032
アイアンニートがこの世からいなくなってから早十九時間は過ぎた。事件現場の交差点も復旧作業がもう既に開始されている。あの事件の傷跡はこんなにも早く治されて、大多数の人々の頭の中からはかさぶたのように消えていくのであろう。
僕は一人退院祝いと評して、誘われた居酒屋へと向かっている。
居酒屋と言っても僕はまだ二十代一歩手前なのでお酒は飲めないし、法律的に飲んじゃ駄目だ。アルコールさえ摂取しなければ、居酒屋に成人前で入ってもいいだろう。ここの焼き鳥が美味しいとは噂に聞く。
しかし嫌みな人である。背中を火傷して入院していたと言うのに、焼き鳥など。
塞いだ気持ちで歩いていると、南霧さんから退院祝いとして貰った携帯電話がジーンズのポケットを揺らす。
今日のコーディネートは久々に男物で、襟元に黒と白の水玉模様の白のワイシャツの中に、また白と黒のストライプ柄のTシャツを着込んで、昔から履いている色褪せたジーンズと言ったところだ。あとアクセサリーとして、首が苦しいけど楽が何かのアニメか漫画の物販で買った髑髏マークのネクタイもしているのだったな。
携帯電話の画面に表示されているのはアンリからの着信だった。
慣れない手つきで電話に出るマークを押した。その間歩き情報端末は危険と説明されていたので、近場の寄り添える壁の近くまで行き、そこで初めて耳につける。
『おーい聴こえているかー?』
電話越しに可愛い声が聞こえて来た。
「はいもしもしー、こちらアンリの飼い主でーす」
『誰がペットだ、そんなプレイはお断りだ!』
「誰もそんな話はしてないよ、というかお前携帯電話なんて持っていたか?」
『これ? これはポケベルをちょちょいのちょいと改造したら、中々質の良いものが出来上がった!』
このご時世にポケベルを見つけてくるお前に感心し、宇宙人の技術に脱帽である。
「宇宙人はポケベルに通話機能をつける資産をどこから持ってくるんだ? ん?」
『それは、その、おこずかい?』
アンリの声は震えていた。おこずかいなんてあげていない。どうせ南霧さんから貸してもらったとかだろうな。どうやら帰ったら厳しい仕置きが必要なようだ。尻叩き百回でも許せない額かもしれない。
「それで? 何用だよ」
仕置きの内容は帰ってからに置いておいて、アンリが僕に電話を掛けてくるなんて珍しい。いや携帯電話を持ったのが初めてだから珍しいも何もないんだけど。一人でお留守番だから寂しくて掛けてきたわけでもないだろう。
『いや、ちょっと咲がさ、私が居なくて寂しいよぉって泣いてないかなって』
「それはお前の方じゃないか?」
『さみしいよぉ』
「何それ可愛い」
すごく可愛い。今すぐ帰ってあげたい。
『早く帰って来てよぉお兄ちゃん』
「うわ、あざとい。仕置き二倍な」
『っち、あざとい系は苦手と。ま、本当に聞きたかった事は一つ。大丈夫か?』
電話向こうにいるアンリは、既に力を無くして小さくなったアンリだ。そんな小さなアンリに心配されるほど僕は子供ではない。
「大丈夫? って何も起きないよ。僕は今から退院祝いだぞ? なのに怪我なんてしたら笑い物だよ」
アンリが心配している理由は唯一つ。数十時間前に聞かされた事実を受け止めていないであろう僕を心配しているのだ。
悲しく嫌な思い出は時間が解決してくれる。それが補正なんだろう。だから僕は深くは考えないようにすることにしたんだ、退院祝いを兼ねたご飯処に行くにあたって、そんな萎えるような思いは持って行きたくはないからね。
『それもそうだな、阿呆なことを聞いてごめん』
「いや、心配してくれることには礼を言うよ」
今は覚醒なんてしてないから傷も治せない由緒正しき人間だから、心配してくれるのは当たり前か。
『ふふん、では私は待っているか』
アンリが喋っている途中で通話が切れてしまった。携帯電話の画面を見ると、真黒の画面に僕の顔が映っていた。もしかして電池が切れたのか。やってしまった、貰ったばかりで浮かれて色んな機能を弄らなければ良かった。
落ち込んでいても仕方が無い、居酒屋に向かうか。
居酒屋店名、頑固親父。名前の通り店主が頑固親父かと思いきや、アースクラッシュ時にホームレスから成りあがった。強者おじさんの個人店であり、焼き鳥が美味しい店でもある。
その店の奥の座敷で僕を誘ってくれた人物が一人、横に茶色い封筒を置いて注文もせずにメニュー表と睨み合っていた。
「おう、遅かったな」
その座敷に座っていたのは御影さんだ。彼が退院祝いと言って僕を誘ってくれたのだ。
断る理由もなく、二つ返事で受け入れて今に至るのだ。
「まだ十分前です。そんなにお腹空いてますか?」
