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「園田誠司、紗良夫妻でよろしいのですか」


 私の首肯を確認してから、彼女の視線は再び端末へと落ちる。人と会話するときは目を合わせて、なんてのはもう、私が会話の相手ならこの病院の人たちには通用しない。


「彼女はロキタンスキー症候群でした。ですのでiPS細胞に頼って人工子宮を造り、自らの体内へ移植。かねてより保存しておいた受精卵を着床させて妊娠し出産なさいました」


 かつての子宮移植なら、与識先生の考える他人の悪意が混じった遺伝子の流入が考えられた。でも園田紗良のケースはそうじゃない。受精卵は自分たちのものであるし、子宮も自分の遺伝子をもとに造り出している。


「愛理、今の病気はなんだって?」

「ロキタンスキー症候群。先天性の膣欠損症で、女性の五千人に一人の割合で罹患していると言われている病気のこと」

「ずいぶんいるな」

「一部欠損、全欠損を含めてね。ただ卵巣は正常に発達したパターンも多いし、染色体も正常。だから自分の遺伝子を持った子どもを出産するのは、代理出産か子宮移植のどちらかっていう話になるの」


 昔は子宮移植ともなると、他人の子宮を移植するケースが圧倒的に多かった。人工臓器が認められていない時分の話だ。今は自らの細胞を基に造り出した人工子宮を移植して、受精卵を着床、出産。ただし子宮の耐久性がどれほどか研究段階のため、一人の出産が限度とされている。帝王切開で出産した後、子宮もまた摘出しなければならない。


「園田さんはすでに子宮摘出も済ませています。体に対する異常があるようなら、うちに来院していただくのが一番ですとお伝えください」

「彼女じゃないんです、体調の異変を訴えているのは」

「旦那さんでも同様です」

「どうして生まれてきた子の体の異変っていう発想に至らないの」


「お二人のお子さんはすでに亡くなっていますが」


 彼女が唐突にそんなことを言う。心人さんを見上げていた私は混乱して、たっぷりと時間をかけてから、どういうことなの? を意思表示する「はあ?」を返答するに至った。


 目の前の女医さんは舌打ちの後、言葉を続けてくれた。「人工子宮移植後の定着率は良好でした。定着から予定通り一年後、お二人の受精卵を子宮に戻して着床を確認。園田さんは妊娠されました。そして出産予定日、帝王切開術で園田さんは男の子を出産しました」

「その子は……死んでしまったの?」

「ええ。すぐ蘇生措置は取ったようなのですが」


 非常に残念ですと、似た経験を重ねている女医さんは目を伏せた。その子もそのとき、同じように目を閉じていたに違いない。園田夫妻の赤ちゃんの短い人生は終わった。


 終わった? じゃあ、私が今、与識先生や心人さんとともに東奔西走しているのは、いったい誰のため。


「子宮移植も人工臓器とはいえ、現段階では人生で一度きりと定められています。そのため園田さんがどうしても自分の子どもが欲しいと強く願うのなら、残されている卵子と旦那さんの精子で作った受精卵を誰かに出産してもらうしか方法はありませんが」

「園田さんがここで出産したのはいつなんですか」

「三ヶ月前になります」


 計算が合わないことはない。でも、病院内でその子はすでに死んでいた?


「まさか、死んだ赤ちゃんが生き返ったなんて……ねえ」


 おそるおそる見上げた先の心人さんの、その細められた目。胸が切り刻まれるほど切なさを誘う。そのくせ口角は微妙に持ち上げられて、苦笑いにも見えなくないけれど、でも、なんて悲痛なんだろう。なんて言葉を使って慰めてあげたらいいのだろう。


「愛理、そうじゃないんだよ」


 心人さんはもう、分かっている。これがどういうことなのか。

 あの夫妻が隠している本当のことが何か、この人の満月から溶け落ちた蜂蜜のような金色の目は、すべてを見透かしていたのだろう。

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