第3話「善人プレイ、まだ本気出してません(ドヤ顔)」

「……とりあえず今日は様子見。無理に良いことはしない。けど、悪いこともしない。中立モード、発動!」


土曜の昼下がり。桐谷沙織はお気に入りのカフェ「Sora Cafe」のテラス席で、カフェラテ片手に自分の脳内ミッションを確認していた。


《現在の数値:51/100》


「よし、今のところ安定してる……昨日のチーズ&ビール事件が回復剤として効いたみたいだし……。問題は、何もしなかった場合に、どれくらい自然減少するかってことよね」


テーブルの上にはスマホと雑誌とカフェラテ、そして「何も起きないでね」という祈り。


「今日は平和に、のんびり読書して、ちょっと自分時間を満喫……え、なにこれ、最高じゃない?」


思わず自画自賛。ついでにスマホを確認すると、額には《50/100》の文字がうっすら。


「……早ぇよ。」


ついさっきまで51だったポイントが、わずかに減っている。まるで“何もしなかったペナルティ”をリアルタイムで課されてるかのようだ。


「え、私、ほんとになんもしてないんだけど……? 読書してただけで!? それ、悪なの!?!? 地味に生きるのが難しい世界線……」


そのとき――


「す、すみませんっ!!!」

「えっ」


目の前に突然現れた店員の女の子が、見事なスローモーションで――


カフェラテ(2杯目)を、沙織の膝の上にダイブ。


「わあああああ!?!?あっつっ!!?!?!?!?えっっ!!なんで!?え!??」


膝から太ももにかけて、盛大にラテまみれ。


「も、申し訳ありませんっっ!!すぐ拭くものを……っ!」


タオルを持って慌てる店員と、氷のような目で固まる沙織。


「ちょ、ちょっと……!これ今日買ったばっかのパンツ……!え!?しかもこれ限定のコラボスラックス!!お値段12,800円!!しかも今日初おろし!!!!!」


「す、すみません!ほんとすみませんっっっ!!」


ガタガタ震える店員。周囲の客の視線が痛い。


「だ、大丈夫です……だいじょうぶですから……」


「え……?」


「これは……運命です……ただの運命の……いたずらなんです……うん、ちょっとズボンがコーヒー味になっただけですから……えぇ……」


笑顔(ひきつり)で店員をなだめ、損害請求の権利を手放す沙織。その背中には、人生に諦めきった者にだけ許される神々しさすらあった。


その帰り道。


《53/100》


「ほらああああああああああああ!!また上がったあああああああああああ!!」


道端で叫ぶ女、それが桐谷沙織だった。


「ってことはよ!?今日も、なーんにもしなかったから、また自然減少して、50割って、それでラテ・オン・ザ・パンツ事件発生して、回復って……!?うわぁ……!地味に計算され尽くしてるぅぅぅぅ!!やっぱこれ、本気で呪いだよぉぉぉ……」


手に入れた真実と失ったパンツを天秤にかけたとき、沙織の魂はふわっと浮いた気がした。


「ていうか、善行ポイントって“何もしないと減る”っていうか、“幸せそうにしてると減る”みたいなとこあるよね……ラテ飲んでた時間めっちゃ幸福だったし……」


しかも、「何かいいことないかな~」と平和に考えていた矢先に不幸が訪れるあたり、まるで呪いが「お前、幸せ感じてる? じゃ、マイナスな!」って言ってるみたいだ。


「やば……この呪い、性格悪っ……」


そして気付く。


「……ってことはよ? 今後、幸せを感じるたびにポイントが減るってことよね?」


恐ろしい事実に、思わず立ち止まる。


「恋とか……推しに会えたとか……そういうのも、全部マイナスになるんじゃ……?やば……人間不信ならぬ“幸福不信”になりそう……」


うなだれて歩きながら、道端で四つ葉のクローバーを見つけた。


「うわ、四つ葉……幸せの象徴じゃん……でもこれ、見つけたらマイナスなんでしょ……?」


そっと見なかったことにして、目を逸らした。


帰宅後。


シャワーを浴びてから洗濯機にダイブしたズボンを見ながら、沙織は決意する。


「……もう、だめだ。ちゃんと善いことしよ……小さいことでいいから……そうしないと、また今度はスープ系とか頭からかぶる未来が見える……!」


そしてスマホを手に取る。


「うーん、なんか手軽にできる善いこと……ゴミ拾いとか、席譲るとか、アンケート答えるとか……」


その目は、打算と恐怖に支配されつつも、どこかで何かを期待していた。


「ポイントのためとはいえ、良いことしてたら……そのうち、良いこと返ってくるかもだし……」


微妙にポジティブなことを言いながら、ふと思い出す。


「あの占い師、元気かな……」


知らぬ間に、彼女の人生は変わり始めていた――。

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