第四話「棄教」

南部のインスラール派から逃れて来た真正宗の男がいた。


彼は、自宅に押し掛けて来たインスラール派を二名殺害した経緯があった。


彼は「宗教が争いの元になるならば、もはやそれに頼る意味はない。」と考える様になっていた。


そして北部でひっそりと暮し、寺にも行かなくなった。


暫くして、ある人々を頼り、西に広がる山岳へと更に逃れた。


それから年月は流れ、1980年の事だ。


メイホリアが南北に分断状態になってから1年半が経過していた。


この頃、インスラール派が支配する南メイホリアでは、仏教徒の真正宗の残党がいないかどうかを探り、摘発する民兵組織が暗躍していた。


「メイホリア神の義勇軍(MGVA:Mayhoria God's Volunteer Army)」である。


彼らは、武器を携え、汎ゆる街で、また、汎ゆる村を監視して廻っては、真正宗を探し出して攻撃しようとした。


ただ、実際には、真正宗の残党は見つからず、その暴力は、もっぱら同じインスラール派に向けられた。


「お前、以前に真正宗と仲良くやってただろう?!」


ガーン=ヤンが、配下の民兵を引き連れて、同じインスラール派の住民を尋問する。


分断前に仏教徒の真正宗と良好な関係にあったというのが理由だった。


「待って下さい。私は決してインスラールを裏切ったりはしていません。」


尋問を受ける人物は必死に訴えるが聞き入れてもらえない。


「身体に聞いてみるか。」


ガーンはそう言うと配下に命じてその人物を痛めつけた。


殴り、蹴り、また銃で殴る。相手は血に塗れ、やがて、地面を苦痛でのたうち回りながら、気を失うのである。


この頃、ガーン=ヤンはMGVAの幹部の一人となっていたのだ。


同じ頃、真正宗の仏教徒が支配する北メイホリアでも同じ様な事が起きていた。


武器を持った男達の集団が、かつて、インスラール派のキリスト教徒と交流があった真正宗の門徒を見つけると「家宅捜索」と称して、家を荒らし、また「取り調べて」と称して路上で集団暴行を加えた。


北メイホリアの地は血塗られた大地に変貌していた。


こうした野蛮極まる行為を公然と行なっていたのが、仏教系過激派団体の「メイホリア真正仏教徒同盟(MTBA:Mayhoria True Buddhist Alliance)」だった。


この過激派団体の代表は後にこう語っている。


「メイホリアの地にインスラールがいる限り平和は訪れない。我々の使命は異教徒を根絶やしにする事である。これは御仏のご意思である。」


と、代表のソイ=ヤンは語る。


南メイホリアではMGVAのガーン=ヤンが、とある法律事務所になだれ込んだ。


「ホウサム=ゲヤンはいるか?!」


と怒鳴り、事務所を荒らす。


「お止め下さい。私ならここです。」


ホウサムが名乗り出る。


「貴様がホウサムか?外に出ろ。」


そう言うとガーンは配下に命じて、ホウサムの首根っこを掴ませると、外へ放り出した。


「私が何をしたのですか!」


ホウサムは怒りに震えながら、抗議すると、民兵達は彼に暴行を加えた。


顔面、腹、そして、腕や脚を殴り、蹴り、ひねった。


暴行は一時間に渡り続いた。


「貴様がかつて真正宗と強い結び付きを持っていた事は分かっている。貴様は仏教徒側のスパイだ、異端者め!」


そう言うとガーン=ヤンは、血を流し、痛みに転げ回るホウサムに唾を吐きかけ去っていった。


ホウサムは急ぎ病院に搬送された。


こうした民兵組織による暴力を、南北の両政府は黙認した。


インスラール派の最高指導者である。


ヘイモン総大主教は


「我々の『愛』とは、同じキリスト教徒に大してだけのものであり、異教徒には適用されない。」


と発言し、過激派の活動を後押しした。


「我々の目的は、このメイホリアから仏教徒を消滅させ、インスラールによる王国を建設する事にある。」


これが、ヘイモンの腹の中の本音である。


一方、北メイホリアでも過激派の暴力はじわじわとエスカレートしていった。


真正宗の精神的指導者であるパーンモン総大僧師は


「我々が生き残る道はインスラールを根絶する事にある。もし我々が非暴力を唱え無抵抗ならば、我々は消滅するだろう。」


と、正当性を訴えた。


「メイホリアのインスラールを根絶し浄化する事こそが仏教徒の義務である。」


パーンモンの考えは、正に悪鬼そのものだった。


北メイホリアと南メイホリアの軍隊は、しばしは、南北の境界線を挟んで、武力衝突した。


連日の様に、双方の榴弾砲が火を噴き、相手方に着弾して、多くの犠牲者を出した。


1980年の後半には、それぞれが境界線を越えて地上部隊を投入し、激しい戦闘が繰り広げられた。


この様子を西部の山岳地帯で静観する人物がいた。


彼は深い山の中の森に、仲間らと共同生活をしていた。


「南北の戦闘は一進一退の様で、収まる事は当面はありません。」


その男は静かに集まった幹部達に語って聞かせた。


男の名はワンヤウ=ゲヤン。


かつてインスラール派を猟銃で射殺した人物だ。


彼は現在、共産主義勢力であるパリヴァルタナシャ・マールガハ(変革への道)の偵察要員としての任務に就いていた。


パリヴァルタナシャ・マールガハの母体はメイホリア共産党であり、かつてのドクチョイ政権時代に非合法化され、摘発の対象であった。


彼らは主に、こうした山岳地帯に身を隠していた。


代表はボウチー=ジョンラ議長である。


「今はまだ動かずに見守るべきです。インスラール派と真正宗に戦わせて疲弊させ潰し合いをさせれば良いかと。」


ワンヤウは幹部らにそう進言した。


彼はもう、仏を信じてはいなかった。


彼は仏教を捨てたのだ。


共産主義勢力パリヴァルタナシャ・マールガハは、無宗教・無神論者で構成されており、宗教的対立に嫌気がさした人々の受け皿となり、じわり、じわり、と、その勢力を拡大しつつあった。


つまり「宗教は阿片」と言う訳だ。


山岳の森の中は太古の自然が生きている。


ワンヤウは幹部達のいる小屋から出ると森の木と木の間からわずかに見える空を眺めながら、ゆっくりとタバコに火を着けて呟いた。


「神やら仏やら、馬鹿馬鹿しい。そんなもの消えてなくなれば良い。」


もはや彼は、かつての彼ではなかった。


こうしてメイホリアはインスラール派のキリスト教徒、真正宗の仏教徒、そして、共産主義勢力のパリヴァルタナシャ・マールガハの三つに別れ、本格的な戦争に突入していくのであった。

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