謡の歌詞みたいに並んで咲いている。
ボルボに婚礼撮影の機材を積み込んでいると、恵子さんが白いシャツに黒のパンツ姿で現れた。腰には美容師が使うポーチ。パンツのポケットにはたくさんの着付け用のクリップが挟んである。今日は一日中、愛子さんとともにアシスタントをやってもらうことになっている。愛子さんは一足先に天満宮で新婦の着付けをサロンド結の貴子さんと始めているはずだ。
天満宮の駐車場に車をおくと、機材を降ろし始めた。そこに丁度サロンド結の貴子さんが美容室のスタッフと現れて、こないだ僕が無視して走り去ったことをグチグチ言ってくる。「まあ、今日はおめでたい婚礼だから」と受け流してから、忙しそうにして、すでにチェック済みの機材をチェックした。
今日の婚礼は白無垢に色打掛、白いウエディングドレスに赤いドレスとフルスペックの婚礼だから、息もつけないほどのハードスケジュールだ。やすしさんも、集合写真撮影と披露宴でのスナップを御願いしてある。
最近の婚礼は前撮り撮影をすることが当たり前になってきてるけど、今日の新郎さんは、海外に駐在しているそうで、この日のために新婦の実家のあるこのS市に帰ってきてるらしい。すべての撮影を一日に詰め込むのは久しぶりだった。
天満宮に付属している如水会館で着付けがはじまった。ある程度着付けが出来上がったところからメイキングフォトの撮影が始まる。
僕は愛子さん、恵子さんと一緒に着付け室に入って撮影を始めた。新婦のメイクや鬘が出来上がって、カシャカシャ撮り始めたけど、いつもなら「ちょっと、待って。こっちからも撮って」とか、「鏡越しのシーンも」とか細かく口を出してくる愛子さんが、部屋の隅でぼんやり突っ立っている。ひとしきりこのシーンを撮り終わって部屋の外に出た時、愛子さんが廊下の端っこで立っているのが見えた。
「愛子さん、どうしたの? 具合でも悪い?」恵子さんが訊いてもうわの空で生返事をかえすだけだった。
それから怒涛の一日が始まった。白無垢に角隠しという衣装で神前式が始まる。新郎さんはもちろん紋付き袴。祝詞をあげる神主さんの邪魔にならないように、あちこちと回り込みながら、シャッターを押してゆく。しかし、この国の結婚式って云うのは、とことん衣装にこだわる。それも新婦の衣装だけ。今日一日で四度も衣装を変えるのだ。その度にヘアもメイクも変わる。まあそのおかげで、写真屋も美容師もやっていけるわけだけど、お嫁さんも一生に一度(必ずしもそうじゃないけれど)の大イベントに全身全霊をかけている。旦那さんはただカメラマンに言われるとおり、すこし面倒くさそうに、うろうろしながら新婦の晴れ姿を眺めている。
神前式が滞りなく終って、神社の前庭で親族を含めた集合写真を撮る。ひな壇や前列の椅子は、やすしさんがすでに整えている。
薄曇りの空から、お誂え向きの光線が神社の庭に降り注いでいる。参列者がひな壇に並ぶと、新郎新婦が正面の椅子に座る。普通は、ここで愛子さんと恵子さんが新郎新婦はもちろん、全員の襟元や足の置き方なんかを直していくのだけど、愛子さんはカメラを構えているやすしさんの後ろに立って、ぼうっとしたままだ。
その分恵子さんが走り回って、参列者の着付けを整えてゆく。すべての参列者の晴れやかな笑顔が決まった所で、やすしさんがシャッターを何枚か切った。
ここからまた如水会館の大広間での披露宴が始まるのだ。着付け室では、白無垢から色打掛へのヘアチェンジが始まっているはずだった。その時恵子さんが僕の耳の横で不安げに囁いた。
「翔ちゃん、愛子さんがいないのよ」
「さっきまでいたよ。トイレとかじゃなくて?」
「うん、どこにもいないのよ。しかも駐車場に愛子さんの車もないみたい」
「まったくこのクソ忙しい時に何やってんだよ」ここで苛立っている暇はなかったから、とりあえず僕らは、色打掛の写真を撮り終わると披露宴会場へと入った。どこにも愛子さんはいなかった。
昼飯も食わずに披露宴のエンディングまで撮りきると、機材を積み込んで店へ帰ってきたのは、赤く膨らんだ夕陽がすとんと海に沈む頃だった。
カメラからマイクロSDカードを取り出して、データを外付けハードディスクにコピーする。やすしさんが撮ったデータも処理し終わると、そこにエマが入ってきた。時計を見るともうエマのカフェの営業時間はとっくに過ぎている。
エマの顔を見たお袋が嬉しそうに云う。
「エマちゃん、こないだのレンブラントの口コミ、その後どうなってる?」
「そう、それで来たんですよ。なぜか昨日の夜中を境に新しい書き込みがガクッと減ったんですよ」
「あら、それは良かったじゃないの」
「そうなんですけど、私の推理では、犯人は日曜日には書き込みできない理由、例えば仕事とか家庭とか、がある人物じゃないかと思うんですけど‥‥‥」
「僕の推理によれば…そんな人、この町だけでも何千人もいますけど」僕が混ぜ返すのを無視してエマは顎に親指と人差し指でVの字をつくると、コナンみたいに続けた。
「それと口コミの書かれてた曜日と時間を見た。すると一番多いのは火曜日の夜から水曜日にかけてなんだよ、翔太君」
「あのね、この界隈の商店は大体が水曜日定休。うちだって……」
「翔太、ちょっと黙って!」と言うとお袋までが腕を組んで何やら推理を始めている。
その時お袋が思い出したように云った。
「そういえば、愛子、どうしたんだろうね。さっきから電話も出ないし。翔太、あんた何か聞いてないのかい」
「愛子さん、どうかしたの?」エマが訊いた。
「それが、さっきからいないんだよ。婚礼撮影の途中からいきなりいなくなって」
エマはまた指をVの字にしてなにか考えている。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます