第三話「北へ南へ」

インスラール派の女性射殺事件による抗議集会やデモが相次いで起こった。


インスラール派は「危険な仏教徒を国から追い出そう!」と叫び熱狂した。


対して真正宗も黙ってはいなかった。


「物を盗もうとした女が悪い。泥棒のキリスト教徒は出ていけ。」と憎悪を撒き散らした。


こうした集会やデモは徐々に全国へ拡大していった。


事態の沈静化を図る為に双方の総責任者が呼び掛けを行った。


インスラール派のヘイモン=ウォーピン総大主教は「憎しみが生み出すものは悪魔の種であり、何も解決しない。敵を愛せ。」と、信徒らに呼び掛け説得した。


対して真正宗のパーンモン=ウォーピン総大僧師は「慈悲と寛容の精神を持って、悪をも救済すべし。」と門徒らに説いた。


ところが、実際のところ、彼ら総責任者自身が相手を良く思っていなかった。


「『悪をも救済すべし』とは、どういう事か?!我々は悪と言いたいのか?!」


インスラール派のヘイモン総大主教は、側近にそう胸の内を明かした。


また、真正宗のパーンモン総大僧師もまた


「『敵を愛せ』とは?!つまりは我々を敵だと思っているのか?!」


と不快感を露わにした。


総責任者のこうした姿勢は対立に拍車を掛けた。


両者の乱闘騒ぎを警察の治安部隊が出動し、沈静化を図るも、その警察自体もインスラール派と真正宗とで対立していたのだから、社会に静寂が戻る訳がない。


「以前なら、あの怖い大統領の一声で収まっていたかも知れないのだが…。」


真正宗のワンヤウは嘆きながら農作業に精を出した。


一方、インスラール派のホウサムは、晴れて正式に弁護士の一員となった。


ただ皮肉な事に彼が最初に担当した業務というのが、真正宗の住民の移住に関する法定業務であった。


ホウサムは上司に対して


「この様な差別的な行為に加担する業務はご遠慮願いたい。私を担当から外して下さい。」


と願い出るのだが、彼の願いは、いとも簡単に打ち砕かれるのだった。


この「移住」というのは、メイホリアでは、南部をインスラール派が多数を占め、北部を真正宗が多数を占めていた。


こうした事から、南部在住の真正宗門徒が、北部在住のインスラール派信徒が、それぞれ、追放されたり、自ら出て行ったりしているのだ。


真正宗は北へ、インスラール派は南へ、それぞれが移動して行く。


首都ヴィジャヤでも動きがあった。


ヴィジャヤは南部に位置しているため、住民は首都を捨てて北へと移り住み始める。


そして、ワンヤウの身にも災いが降り掛かった。


彼がある日、農具の整備点検をしていると、インスラール派の若い男らが五人やって来て、ワンヤウに土地を手放し、出ていく様に脅迫したのだ。


「待ってくれ!この土地は貯めたカネで買った土地だ。手放す訳にはいかん!」


南部で暮らすワンヤウを、どうにか北部へ追い出したい男らは、ワンヤウに殴り掛かり、蹴飛ばした。


「あっ、止めてくれ!頼む!」


ワンヤウは手で頭を隠し、必死に堪えたが、身の危険を感じると、隙を見て逃げ出し、納屋へと逃げ込んだ。


それを追い掛けるインスラール派の男達。


ワンヤウは納屋の扉をしっかりと内側から施錠したが、扉は木製の板。


いつ破られるか分からない。


男達は「ここを開けないか!」と叫びながら扉を叩き、蹴った。


少しずつ木の扉にヒビが入り、遂には穴が空き始めた。


「あぁ、お釈迦様、お赦しを…。」


そう言うとワンヤウは納屋に保管してある猟銃に弾を込めて、扉に向い発砲した。


甲高い銃声と共に男達が逃げ始めるのが分かった。


彼はとっさにもう一発発砲した。


銃声と共に木の扉が粉々になった。


ワンヤウは猟銃をその場に捨てると、恐る恐る外へと出た。


「やってしまった…。」


そこには、インスラール派の五人のうち、二人の遺体が転がっていた。


彼らはうつ伏せになり、鮮血の海に沈んでいる。


ワンヤウは急ぎ身支度をした。


必要最小限の荷物を持って、北部へと逃亡を図った。


ところで、この様な状況に対して政府は何をしていたかと言うと、政治家や役人らまでが、真正宗とインスラール派に別れて対立しており、まったく機能していなかった。


そもそもドクチョイ政権崩壊後、新たに大統領を選出する選挙がまったく実施されておらず、国家を統べる存在が空位だったのだ。


メイホリアは無政府状態となっていった。


それから数日後のこと、ホウサムは北部から移住した、あるインスラール派の家族が、ちょうど良い空き家と農地を見つけたので、その購入を検討しているという相談を受けた。


家族はまだ、余り詳しくその物件を確認してはいないという。


ホウサムは、本当にそれが空き家かどうかを確かめる為に権利証明の法的手続きを進めようとしたのだが、入手した物件の書類にあるその住所には見覚えがあった。


そこで、実際に物件をあらためようと思い、その家族や不動産屋と共に、何か違和感を感じながらも、その物件まで、車を走らせた。


だが、彼の違和感は、的中していたのだ。


「そんな!ここは!!」


彼はワンヤウの家と農地の権利を他者へ譲渡してしまうところだったのだ。


「おい!ワンヤウさん!いらっしゃらないんですか?!」


彼は力の限りワンヤウを呼び、家の敷地中を探し、また、家の中にも足を踏み入れたが、誰も居ない。


ホウサムは再び外へ出て納屋に向う。


すると


「そんな、嘘だろ?!」


そこには、男の射殺死体が二つ転がっていた。


遂にワンヤウは見つからなかった。


やがて、月日が経つと、国を治める立場の政治家や役人、この場合、真正宗だが、彼らは南部に位置している首都ヴィジャヤを捨てて北部の中心都市であるウッタラナガラムに移動して、別に政府を打ち立てるのであった。

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