”春”思い出すは 儚き恋なりや

妖怪老人びーる男

第1話 年賀状から始まった古き夢想い

 令和7年4月のある土曜日、ここ2,3日冬の嵐が舞い戻ってきたかのような天気で気温が一桁台まで下がり、薄日が差したかと思ってたら急に風が強くなり横殴りの冷たい雨そしてヒョウまで降ってきていたのが、嘘のような穏やかな晴模様となっている。「いつもの散歩にはちょうどいいかなぁ~」と内心ほっとしていた。

 桑田弘樹は長崎の実家に戻ってから早や40年が過ぎてしまい、来年には古希を迎える年齢までになるに及んで、今までの人生を振り返る時間がそれなりに増えてきていた。また昨年の4月初め、愛知県に住む長男夫婦に生まれた初めての孫である男の子が弘樹爺さんの生きがいとなっていて、昨年の春に庭の端に小さな庭を造って記念樹の桜を植えたのだが、一年後の今、見事に十数輪のきれいな花を咲かせていた。縁側で数日だろうけど花見ができる喜びに浸りつつ、その日は、はるか昔の学生時代の記憶を呼び戻そうとしていた。


 毎年、年末には忙しくてバタバタとしている合間を見つけては恒例行事であった年賀状書きを、切手代が大幅に値上がりすることを口実に”年賀状終い”とすることを、9月に通常ハガキで知人や友人などに送っていたにも関わらず、お正月に保険会社などの営業年賀に交じって1通だけ、今まで音信不通だった昔の友人からの年賀状がはじめて配達されてきたのである。弘樹は思わず名前を二度見してしまい、しかも送ってきた友の住所を見て再度「嘘やろ!」と叫んでしまいそうであった。

 年賀状なるものもは、実家にUターンしてから結婚して営業課長を任されていたころには、ハッキリと覚えてはいないが100通以上は送ったりもらったりしていたと記憶してる。しかし定年退職してから元気なうちだけでもと小遣い稼ぎのパート勤めになったころには30通あるかなしかだったし、年齢から考えたらお互いに相手の”安否確認”みたいな感じがしていた。


 旧友の名は中野良太というのだが、学んでいた学部が違っていたこともあり大学を卒業してからは、ほぼ半世紀の間お互いに連絡を全く取り合っていなかった。にもかかわらず年賀状に記されていた差出人の住所は、弘樹の家から車で行けば多分15分くらいで行けてしまうくらいの近さだったのだ。ただ50年も前は舗装道路や公共交通の利便性も悪かったので、早くても1時間弱はかかるであろう距離であった。思えば確か彼の実家は佐世保だったと薄っすらと記憶してるので、帰省してから会社の都合ならばあり得ることであった。


 

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