終末世界で明日を見る

がみれ

第一章「希望の光と絶望の認識」

第1話「出会いの日」

「はぁ、はぁ……」


 母の腕に抱きかかえられ、体が揺れる。

 怪物から逃げるようにして、夜の森を走っていた。辺りは夜闇で暗く、草むらを無理に突き進み、枝葉が擦れる音と、母の荒い息が聞こえる。


 視界に映る街は、怪物によって燃やされ、街の外形はもうほとんど残っていない。その場にその場にいた人間もおそらくはもう……。


「大丈夫、大丈夫だから」


 安堵させる母の言葉が少女には遠く聞こえる。

 街を覆う霧を吸ってしまったせいか、眠気が激しく、意識が途切れ途切れになっていく。


 母の顔ももうぼんやりとしか分からない。


「きゃ!!」


 次の瞬間、少女の体が母の腕から離れ、宙を舞った。

地面に転がり、少女は土の匂いが鼻を刺した。


 重い瞼を開ける。突如として身を襲った衝撃に何が起こったのか確かめるため、少女は上を見上げた。


「お母……さん」


 その視界には十五歳の少女にとって信じたくない、受け入けいれ難い光景が映っていた。


 黒い靄に包まれた、二本の黒角の怪物。

 街をめちゃめちゃにしたあの怪物が、母の首は掴み上げていたのだ。


「逃げて……早く!!」


 絞められた喉から絞り出すように出す声で、母は娘に嘆願する。


「いやだ!!待って!!」


 朦朧とした意識で伸ばした手が母に届く前に。

 ────黒い腕が母に突き刺さる。


「あああああああッ!!」


 血飛沫で少女の手が赤く染まり、頬を血で濡らした。

 動機が荒くなり、震える赤い手を見る。


 その瞬間、周りの音の一切が消え、少女の意識は沈んだ。








 気づけば一人路地裏にいた。息を潜めるが周りには人の気配が一切なく静まりかえっており、カラスの鳴き声だけが聞こえてくる。


 いつもの灰色のレインコートを着ていることを確かめ、少女は冷たい地面に手をつき寝ている体を起こす。


 視界が遮られるのを確認し、フードをとり辺りを見渡した。知らない場所の路地裏でゴミ袋の横にいるというのが、目渡して出た結論だった。


 お腹がすいた。

 空腹のお腹を抱え、路地裏をでた近くにある古びたアパートの階段を上る。人がいないか探して見たが、期待は虚しくあの真っ黒い化け物すらもいなかった。


「まぁ鳥は飛んでるよね」


 部屋に忍び込み、まず食料を漁った。棚の奥かあら乾パンとツナ缶を見つけ、無心に食べた。


 寝室の扉を開け、部屋を覗く。

 すると、黒いナイフが突き刺さり、そのまま白骨化した死体が寝たまま放置されていた。だがもう何も感じない。感じられなかった。


 缶詰を開けながら少女は思う。

 この世界で生き続けて何があるのだろうかと。こんな絶望的な光景を見ながら、食べ物を漁って餓えを凌ぐだけの生活に希望などあるのだろうかと。


 ───世界にきっと1人だけ。

 そんな考えが頭をよぎり、底しれぬ不安が身を襲う。


「お母さん…」


 もう居ないはずの母親に縋りつこうとするのは十五歳の幼い少女にとっては当然のことだった。そう簡単に家族の死など割り切れることではない。だが記憶がそれを否定する。


「疲れた」


 部屋に大の字で寝転がり、瞼の上に手を乗せる。


(そう疲れたんだ。何も希望がないこの人生に。ただ生きつづける自分自身に。もしもこれが物語で、私が主人公ならきっとかたきを取るだろう。けど現実は今を生きるので精一杯。敵の居場所も、強さも分からず、仲間も居ない。現実的ではないのは明らかだ)


 窓から肌寒い風が入り込み体が少し震える。とりあえず何かないかとクローゼットを漁り、自分の体より少し大きめのダウンコートと手袋を手に取り窓を閉めた。


 少女は高いビルの屋上へと上がる。


 風が吹き背景に同化するような上着が靡くが、それ以外は何も聞こえない。

 辺りはひどく静まりかえっており、より一層孤独を感じる。


 少女には空一面に広がる灰色の雲が、ただ残酷な世界を示しているように見えた。そして────。


「さようなら」


 少女は屋上から飛び降りた。

 生きたいと願う気持ちの糸がプツンと切れたのか、意外にも踏み込む一歩は簡単だった。


 玄関を出て母に会いに行くのとなんら変わらない同じ一歩だ。

 ───だってまた一緒に遊びにいくだけなのだから。


 下から風が押し寄せ落下していく感覚が恐怖をより強めていくからか、死んだ後の事を考え始めると同時に走馬灯が見え始める。


 幸せで楽しかった母との記憶が蘇る。


 様々な願望が今となって、乱雑に渦巻いて現れる。

 けれど、少女はあの日常が手に入るのなら、それだけで十分満足だった。


 だから神様。どうかあの世ではお母さんと一緒に幸せに過ごさせてください。欲を言えば、あの日見た夏の花火をもう一度。


 風が全身を通り抜ける最中思ったそれが、少女にとって最初の願いだった。




 ここは死後の世界なのだろうか。小さい頃親に抱きかかえられた時の、そんな心地よさや温かみを感じる。


 しかし目を開けると空はさっきよりも薄暗く、気味が悪いぐらいに物静かで通る風は夜風で寒く感じた。だが視界にはもう半分の違うものが見えていた。


「………」


 触れているものから感触を確かめ現状を認識した。暗くて見えずらかったが、眼鏡をかけた長い髪の男が何も喋らず抱きかかえ走っているのが、理解出来た。


──────私は助けられたんだ。


 ようやく現状を把握し、思ったことはそれだった。気づけば少女は泣いていた。


(なんで私はたすけられたの?なんであの時死ぬ間際私は生きたいと願ったの?)


 その言葉が頭の中を埋め尽くし少女の心は、何故生きたいのかという問に回答を出せずにいた。次第に雨が降り始め、流れゆく涙がそれに混じりかき消される。

それは自分自身のちっぽけな心を表し、それと同時に少女自身を隠してくれたように感じた。


 そしていないと思っていた人間の姿に、少女は心底安心した。ずっとこのまま一人ぼっちだと思っていた。だから自殺した。死んだらそこで終わりだったかもしれない。死んだ先に何があるのかなんてわからない。


 それでも少女は死のうとした。不安だったのだ。怖くてどうしようもなくて助けを求める人もいない絶望的な現状から逃げたかったのだ。


 別にそれでもよかったのかもしれない。けれど見てしまった。

 助けを求める事ができる人間という名の希望の光に。その瞬間絶望的な暗雲は一転して希望の光へ差し替わったような気がした。


 自分1人では到底不可能な事が成し遂げられるかもしれない。こんな世界でも、何とか生きられるかもしれない。


 そんな淡い希望の光を胸に抱き、少女は安心したように深い眠りについた。

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