第六話「側近」

北メイホリアのウッタラ大統領の危機感と焦りは頂点に達しようとしていた。


「このまま南メイホリアに北を制圧されれば、私の死刑は確実だ。」


彼は、パーンモン総大僧師の命令を聞きつつも、密かに亡命の準備を並行して行うのであった。


「もはや仏の教えも信仰もどうでも良い。先ずは、自らの生命の安全こそが優先事項だ。」


大統領の脳裏には、国民や国家など不在だったのである。


しかしながら、如何にも北メイホリアの救国の志士としての振る舞いというか、パフォーマンスだけは続けなければならない。


彼は、支援を受けられそうな国々へ密使を派遣するのであった。


一方、南メイホリアの進撃は留まる事を知らず、北は三分の二の領土を失いつつあり、絶望的な状況にあった。


1982年。大きな転機が訪れる。


北メイホリアは当時の中国共産党中央軍事委員会主席であった鄧小平氏とのコンタクトにだけは成功している。


また、時を同じくして、ベトナムの国家評議会議長チュオン・チン氏が北メイホリアへの軍事支援を表明したのだ。


ウッタラ大統領の”パフォーマンス”な外交が意外にも功を奏した。


中国やベトナムの思惑は明確であり、それは、南メイホリアの背後に資本主義陣営のフィリピンが付いているからである。


更にベトナムに関しては、社会主義国ではあるが、仏教が根付いている国だけあって、真正宗による北メイホリアの仏教勢力を支援するのも頷ける。


「やはりソ連は無理であるか。致し方ない。」


ウッタラ大統領の本命はソ連からの支援であったが、あいにくソ連はアフガニスタン紛争の泥沼に足を取られており、それどころではない。


彼は、ベトナムからだけではなく、中国からの本格的な支援も実現させるべく動いた。


極秘のうちに北メイホリアを出国し、北京の中南海の高官に接触すべく旅立った。


ちょうどその頃、メイホリア西部の山岳地帯を抑えていた、共産主義勢力、パリヴァルタナシャ・マールガハ(変革への道)は、南北の動向を注意深くうかがっていた。


「北はいよいよ劣勢だね。崩壊間近か?」


代表のボウチー=ジョン議長が側近に尋ねる。


すると


「北はベトナムからの支援を取り付けました。出し抜かれた中国は面子を潰されて面白くないでしょうな。」


側近があたかも議長の腹の中を見透かした様に語る。


「同志、君は全てをお見通しの様だね。」


議長はそう言うと、静かに椅子から立ち上がり、側近の背後に廻ると、彼の肩に手を置いて口を開いた。


「君の考えを聞かせ給え、同志ワンヤウ=ゲヤン。」


するとワンヤウは答えた。


「中越戦争の蟠りは解けてはいません。ベトナムに出し抜かれたとあらば、中国も面子を保つ為に北メイホリアへの支援を表明するはず。」


組織の情報部主任に上り詰めたワンヤウの下には様々な情報が常に入ってくる。


「北は攻勢に出るだろうね。」


ボウチー議長はそう言うと、司令部である山小屋の扉を開けて外へ出た。


山中の木漏れ日がワンヤウの瞳を光らせた。


時を同じくして、ウッタラ大統領は非公式に中南海を訪問した。


中国高官の邸宅で、ウッタラは相手と固い握手を交わす。


「お会い出来て光栄であります。副総理。」


ウッタラが握手を交わす相手こそ、あの鄧小平氏の側近の一人である万里国務院副総理である。


万里は農業改革において、鄧小平の意向を受けて、生産責任制の導入など、大胆な改革を地方で先駆けて実施し、大きな成果を上げたことで知られている。


鄧小平の改革路線を強力に支持した実力者の一人である。


「どうぞ、お掛け下さい。」


万里はそう言うと、ウッタラに腰掛けるように促した。


邸宅の庭が見える窓辺に外の光が温かな日差しを運んでくる。


「鄧小平先生はお元気ですか?」


ウッタラ大統領が尋ねると万里はにこやかに答えた。


「もちろんです。我が国の改革はまだまだこれから正念場ですから。」


