第2話
翌日それは(なんかあった)どころじゃなかったことが判明した。
僕が二日酔いの眠気と闘いながら、画像のレタッチ作業をしていると、うちの親父が店の中へ飛び込んできた。
「おい、翔太。商工会長の山際が飛び込み自殺したぞ! 車ごと岸壁からとびこんだらしい。いま副会長から電話があって見にいったら、岸壁に警察やら消防やら、いっぱい来てたんだ。町中大騒ぎになってるぞ」
「うそ! 昨日の晩、(夕暮れ)で会ったんだぜ。確かにいつもと全然違って、元気なかったけど、あの後ってこと?」
「なにい? お前ゆうべ山際に会ったのか。どんな話してたんだ。詳しく聞かせろ」親父はなんだか嬉しそうにすり寄ってくる。
「いや、ほとんど話らしい話はしなかったなあ。僕もやすしさんも結構酔っぱらってたし。でもいつもの山際さんとは大違いで、ずっともの思いに沈んでたみたいだった」
「おい、お前らが店を出た後に飛び込んだとしたら、(夕暮れ)のママが最後の証人かな。でもお前らも警察行って話してこなきゃならないだろう。すぐ行ってこい!」
親父はめったに発生しないこの街の異変に興奮して、テンションが上がっている。
「この後、天満宮で婚礼写真の打ち合わせがあるからさ。もし警察から連絡があったら行ってくるよ」それを最後まで聞かずに親父はちょっと不満げに店から出ていった。きっとあちこち回って情報を集めにいくのだろう。
入れ違いにお袋が来てやっぱり浮ついた表情で聞いてきた。
「あんた夕暮れで誰と吞んでたの?」
「やすしさんとふたりで。山際さん、なんだか思いつめた様子で、話しかける雰囲気じゃなかったんだよ」
「やっぱりね、あの人の会社、最近いきづまってまってるらしいって噂は聞いてたけど、自殺するほど追い詰められてたんだねえ。それとさ、(夕暮れ)のママと怪しい仲だって噂もあったらしいのよ。それでママが山際さんの自宅に怒鳴り込んだって話だよ。あそこは姉妹揃って怖いねえ。だからあのママが何か知ってるじゃないかってみんな言ってるよ」
親父もお袋も、短時間の間にどこでそんな話を仕入れてきたんだ。
春の陽気のなかで眠ったようなこの小さな町の噂は、瞬く間に広まっていた。
天満宮で来週の日曜日にある婚礼挙式撮影の打ち合わせにいくと、宮司の鷹階さんがやっぱり浮ついた表情をむりやり強張らせて、僕の腕をつかんで話しかけてくる。
「さっき親父さんから聞いたけど、翔ちゃん、昨日の晩、山際会長と吞んでたんだって?」
親父のヤツ、もう電話しまくってる。
「いやいや、そうじゃなくて、たまたまやすしさんと行ったら、カウンターで山際さんが一人で呑んでて、ばったり会ったっていうだけなんですけど‥‥‥」
「そうなりゃ、翔ちゃんが最後に会った人間ということになるんじゃないかい。で、どんなようすだったんだい? (夕暮れ)のママもいたんだろ? あいつら怪しいって噂だったから、痴情の縺れってやつで……」
「宮司さん、なに想像ふくらませてんですか? そんな事より打ち合わせしましょうよ」
「ってたって、こんなドラマチックな話はこの町じゃめったにないからな。それに山際もとかくの噂のある男だったから、いまからいろんな事実が出てくるぞ」宮司さんは嬉しそうに扇子をばたばたとあおっている。
婚礼の打ち合わせは浮ついたまま終わった。僕はなんとか最低限の打ち合わせを済ませると神社の駐車場に向かった。
ちょうどそこに入ってきた軽四は、サロンド結の貴子さんだ。天満宮の婚礼ではうちのスタジオと一緒に、着付けやメイクを担当している美容室の経営者だ。
玉砂利を跳ねとばしながら、かなり乱暴に車の頭を突っ込むと、ドアを開けっぱなしにしたままこちらに走ってきた。
「ちょっとちょっと、翔ちゃん、あんた昨日山際さんと呑んでカラオケで盛り上がってたんだって? 明恵さんから聞いたわよ。でもさ、カラオケ歌った翌日に自殺するもんかねえ。でどんな話してたのよ?」マシンガントークにのけ反りながら、こうやって噂には尾ひれがついてくるんだと考えながらも、だんだん面倒くさくなってきて、貴子さんを置き去りにして僕は車に乗った。走り出した車を貴子さんの声が追いかけてくる。
「こめん、ちょと急いでるもんで、また電話しまあす」
