010

「ねぇアンリ、どうして母親は生き帰ったんだ?」


 マウンドで泣いている芽衣さんを視界に焼きつけながら、僕の横にいつの間にか移動してきたアンリに訊ねる。


「ザイガの力には治癒能力があるのは体感して理解できたじゃろ、お主の手首を見てみい」


 言われた通りに手首を見ると、真っ赤に染まった右手から傷ができて、血が流れ出ていた。


 この傷はズォーダが抵抗した時についた傷か、痛みがなかったから気がつかなかったな。その気づかぬうちにこの血が治癒能力を発揮させたのだろうか。


「その血が母親を一時的に蘇らせた。そうして気づかぬか? お主の傷の治りの遅さ」

「確かに、さっきは首もふっ飛ばされれば元に戻ったのに、どうして手首の傷だけ」

「それはの、力が弱まってしまったからじゃな。治癒能力と言っても無限ではない。私と接吻をした時間、濃度によって変わる。先の接吻は五秒程度で軽めのものだったから、体を粉々にされた後に首を斬られれば死んでいたの」

「お前、それを先に言えよ」


 説明不足のせいで危うく二度目の死を迎えるところだったじゃないか。


「だがこれで力の使い方が勉強できたじゃろ?」

「力に飲まれるなと教訓は得たよ」


 あのまま飲まれていたら僕は人間じゃなく、あいつらの仲間入りだっただろう。


「それが解れば十分。では行くとするかの」

「行くってどこにだよ」

「こんな状況じゃ、一度身を隠さんとな、いかに私でも次に来る第二波の奴ら全員を相手するのは骨が折れる」


 そうか。忘れていた訳じゃないけど、今地球に隕石が振って来て、宇宙人達が来襲していたんだ。もう全てが奇想天外すぎて、おかげで印象が薄かった。


「あの!」


 今まで母の亡骸の上で蹲っていた芽衣さんが唐突に声を上げる。


「どうしたの?」

「私も、私も付いて行ってもいいですか?」


 僕はさっき約束した。この娘に何かあれば助けると。ではこの場合はどうだろう、これはこの娘の要求である。変わらないか。


「いいよ、一緒に行こう。出来る限り君を助けるから」


 今僕にできる最低限のことをしよう。彼女を傷つけた代償というと聞こえが悪いが、約束通りに彼女を守ろう。この地獄から守ろうと思う。絶対出会えなかった母の愛を貰ったのだから。


「私もいいぞ、人間は大好きだ!」


 アンリは軽く承諾した。


「ありがとうございます! ですが少し待ってください」


 芽衣ちゃんはお礼を言って頭を下げ、母の亡骸に手を合わせて最後のお別れをし始めた。僕は助けると言ったけど、アンリによって覚醒させてもらわないと唯の人間だ。定期的に接吻するのも気が引けるし、突然襲われれば助けにもならない。