そう言うと万里は庭に目をやった。


ウッタラも横を向き、同じく庭に目をやる。


すると、庭に一羽の百舌鳥が樹の実を加えて降り立った。


すると、別のもう一羽がやって来て、樹の実を横取りして飛び去っていった。


「おぉ、何たる奴か。他人の富を横取りするとは。出し抜きよったな。」


庭の百舌鳥の様子を見ながら、万里が呟いた。


するとウッタラは万里に語り掛けた。


「『出し抜く』といえば、我が国への支援表明をいち早く打ち出した勢力がおりましてな…。貴国を『出し抜く』行為ですな。」


ウッタラのこの皮肉を聞いた万里は腹の中では怒りつつも、表面上は、いたって穏やかに答えた。


「我が国は近日、貴国に対して、良い回答をする事が出来るでしょう。お約束致します。」


するとウッタラは


「それとですが…。貴国は大変に環境も良く、住みやすい。長期滞在をお許し頂ければ幸いです。」


と言うのだ。


つまりこうだ。


ベトナムに出し抜かれたくなければ、北メイホリアに軍事支援しろと言う事だ。


しかもウッタラは帰国する気はなく、そのまま中国に亡命しようというのだ。


「誰があの様な危険で貧しい土地に住みたいなどと思う?馬鹿も休み休みに言え!」


これこそが、ウッタラの心の声である。


「まったく。食えぬ狸めが。」


万里はその深くもしたたかな精神の奥底でそう声を発するのであった。


だが、両者の非公式会談は表面上は穏やかに進んだ。


それから程なくして北メイホリアのパーンモン総大僧師の下に中国からの回答が届く。


軍事支援確定との回答だった。


「兵力を整えて一刻も早く、南に対して攻勢に出ねばならない。」


パーンモンの焦りと苛立ちは、何とか和らいだのである。


「ウッタラは何故戻らない?」


パーンモンが部下に尋ねると「暫くの間、中国と様々な交渉があり、当面は帰国しない。」という事だった。


「我が側近だけあり、気が利く事だ。」


パーンモンは、真相を知らずに、ただただ喜ぶばかりであった。


その側近たるウッタラ大統領に裏切られたとも知らずにだ。


軍事支援は極秘に行わなければならない。


中国やベトナムからの船は貨物線を偽装して行なわれた。


この頃のフィリピン海軍は、多数の艦艇を保有し、領海の警備や国内の治安維持に関連する任務(兵員輸送など)を遂行する能力は持っていたが、装備の旧式化や近代化の遅れから、他国の近代的な海軍と比較して「強い」とは言えず、対外的な脅威に対抗する能力は限定的だった。


しかも、アメリカはベトナム戦争の痛手と、アフガニスタンのムジャヒディーンへの支援で忙しく、メイホリアへの介入には消極的であった。


こうした背景もあり、北メイホリアには、続々と中国やベトナムの兵器が届いた。


当初は、56式自動歩槍や69式40mm対戦車ロケットランチャーといった歩兵用の小型兵器が主流であったが、次第に支援は拡大され、1983年から1984年に掛けて、59式戦車や60式122mm加農砲といった大型の兵器が北メイホリアに運び込まれた。


この頃、インスラール派民兵組織「メイホリア神の義勇軍(MGVA:Mayhoria God's Volunteer Army)」や、仏教系過激派団体の「メイホリア真正仏教徒同盟(MTBA:Mayhoria True Buddhist Alliance)」の戦闘員が相次いで拉致される事件が起きている。


両勢力は互いに「相手の仕業である。」と見ていたのだが、実際は違っていた。


メイホリア西部の山岳地帯では、共産主義勢力のパリヴァルタナシャ・マールガハが、捕らえたMGVAやMTBAの戦闘員を人民裁判に掛けようとしていた。


そんなある日、弁護士のホウサム=ゲヤンの下を訪ねる一人の男の姿があった。


パリヴァルタナシャ・マールガハの情報部主任、ワンヤウ=ゲヤンであった。

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