もう! という声と舌打ちを残して僕は、「スタジオ・レンブラント」に向かった。
やすしさんは、ウインドウに飾られていた、山際さんの写真額をはずしているところだった。
「おお、翔ちゃん。びっくりしたよな。まさかあの後、ドブンとはなあ。まあ中へはいって。さっき夕暮れのママからも電話があって、警察で事情聴かれたらしいぞ。俺達が帰ってからすぐに山際さんも一人で店をでたらしい。もしかしたら俺たちも警察に呼び出されるかもな」
僕はあからさまにうんざりした顔を見せると、やすしさんも、まあいいか、と言って山際さんの写真額をはずした後に、半年前の婚礼で撮った写真を飾った。
「山際さんの写真、いい感じなんだけど、ウインドウに飾っておくわけにはいかないよねえ」
「そうなんだ。さすがにね。でもさ、俺達、山際さんになんか話しかけてあげてたら、思い止まったかも知れないなんて考えたりしてさ。すごく後味悪いよな」
「二日酔いでフラフラのところに朝からずっと山際さんの話で、吐きそうなんだよ」僕はやすしさんちのトイレに駆け込んだ。
トイレから出ると恵子さんが両手首を腰に当てて言った。
「あんたたち、いつまでもだらだら呑んでるからそんな目にあうのよ。二人とも今度から二次会は禁止だからね」
瀬戸内海に面した、明るい光につつまれた町に発生した事件は、その日の午前中にはほぼ全町民の知るところとなっていた。僕は山際さんに最後に会った人間の一人として、いたる所で質問攻めに合い、まるで事件の関係者みたいになっていた。
それから、まっすぐにうちには帰らずに、海沿いの国道を西に向かって車を走らせた。
西の高台にある展望台まで来ると車を停める。この高台に立つ白い灯台と海あかりに照らされた空が瀬戸内特有の光をあたり一面に振りまいている。街から見ると、この灯台のある崖の先は垂直に切り立って海に落ちている。海の上では、漣が空の光を反射して無数の筋をきらめかせていた。
カメラを出すと何枚かの写真を写し、コンビニで買ったアイスを舐めながらベンチで山際さんのことを考えていた。
山際さんはこの町にある唯一の大型書店を、パルルという地元のショッピングセンターのテナントとして経営している。パルルの理事長もやっている。そのほかにも不動産屋や介護施設なんかも所有していて、この町じゃやり手の経営者と謂われている人だ。商工会の会長もつとめているから、いわゆる地元の名士だった。市長選に出たがっているという噂もあながちない話ではないけど、かなり強引なやり口でトラブルも聞こえている。うちの親父なんかも、山際さんのことを良く言わなかった。
(夕暮れ)のママとの関係もそこそこ知られていて、一時間ほど離れたO市のラブホテルに入っていくのを見られたりしていようだ。でも彼は浮気性な反面、家族にはとてもやさしくて、奥さんや一人娘の皐月さんと出かけている姿を僕もよく見かけていた。
山際さんの事件、翌日の新聞には、警察は自殺と事故の両面で捜査していると書いてあった。海中から引き上げられた白いクラウンも載っている。
やすしさんは、山際さんの遺族に頼まれて、ウインドウに飾ってあった写真を黒い額縁に入れて、黒白のリボンをかけると自宅に届けに行った。遺体は司法解剖に廻されるということで、まだ自宅には戻っていなかったそうだ。
額に入った写真を見た山際さんの奥さんと娘さんが泣き崩れる姿を見て、前の晩、一緒に(夕暮れ)にいたとは言えなかったらしい。
すぐに山際さんの社長室から遺書が出てきて、自殺ということになったようだ。
うちに帰ると親父がまたうるさく話しかけてきた。
「さっきな、商工会で話を聞いてきたところによると、山際の奴、パルルの補助金を使い込んでいたらしいぞ。あいつの本屋もかなり厳しいって話は知ってたけど、使い込みとはなあ」
パルルというのは地元の商店主たちがあつまって、国の補助金をあてにして二十年前にできたショッピングセンターだ。山際さんはこのパルルの理事長もしている。パルルもキーテナントの食品スーパーが撤退して、何度か入れ替わったりしたけど、三十分ほどのところに巨大ショッピングモールができて、とどめを刺された。ほんとうなら国に返すはずの補助金を、パルルの理事長の山際さんが横領してたらしい。
