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 玄関だけで二十畳はありそうな、天然木材を使用した上がり框に足をかけて家にあがる。裾の広がる袴に似たワイドパンツを履いているつがるは様になる和風建築だ。一方のジーンにはまったく似合わない。シャツのボタンを二つも開いた上に、よれたデニムという出で立ち。こいつは取引先の社長と顔を合わせる緊迫感というものを知らないらしい。父と会った今朝はボタンをきっちり締めてネクタイまでつけていたくせに。


 執事の先導に従い、私たちは縁側の廊下を歩いた。庭先には鯉が泳ぐ池があり、ぐにゃりと曲がった松の木が植えられている。情緒あふれる庭だ。あの鯉のうち何匹かは防犯用の監視カメラ付き人工魚だし、松の枝も不審者対策のレーザービームを内蔵している。安堂人工業は人造人間の技術開発と販売が主な商売だが、機械産業界隈では超がつく大手だ。人工物ならだいたいは出資しているので、家族を守るものともなれば金は惜しまない。

 家族を守るためならば。

 息子をどら呼ばわりする与識先生でさえ、家族にかける愛情は本物だ。そこに血のつながりがあるかどうかなんて気にしない。自分が決めた家族は守り抜くと、あの人はそう決めて、息子たちにも遵守させている。だから私や珠貴さんは与識先生とは血のつながりがなくとも、職場のスタッフ以上にかわいがってもらえている。


 大事にされている。


 私も、元とはいえ、夫だった天明さんが大事だった。命に代えても、あの人を守りたいと思い続けていた。

それなのにどうして、あの人を殺してしまったのか。意志ではなかった。けれど、体がそうさせた。そうとしか説明しようがない。けれど体は私の意志によって動くもの。ならば、私がそうすべきと選択したのだろう。


「あ? 何してる愛理、くっつくな。心人の兄貴が見たら泣くだろ」


 くっつきたかったわけじゃない。考え事をしていて、目の前のジーンに気づかなかったのだ。開かれていた引き戸へ招かれるつがるとその部下を見て、着いたのかと理解した。

 安堂人工業社長宅の子どもの部屋にしては、なんとまあこざっぱりとしているのか。部屋の広さだってだいたい八畳くらいか。畳敷きである。フローリングじゃないことに掃除の大変さを鑑みるけれども、どうせお手伝いさんがやるのだと考えながら入室した。

 足裏が畳に触れた瞬間、私はおもしろいくらいに分かりやすく転んだ。


「何やってんだ、愛理」

「見たら分かるでしょ、転んだのよ」

「かがまなきゃならないなんて面倒な……心人の兄貴の嫁じゃなかったら無視してるのに」


 連中にいつもの悪態をつきながら起きあがろうと、畳に手をつく。が、体が動かない。

 なんだ、これ。

 たとえるなら、畳全体が巨大なネズミ捕りの罠のような感じだ。手足にひっついた粘着シートが、獲物の自由を許さない。逃れるなんてまず無理。一生、死ぬまでこのまま放置されるか、生きているあいだに見つかっても殺されるかの二者択一。


「ふん」とめずらしくつがるが鼻で笑った。

耳ざとく聞きつけたジーンが兄を見上げる。「何笑ってんだ、兄貴」

「オレが来るまでもなかったなと思ってな」


 つがるはそう書いた端末の文字を消して、運転手に何かを命令した。うなずいたその人は、抱えていた袋を床におろす。畳の上には、布団がすでに敷かれていた。というより、故人のものだ。朝起きてたたまずにそのまま放っておいて、主が帰れぬことを知らないまま、一週間ずっと帰りを待ち続けていた。

 水色のボタニカル柄のシーツに、袋が寝かされる。チャックに指先をかけたその人をつがるが止めた。


「嬢、動けるか。お前にこれを任せたい」

「これって、なに」

「チャックを開けて欲しい」

「私じゃなきゃだめなの」

「だめだ」


 前文を消さず、迷うことなく書いた。つがるの真意は相変わらず私には読みとれない。

 畳に這いつくばりながら、私は四本足の昆虫のごとく前進する。四本足の昆虫か。脚を二本も奪われては、満身創痍に違いない。実際にそれくらい傷ついた体を持つものの速度として、私は布団の横に移動する。動けば動くほど、押しつぶそうとしてくる圧力に頭が負けそうになる。やがて畳に頭部をぶつけ、こすりつけながら進んだ。髪型もメイクもあったものじゃない。念のため聞いてみた。


「私のこと、何やってるんだろうって、二人とも思ってない?」

「見てて飽きないやつが家族になるって楽しいな、ってのは兄貴の意見。おれも同じだ」

「バカみたいって思ってない?」

「バカみたいなことに命を懸けられる女じゃなきゃ、心人の兄貴も惚れてない」


 惚れなくてよかったのに。あの人だって、もしかすると私の意志に殺されるかも知れないのに。怖がって嫌ってくれたらよかったのに。……嫌われたら、ちょっと傷ついたかもしれないけど。

 ジーンの指示に従って、チャックを探した。指先でそれをつまむと、すべりの軽いチャックは簡単に引き下がっていく。来た道を戻るように、チャックを下方へとすべらせる。


 そのとき、廊下から足音がやってきた。


「呪医、わたしの子どもはっ」

「今からだ」


 ジーンが代わりに答えると同時に、大きな柏手が一つ鳴らされる。


 つがるだった。呪医の名家、鷹丘家の一人息子が行う降霊術など、その程度のもの。たったそれだけと言ってしまえるほど、簡単で、省略されて、傍目に見れば誰もがバカにされていると思うほど雑多極まりない。

 異常な圧力として実感していた私がすべてから解放されることがなければ、私だって信じていなかった。


 鷹丘つがるの降霊術。


 室内によどみ、覆っていたすべての重みが集約され、向かうべきところへ入っていく。かえっていく。新たに創り出された体へ、入っていった。袋の中に横たわる、合成人間の中へ。


 目を疑った。起きあがる少女を見て、二の句が継げなかった。

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