「と言うか、お前はいつになったら元の姿に戻るんだ?」

「何を言っておるか、私の元の姿はこれじゃぞ。あの姿もプリチーじゃが、こっちのセクシーの方がお主も好きじゃろ?」

「どう反応すればいいか困るよ」

「恥ずかしがらず好きと言えばいいのじゃ。っとそんなことを言っていると第二波が来てしまう。この近くに核シェルターはないかの?」

「ある訳ないだろ」


 戦時中でもないのに、そんなのが常備されている訳ないだろ、阿呆かお前は。と言ってやりたいところだ。


「私知ってます!」

「あるの!」


 芽衣ちゃんは母の遺体に花を添え、手を合わせて、お別れを済ましたのか。僕達の間に立つ。


「核シェルターとは言えませんけど、お父さんが勤めている自衛隊の施設にとっても頑丈な壁があるって聞いたことがあります」


 芽衣ちゃんの父親は自衛隊なのか。だからお父さんに会えと母は言っていたんだな。確かに自衛隊なら安心だな。宇宙人相手じゃなければ。


「不確定な情報じゃが、行ってみるかの。お主名は?」

「御影、御影みかげ芽衣めいです!」

「良い名じゃ、私はアンリ。この可愛らしい顔をしとるのが白銀咲じゃ」

「よろしく。あれ? 僕お前に名前教えたっけ?」

「宇宙人は何でも知ってるものじゃ」

「それは人間が宇宙を知らないから作った幻想だ」

「あ、あの早く行かないと何かが来るんじゃ?」


 そうだった。気長に話している場合じゃない。一難去ってまた一難が来られちゃ、たまったもんじゃない。それにアンリが第二波とか思わせぶりな発言をしていたし、まだ地球に隕石が降ってきて、あいつらが増えるのは確定している。


「そうじゃな、では行くかの」

「私案内します!」


 芽衣ちゃんは元気よくアンリより前に出て、河川敷を昇ろうとする。どう見ても空元気だけど、それでも彼女の健気さからは元気を貰える。僕の顔は引きつっていた顔から頬笑みを持つようになっていた。


 誰かといることはこんなにも大切なことであるのだなと再度確認ができた。


「あんまり離れると危ないよー」


 一応周りに異星人がいてもおかしくないので注意を促すと芽衣ちゃんは笑顔で振り向いた。


「ごめんなさい」


 と謝り、数メートル離れた距離を引き返してくる。


 その最中に絶望が落ちて来た。


 時がゆっくりと感じられた。まだ僕に弛んだ頬笑みが残っているのも分かる。知覚だけが過敏になっているのは残酷である、今まで元気にしていたのに、笑っていられたのに。


 どうして幸せを奪ってゆくんだ。


「芽衣!」


 アンリが叫んだ瞬間に止まっていた時が動き出したように感じた。


 崩れ落ちて行く。笑顔を硬直させたまま、何が起きたかを彼女は理解していない。観測している僕達は知っている、理解している。


 彼女の胸に風穴ができていることを。


 空からは無数の小型の隕石が降って来ていた。これが第二波か。僕は、ただ彼女が横たわってゆくの見ていただけであった。アンリはさっそうと駆け寄って胸の穴に手を突っ込み、乗り移ろうとしていた宇宙人を体外へと取り出し、殺した。


「しっかりするのじゃ、今治してやるからの」


 自らの手首を爪で切って流れ出る血を患部へと注ぎ込もうとする。その行為が引き金になったのか、時間だったのか、アンリの体は手首の傷を治して、僕と出会った時の小さな体に戻ってしまった。


「ん! どうしてじゃ、何故今力が無くなった」


 慌てるアンリがこちらを振り向く、もう一度接吻を求めているのだろう。だけど僕の頭は思考停止状態だった。この現実をどう受け止めるか、それとも逃避するか。どちらかを選ぼうと一人立ち止り考えてしまっていた。限界だったのだ。色んな事が起きすぎた。脳と感情の許容量を超えてしまった。すべてがぐちゃぐちゃになって、混ぜ合わせられた。


 その時、芽衣ちゃんがアンリの腕をぐっと掴んだ。


「どうしたのじゃ、あまり喋るでない」


 アンリはその手をそっと握る。治癒が間に合わないのであろう、手首の血だけじゃ無くなった心臓は取り戻せないことは、芽衣ちゃんのお母さんの前例がある。芽衣ちゃんの胸からは血が止まらなく流れ出て、血溜まりを作っていく。


 芽衣ちゃんもそのことを悟っているのか、頬に涙を伝わせて、スカートのポケットから花形のブローチを取り出し、それをそっとアンリに握らせる。


 そうして何かを呟いたかと思うと、手が脱力し、アンリの小さな胸に顔を預けて力尽きてしまった。


 どうしてこんなことになった。僕は彼女の母親と約束したはずだ、彼女に何かあれば助けてやると。そう言ったのに、なんだこの有様は。


 僕は・・・・・・約束すら守れない。

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