冥命採集班

Suger Rusk

瀬良 涼太

 波打際。森との間の砂の上で、汚れた紺のスーツを着た、一人の男が倒れている。その横には、また別の一人の男が立っている。周囲の綺麗な紺碧こんぺきには少し似合わない、黒色こくしょくのスーツ姿だ。紙袋を手から下げている。

 倒れていた男が起きたようだ。スーツの男と何か話しをしている。どんな話をしているのだろうか、ここからでは距離があって、聞き取ることが出来ない。

「おいお前、早く前に進んでくれねぇか?」

 後ろから、男特有の野太い声が聞こえた。

「あぁ、すみません…… 」

 直ぐにまた脚を動かし始める。ここ数日、数十日、ずっと階段をのぼり続けていたような気がする。いくつもの島々の間を縫うように造られた、先の見えない純白の階段を。この階段は、一体どこまで続いているのだろうか。この階段の先には、一体何があるのだろうか。気になって顔を上げたとしても、目に映るのは、力無さげに前を歩く、数人、数十人の後頭部だけだ。実際そうだった。

 前を歩く男に、

「ここは一体どこなんですか?」

 といてはみたが、返事どころか見向きもしてくれなかった。あの時は、声が届かなかったのだろうか、ただただ返事をしたくなかっただけなのだろうか、判らない、解らない。

「おい、また足が止まってるぞ。早く進んでくれ。お前の前の人、もう数十段上まで登っているぞ。ゆっくり登るんじゃ、登りにくくてかなわん。」

 また野太い声だ。顔をあげると、返事をしてくれなかった前の男の背中が、かなり先にポツンと見えた。

「すみません、前詰めますね。」

 この空間では、人との会話をすることが出来ないのだろうか。前の男が返事をしてくれなかったのは、そのためなのだろうか。あぁ、ダメだ、全く判らない。

「だから、遅いぞ。」

「すみません…… 」

 ん? 待て。今思えば、後ろの男とは会話をすることが出来ているでは無いか。なんだ、ただ前の男が口を聞いてくれなかっただけじゃないか。なんなんだ、あいつは。返事くらいしてくれたっていいじゃないか。こんな訳の分からない場所にいて、一人が不安で話しかけたのに返事もなしじゃ、余計不安になるだろ。

「あのなぁお前、早く進めって何度も言ってんだろ。どうしたんだよお前。ここまでずっと同じペースで進んでいたのに、一度立ち止まってからずっとこの調子じゃねぇか。なんだ? そんなにあのスーツの兄ちゃんが気になるのか? 惚れちまったのか? ん?」

 後ろからの強い圧を感じた。

「あぁ、いえ、すみません。 少し考え事をしていて…… 」

 少しイラッとしたが、大分語気を弱めて答えた。

「にしても、私たちはどうして階段なんて登っているのでしょうか。」

 後ろから、大きな笑い声が聞こえた。

「どうしてだ、ってそりゃ、俺たちが死んだからに決まってんだろ。なんだお前、死んだこと覚えてねぇのか?」

 ……死んだ? この俺が? いつ? そんなわけが無いだろう? なぜ俺が死ななければならないのだ。

「わ、私が死んだなんて、そ、そんなことあるわけないじゃないですか…… 」

「なら、なんで俺たちはこんな訳の分からん場所にいるんだ?」

 すかさず後ろの男が言う。それも、なにか確信を持っているように。

「な、なんでと言われましても…… 今、それをあなたに尋ねた所でして…… 」

 全く判らない。俺が気がついた時には既に、この階段を登っていて、頭が回り出した頃に、目に写ったのがあの砂浜の男二人の姿だ。どうしてここにいる、どうしてここにいるんだ、俺は。解らない、判らない、解らない、判らない……

「おーい、また足が止まってるぞー。進めー!」

 後ろからまた声が聞こえた。冗談のような言い回しだ。

「すみません。何度も何度も。」

「なんだ、また考え事か? 自分がなんで死んだのか考えてたのか?」

「まぁ、そんなところです。 ……なぜあなたは、私たちが死んだと確証が持てるのですか?」

「なんだ、本当に覚えてねぇのか。」

 驚いたような、呆れたような声で、男はそう言った。

 俺は本当に死んだのか? ……まさか、な。

「俺は癌で死んだからな。死んだと確証を持って言える。ちゃんと家族に見送ってもらったからな。ほら、俺の鞄に大量の贈り物が入っているだろ。これ、全部家族が棺桶に入れて一緒に焼いてくれたんだぜ。見てみろ。」

「あ、あれ? 痛たたた…… 」

 後ろを向こうとしたその時だ。首が体の半分以上後ろに回らない。寝違えた時のような痛みが走る。それだけでは無い。後ろを見ようとした時、何かに頬を押されたような、髪を引かれたような。

「もしかして、後ろ見れねぇのか? ……ほんとだ。マジで後ろ見れねぇ。まぁいいや。というか、お前の荷物少ねぇな。そんだけか?」

 ……言われて気がついた。腰に鞄を巻いていたことに。中身を確認してみると、写真と苺のお饅頭、黒く変色した、一、二…… 三十六本のバラの花束だけだ。これが、俺の棺桶に入れられて焼かれたものなのか。たった、これだけ。記憶が曖昧だが、俺には家族もいなかったのだろう。薔薇なんてどうせ、葬儀場の人間が哀れんで入れてくれたものだろう。写真に何が写っているのか気になるが、白く曇っていて、二人の人間の影、ということ以外は、全く分からない。

「あぁ、なんか、少ねぇとか言ってすまんかったな。 まぁ、俺が死んでここにいるってことは、お前も死んでんだ。だから、足をとめずに進んでくれー」

「あぁ、すみません。昔からの悪い癖で…… 考え事をしていると、つい足が止まってしまって。あれ、」

 考え、事。

 俺は、仕事で、悩んで、いて、横断歩道で、足が止まって、トラック、に、轢か、れ、て、

「あ? 兄ちゃん、どうした? おーい、返事しろー。」

 男の声が霞んで聞こえる。声が出せない。視線を動かすことすら出来ない。考えることさえも……





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