011
重たかった瞼を開けると、白い天井が目に映る。頬にしっとりとした質感が残っているから、どうやら泣き寝入りしていたらしい。
白い羽毛布団が僕の上に被さっており、背中は寝心地が良いベッドである。顔を上げると目の前には奥を遮っている白いカーテン、それに鼻に付くアルコールの匂い、ここは医療機関だろう。
それにしてもどうして、今の今まであの時のことを思い出せなかったんだろうか・・・・・・わかっている。自分で封印していたのだ。罪悪感で押しつぶされそうになったから、身を守るために封印したんだ。そうとしか考えられない。それもあのブローチを見たせいか、それとも茹だるような暑さのせいか、記憶の封印が解かれた。
とにかく僕は涙を拭って、ベッドから降りる。
すると丁度カーテンが音を立てて開き、御影さんが顔を覗かせた。
心がぎゅっと痛くなる。今、この人の顔を見ていたくない。何故この人のいる場所でこんなにも辛く悲しく、申し訳ない思い出を思い出さなければならないのか・・・もしかしたら神様とやらが罰せようとしているのかもしれない。
「おう、起きたんだな。お前さんが頭を押さえて倒れた時にはどうなるかと思ったぞ」
御影さんは相変わらず、僕を心配してくれる。そのおかげで口から謝罪がこぼれてしまいそうになるも、心配はさせないように無理にでも胸の中に収める。
「大丈夫って言ったじゃないですか、大袈裟ですね」
「大袈裟な程が丁度いいんだよ。それとお前さんの検査結果はどこも異常はなしだ」
どこも異常はなし。その言葉があまり信じられなかったけど、とりあえず生返事だけをしておいた。
「あぁ、後、妹ちゃんは外の待合室で待っているぞ」
「そうですか、アンリの面倒見てくれててありがとうございます」
「いや、アースクラッシュの影響を受けて、まともに喋れないのに質問攻めにしたのは俺だ。あの子にお前からもありがとうともう一度言っておいてくれ」
「分かりました、ご迷惑掛けてすいませんでした」
「今さらそんな謝り方するなよ。それじゃあ俺は検問所に戻るな、また帰りに会おう。ってこれはこれはナースさん失礼」
そう言って手を振りながら御影さんは部屋を出て行ってしまった。
「体温計です、一応計っておきましょうね」
御影さんが出て行くと同時にナース服の看護師さんが入れ替わりに体温計を持って室内に入って来た。
「解りました」
僕は体温計を受け取り、脇に挟む、その間にナースさんは隣に座って待っていてくれた。
ふとナースさんの顔を見ようとするけど、涙のせいか、どうもまだ視界が覚束ないようで、曇って見えてしまう。顔もだけどネームプレートで判断しようにも光が反射して眩しくて直視できない。二人きりの部屋、ナースさんともなると話すことも何も無く気まずい。
黙ったまま数十秒程経過し、室内に電子音が響くと、ナースさんに体温計を渡した。
「三十六度三分、ちょっと低いですが、平熱ですね。起きたら動いてもよろしいと先生は仰っていましたけど、まだ少しでもお気分が悪いのでしたら横になっていてくださいね」
ナースさんは笑顔を作って室内から出て行ったと思う。
「あら? 起きましたか?」
その次に日本人形のような黒髪が特徴的なナース服を着た女性が、淑女のような振る舞いで入って来た。
「何か用?」
その女性に僕は無粋に応答する。この女性のことを僕は知っている。名は
「つまんなーい、咲ちゃんはいっつも私を邪険に扱うー」
変装を見抜かれたと分かると――見抜けないと思われていたのが馬鹿にされている気分だ。ナース帽を脱ぎ、僕が寝ていたベッドに座り子供のように拗ね始める。
「おーもーしーろーくーなーいー」
こんなのだけど彼女は僕が商売を始めるに至って手伝いをしてくれた人物だ。遠まわしに命の恩人とでも言っておこう。この人がいなければ今の生活もできてないし、この街に入ることさえできなかったかもしれない。
この人はただの情報屋ではなく、社会の裏のお仕事も請けており、どこかの国のスパイも兼ねているらしい。スパイが自分の事をスパイ等という訳もないので、そこは笑って流しておく。しかし偶に懐に手榴弾のようなものや、エアガンと思いたい拳銃を持ち歩いていることもあるので、あながちスパイ説も本当なのではないかと信じたくもなる。
そんな彼女が度々僕の前に現れる条件はただ一つ。
「僕が面白くないのは僕も理解してますから。今日もあれですか?」
「かーっ可愛くない! 顔と服装に似合わず可愛くない! そうですよ、今日もですよ」
彼女が目の前に現れる理由。それは、恩着せ返しだ。彼女のおかげで生きていける。そんな大義名分の恩を断りきれない僕に売り、その名分を盾に恩を返させるのだ。恩着せ返しとは僕が勝手に呼称した。
「一体何をすればいいんですか?」
「今日はですな、お使いをしてもらいたいのですよ」
「お使いですか、まさかまた闇市場で危ないお使いじゃありませんよね?」
以前一度、簡単なお使いと言われ行った場所が闇市場の奥深く。この街の闇を取り仕切る人物にテープレコーダーを渡して来ると言うお使いだったが、僕はアンリがいなければ死んでいたと思う。銃で脳天を何発撃たれたことか。
もうあんなところは二度と行きたいくないね。僕が人間離れした力を持っているのがばれたら、国から追われる身になるか、国に仕えるかのどちらかに生きることになってしまう。自由を謳歌したい僕には望んでないことだ。そうならないように南霧さんの使いをしないといけないのだけども。
「やだなーそんなんじゃないよ、はいこれ」
南霧さんは僕の掌の上に銀色に光るデジタルカメラを置く。去年まで普通に市販されていた何ら変わり映えのないデジタルカメラ通称デジカメ。今では生産上、富豪しか買えないと言われている代物である。
「これを一体どうしろと? 街の外の風景でも取ってきましょうか? 海に隕石刺さってますよ」
「外の景色など見飽きているよ。カメラと情報屋と言ったら唯一つでしょう。この人物をカメラに収めてきてほしい訳だ」
南霧さんはナース服のスカートの中から一枚の絵を取り出し、僕に見せてくれる。どこからだしてんだよ。と、ツッコミは入れずに絵を見る。
その絵は人相画だった。細々とした顔のパーツにつり上がった目、細い眉、平たく描かれた鼻に小さい唇、顎の右下に美人ぼくろが一つの男性のような顔が描かれている。何故か髪型が描かれておらず、その部分には多分ハゲと文字で書かれている
「この狐みたいな人物を写真に収めるんですか?」
「そうだよ。今日、絶対にこの東京のどこかにいるはずさ」
「写真を撮ってどうするんですか?」
「それは企業秘密。好奇心は猫をも殺すよ、咲ちゃん」
この人の笑顔は時々恐ろしい程に寒気がする。ただ笑っただけなのに、夏の暑さで掻く汗とは違う冷や脂汗がじんわりと肌を濡らす。この人はアンリと同じような手に掴めない恐怖を持っている。
「じゃあ、写真を撮ったら南霧さんに渡せばいいんですか?」
「そうだね、私もそんなに暇じゃないから写真を撮ったら、同行する奴に渡しておいて」
「同行する奴って・・・」
「もちろんお察しの通りさ」
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