僕は御影さんの前に腰掛けて、店内を見回す。店内は時間も時間なのにお客は数人くらいで、店主も暇なのか、常連客と喋っている。
「腹は減ったなぁ。昨日の夜勤から何も食ってないんだよ、ほらもう頼んでも良いか?」
御影さんはまるで餌を上げる前の犬のように一人先走っている。
「いいですよ。僕は御影さんのおススメにしておきます」
「おっじゃあビールも付けちゃうぞ」
「仮にも大人なんだから未成年にビールを飲まそうとするのはやめてください」
「はっはっは、ウーロンハイでいいかー?」
「それもお酒です、ウーロン茶でお願いします」
どうしても僕にお酒を飲ませたいらしい。大学生か! 新入学してきた大学生にサークルの先輩が飲ませるノリか。
「へいへい。おーい親父ー、こっちにいつものとウーロン茶」
御影さんが手を挙げて、カウンターにいる店主さんに声を掛けると、店主さんは「雪ちゃんって呼んで!」と叫んで作業に取り掛かった。
「いつもので通じるくらい常連さん何ですね」
「おう、週一でここに通っているからな」
「あー休日直前の仕事後とかに居そうですもんね」
「お前は俺をどんな目で見ているんだ」
「疲れたおじさん?」
「このやろう」
小突かれてしまった。本当の事を言って何が悪いんだ。
「それにしても、一日二日で回復してしまうって、お前さんすごい回復力だな」
「担当医にもそう言われました」
実際はもっと酷なことを言われた。人間では有りえないと言われてしまった。実際そうなんだけどさ、分かってはいても直接言葉にされると精神的ダメージは大きいね。
「医者も驚くだろうな。でもな、俺も自衛隊で人並ならぬ治癒力を持っている奴は見たことはあるから、あんまり気にするなよ」
自衛隊と言うとまだアースクラッシュが起こる前なので、その人は本当に人間として凄いと思うよ。気力使いだったんじゃないだろうか。
「気にもかけませんよ、お金にもなりませんし」
「お金って、現金な奴だな」
「このご時世お金持ってなきゃ、やってられませんよ。力で支配する時代が君臨して、水や食料が原価になると思っていたのに」
「実際復興都市の外はそんな感じになっている場所もあるだろうな。一年前の世界だってそんな現状の国もあったろうし、お前の考え方は正しいっちゃ正しいがな」
御影さんの口調は強かった。自衛隊としてその国を見て来たのだろうか? 少し余計な事を言ってしまったかな。
空気が重くなったところで注文した。焼き鳥のもも、つくね、かわ、ねぎまとのザ焼き鳥ズと一緒にビールとウーロン茶が僕達のテーブルの上に置かれた。
置いて行った店主は愛想もなく、伝票を置いてカウンターへと戻ってしまった。
「愛想が悪いですね」
「お前がいるからかもな、いつもならもっとニコニコしてるぜ?」
「そうかもしれませんね」
「まぁ、そんな気に病む話はやめてパーっと食べようじゃないか、ほら乾杯」
ジョッキのビールを持って、僕にウーロン茶の入ったジョッキを手渡してくれる。
「では乾杯しましょうか」
それを受け取って、憂さ晴らしをするようにジョッキを掲げる。
「じゃあ、咲の退院とこれからの健康を祈って、乾杯」
「乾杯」
差し出されたジョッキにキンとグラスとグラスを重ね合わせてから、二人して手に持っている飲み物を飲む。
「ぷはーっ、夏の暑さと対極に冷えに冷えたビールってのはうめぇな」
「それ飲み物に対して全てを言えますよ」
「いんや、お前はまだこの美味さを解ってないだけだ。一度飲めるようになったらやってみろ、感動するぞ」
「感動するんですか」
「おう、感動する」
ウーロン茶の入ったジョッキを置いて、目の前に置かれている焼き鳥に目を移す。
たっぷりとしみ込んだタレから、程良く見える焦げ跡が僕の空腹感を更に倍増させて、お腹が鳴る。
「お前も腹減ってんじゃねぇか。いいぞ食べような」
「頂きます!」
その言葉を聞いた瞬間に手を合わせてももを手に取り、肉食獣のように被りつく。
口の中に思っていた通りの味が染みわたり、脳内分泌が最高点に達して、無意識にずっとこの焼き鳥を噛むことをやめなかった。力を使うと空腹感が増す。制限されていなくても薄味の病院食だけでは満足できなかったので幸せだ。
「美味しい!」
「そうか、そうか。まだ注文してもいいぞ、今日は俺の奢りだからな」
御影さんは朗らかに且つ楽しそうに目を細めて僕を見ていた。
「ありがとうございます!」
これでもかと言わんばかりに目一杯口に含んで食べた。もう遠慮という言葉など存在しないかのように。
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