田舎町にはよくある話。でも、あのひと自殺するほど気が弱いようには見えなかったけど、人間追い詰められるとまともな精神状態ではなくなるって事なんだろう。
「ところでな、天満宮の宮司が言ってたけど、山際は(夕暮れ)のママとできてたって話は有名だけど、お前、なにか感じなかったか」
「ぜんぜん! 普通に水割り作ってカラオケいれて、ママも(さざんかの宿)とか歌ってたよ」
「なに、さざんかの宿か。ありゃあ不倫の歌だな。「あなた明日が見えますか」ってやつだ。山際のやつ、どうやら明日は見えなかったんだろうなあ。こりゃあ、まだまだなにかあるぞ」
この馬鹿親父。たぶんこれから「さざんかの宿」の話をあちこちに新着情報として話して回るんだろう。際限なく尾ひれをつけながら、しばらくはこの話題で楽しむつもりらしい。
グレイのアーガイル模様のセーターを着た親父は、禿げた後頭部をてからせて、またどこかへ出かけていった。僕はこの禿げ頭を見る度に、どんよりする。
それから半日、僕は撮影データのレタッチ作業に集中した。
そろそろ卒業や入学の春が近づいて、スタジオにも新入園児や入学記念写真の予約が入り始めている。うちのスタジオのスタッフたちも、入学シーズンに備えて写場の模様替えを始めていた。
僕がいるこの写真館「スタジオサンライズ」は創業六十年の地元ではまあまあの老舗だ。
港の近くを通る県道沿いに店があって、この道は天満宮の参道として昔からにぎわっていたらしい。前の道路を東に向かって進むと天満宮の鳥居にぶつかる。天満宮はその裏山全体が広大な社域になっていて、この地方ではここで結婚式をあげるカップルがたくさんいる有名な神社だ。天満宮だけあって、入試のシーズンには、合格祈願の絵馬が所狭しと飾られている。
うちは県道の港側に店があって、二階に二つのスタジオがある。一階は二方がガラスで囲まれた明るい接客スペースと、画像処理やアルバムの仕上げをする部屋が一つ。その奥にスタッフの休憩所兼物置がある。
一階から螺旋階段を上がると、衣装を飾った部屋、着付け室が並び、奥には自然光を取り入れた明るいAスタジオと、窓の無いBスタジオがある。
親父がじいさんから代を引き継いで、渾身のアイディと銀行からの多額の借金で作ったスタジオだ。その時「あけぼの写真館」から「サンライズスタジオ」に名前を変えた。
目を凝らしてレタッチ作業をしていると、メイクや着付けを担当している愛子さんが、
「翔ちゃん、こないだの杉木さんのお嬢さんの写真、さっきお母さんから電話があって、本人の希望で、できるだけ痩せて見えるように修正してってリクエストがあったよ」そう言うとポストイットをMACの端っこに貼って出ていった。愛子さんも僕が中学の時からのスタッフで、今では一番の古株だ。太めの身体をピッチリした白シャツに包んでいる。いつも胸のボタンが飛びそうで、愛子さんがスタジオで、お客さんの足元の位置を直そうとしゃがむたび、はらはらさせられるのだ。
うちのスタジオは愛子さんにカメラマン三年目のハルちゃんと、パートアシスタントの茂美さん、親父とお袋に僕を加えた六人で切り盛りしている。
愛子さんが貼っていったポストイットを確認して、杉木さんのファイルを開くと撮影後、モニターを見せながら選んでもらった画像が十枚ほど開いた。そうそう、この子は大柄でかなりぽっちゃりしていたんだ。撮影する時も、なんとかスラリと見せようとライティングやポーズに苦労した子だった。
画像処理で痩せて見せるのはそんなに難しい事じゃないのだけれど、やりすぎると面変わりしてしまうから、ぎりぎり3%程度ほっそりさせてみる。帯の前で組んだ手が大きく見える。これも少し小さめに治してあげる。この作業を十枚の画像すべてでやるのは結構骨が折れるのだ。
今どきの写真館は、こうやって画像を加工しながらも、加工したことを、本人にすら気づかないようにしなければならない。「実物より美しく」がモットーだ。
その日は、夕方までひたすら画像処理をし続けた。目の奥がスンスンと痛む。
電源を落とすと暗くなったディスプレイに自分の疲れた顔が映り込み、ずっとみてると画面の奥に吸い込まれそうになってきた。
つづく
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