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 仕事終わりの憩いの場として、珠貴さんと円花さんに教えてもらったお店がある。店主の名字が『拝島』なので店名も本来なら『haijima拝島』となるはずだったのだが、LED照明が形作る店名は『haijin廃人』。これは父の暴走を止めた息子たちが誤って照明を割り、それが営業初日でもあったのでやむなくそのまま店名にしたという不憫な話とセットで語られる。


 お店の種類としてはたぶんバーかな、という曖昧な説明に首を傾げたら、頼めばなんでも作って出してくれるというすてきなお店らしい。与識先生から体調の悪い日はそこで食事をして帰ってこい、自分の飯はなんとかするからというお言葉もいただいて、体調が良好の日でもたまに通っている。

 色濃い木目調の扉を押し開くと、カウンターが右側にあって、左側にはカウンターを真正面に迎えたソファ席がある。ガラステーブルを二つ、通路分だけ開いて並べてある。


 入り口から遠い席に居を構えているつがるの隣に座らせてもらった。バーじゃないならスナックの雰囲気で、先に来店していたつがるのそばに私が近づけば接待にしか見えない。


「やめろ。お前が隣に座ったなんてところ心人が見たら泣くだろ」

「いろいろ話があるの」

「よけいに誤解を招くからそういう言い方もよせ」


 即座にレスポンスを見せてくるつがるにいさめられて、少しだけ距離を置いて再度ソファに腰を下ろす。私が落ち着いたところで、カウンターから出てきた蜜緒みつおがいつものようにベリーミックスティーを運んできてくれた。足腰を冷やさないように膝掛けを貸してくれるし空調も高めに設定してくれる。そんな細やかな気遣いができる本人の容貌でもっとも目を引くのは、バーテンダーファッションにお似合いの長い金髪だった。


「受付嬢がいらっしゃるって連絡したら、すぐ来るから帰らせないように仰せつかった。愛理嬢、心人兄さんが来るまでは帰らないように」

「私が店に来ようと来まいとあの人だって常連でしょう」

「そりゃあ弟が経営する店だから」


 のんびりと蜜緒はカウンターへ戻っていく。琥珀色の照明が雰囲気を作るカウンター席には珠貴さんと円花さんという、店にも雰囲気にもお似合いの美女カップルが座っていた。二人が並んでカクテルのグラスをこつんとぶつけたり肩を抱いたりするだけで、映画のワンシーンになる。


「二人くらい美人に生まれたかったな」

「気にするな。お前には胸がある」


 雰囲気をぶち壊す文言をつづったタブレットをひっつかんでぶん投げたところは、お店の奥の手洗いルームに通じる扉だった。しかもそこが開いて、あろうことか出てきた人が端末を見事にキャッチ。つがるの端末は傷つくことなく返ってきた。

 すべては彼らの兄のおかげである。


「つがる、愛理の良さは胸だけじゃないだろう。もっと気の利いたほめ言葉の百や二百、探せばいくらでもある」

「珠貴と比較したんだ」

「人の良さは比べるものじゃないよ」


 五分はやく生まれただけの兄に対して、つがるはめずらしく口を使って「けっ」と悪態をついた。それも本気じゃないって心人さんは分かっているから笑うだけ。心人さんの態度がそんなだから、私もそれ以上ひどいことはしない。


「それで、いろいろ話ってなんだ。食事がてら聞かせてもらおうじゃないか」


 蜜緒がつがるの夕食にあたるお寿司を運んでくると、端末にそんなことを書いた。部位の違うマグロが三種、いくら、ウニ、エビ、それと卵が六つ。ただしすべて軍艦巻き仕様で、それでいて海苔ではなくなんとローストビーフというぜいたく品だ。卵も焼きじゃなくて卵黄のしょうゆ漬け。請求金額の多さは誰もが父譲りだ。


「今朝ね、先生のところに検死の依頼があったの」


 変死体は各管轄区域の大学病院が担当することになっている。その地区にそうした大学病院がない場合、大手の病院が請け負う。けれど人手不足などでその病院も受け入れられない場合、また管轄警察官の身内に医療関係者がいる場合、そうしたつながりで検死を依頼される個人病院が少なくない。

 最上医院もそうだった。東都警察署には舞浜まいはま威月いつきという知り合いがいて、彼から変死体が発見されたと報告を受けると、与識先生は看護師と受付嬢を引き連れて遺体発見現場へと赴く。受付嬢は運転役なのだけれど、先生はその場で待機なんて言ってくれないので、私も遺体とご対面することになる。


 今日もまた、遺体を見てきたところだった。そんなテンションで夕飯を作るのは少しと憂鬱な表情をすれば、与識先生は蜜緒のところで食ってこいと見送ってくれた。何も食べないのは体に悪いから、せめて何かは食べろとお医者さまなりの気遣いである。


「若い女三人に死体見せるなんて、ひどい話だな。わが父親ながら」

「円花さんは遺体を抱き上げて運んでくれたのよ」

「円花は慣れているからね」


 心人さんのそれに、背中を向けたまま円花さんは手を振ってくれた。気にするな、と。


「それで、検死に連れて行かれたくらいで話があるなんて言わないよね、愛理なら」


 受付嬢以前、秘書時代から常に人の死とは隣り合わせだった。変死体現場へ直接見に行くこともあれば、解剖室に警察関係者を連れていくこともよくあった。だから、人の死体を見て怖かったの、なんてかわいく甘えるためにこの男たちに話をしたいわけじゃない。

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