第2話「記憶の中のブリュレタルト」
朝の光が、カフェ「mum colors」のキッチンに静かに差し込んでいた。
小さな窓からは、春の風に揺れる草花がちらりと見える。
棚の上には色とりどりの調味料とスパイスの瓶。ミントの葉がそっと水に浮かぶボウルからは、やさしい香りが立ちのぼっている。
その真ん中で、はぁたんは静かに手を動かしていた。
「……少しだけ、甘くしすぎましたかしら……」
ふわっとしたボブの髪。左耳には赤い西洋菊。
ぴん、と立った犬耳がぴくりと揺れる。
耳の動きとともに、心の中の不安がそっとにじみ出た。
トッピング用の果実、焦がしキャラメルの仕上げ、卵の配分——
何度作っても、“あの味”には届かない。
(お母さまが作っていた……あの、ふわりとやさしくて、甘く香るブリュレ……)
はぁたんの記憶には、いつもキッチンに立つ母の後ろ姿があった。
けれど、小さかった頃の彼女には、レシピも、味も、はっきりとは分からなかった。
ただ、甘い香りと、包み込まれるような気持ちだけが、今も胸に残っている。
「ボクはすぐ忘れるでち〜〜!でも、はぁたんはえらいでちよ!」
カウンターからぴょこんと顔を出したのはハアモ。
手のひらサイズのふわふわ妖精は、鼻をくんくんさせながら、にっこり笑っていた。
「昨日とちょっと香りが違うけど……ボクは好きでち〜〜!」
「……ありがとう、ハアモくん。けれど……まだ、わたくし……迷っておりますの」
はぁたんはふっと目を伏せ、キャラメリゼ用の砂糖をそっとふりかけた。
その声に、ぴんと立っていた耳が、すこしだけしゅんと垂れ下がる。
「ふむ、記憶と味覚を同時に再現しようとする行為は、非常に不安定ですね」
いつの間にか、銀髪の猫耳青年・プンたんがタブレットを片手に登場していた。
「曖昧な感情と、感覚的な記憶は、最も不確かな調味料です。
味の再現率は現在、試行6回中、限りなく“無”に近いです」
「むむっ、それは言いすぎでち〜〜〜!」
「でたでた、また数字でぶった斬るやつ〜〜〜」
チリチリパープルヘアの少女・ちおが、お皿をひょいっと持ち上げながら入ってきた。
頭の上でハピちゃんもくるくると嬉しそうに回っている。
「うちはな〜、お母ちゃんの味、今でもしっかり覚えてるで!
でも、作ったらなんかちゃうねん。でもな?それがええ時もあるんやって!」
その言葉に、はぁたんはまた小さくうなずいた。
けれど——
「せやからさ〜、ここにちょびっとだけ塩入れたら味が引き立つんちゃう!?」
「えっ……!?」
「それからこれもこれも混ぜて〜〜あ、トッピングもこっちのん入れたら映えるで!
見た目って大事やからな!あと彩りとバランス!あ、せやせや!!」
ばさっ!
どさっ!
はぁたんがきっちり量って並べていた材料が、全部、ぐっちゃぐちゃにミックスされた。
頭の上でハピがくるくるテンション上昇中。
一方ではぁたんの耳としっぽが、ぴしゅーっと下がる。
「…………ちおさん」
「ん?ええアイディアやろ?見てみぃ、タルトがなんか、こう、賑やかに……」
「……まったく、量の概念を持たない者が台所に立つなど、もはや災害に等しいですね。」
プンたんの毒舌が、鋭利すぎる無表情でちおに突き刺さる!
だが、ちおは笑ってる。
「え〜? ウチが混ぜたほうが、きっとええ感じになるってば〜!」
「むぅぅ〜〜……どうしたら、あの味に……」
はぁたんが落ち込んでいるのを見て、ハアモがくるっと飛び上がった。
「はぁたん!もういっかいやってみるでち!“クルりんデコフィニッシュ”でち〜〜!!」
くるんっ!!
——しかし、勢いあまって、飾りのミントがまた飛んだ!
「ぅわぁぁ!ミントが飛んでったでちぃぃ〜〜〜〜!!!」
「ぬくもりサークル、展開しますの」
はぁたんが両手をひろげ、あたたかな光がキッチンをやさしく包み込む。
空気がふわっと落ち着き、散らばった香りがまとまっていく。
「配分の記録、復元完了。データに基づき、最適なバランスを導出します」
プンたんがタブレットを片手に、サッと必要な量を整える。
「いけるでちっ……!いま、いける気がするでちっ!!」
「じゃあもういっちょーいったれーーー!!」
ハアモ、回転!
くるりんっ!!
焦げた香りに、ミントとほんのり花のような甘さが加わって——
キッチン全体に、しあわせの香りがふわりと広がった。
タルトの上には、ちょっといびつな“花のハート”の模様がぽこんと浮かんでいる。
「……あら、これは……」
はぁたんが一口、すくって味わう。
香ばしくて、甘くて、なつかしくて——でも、あの味じゃない。
けれど。
「……わたくしの、味ですわね」
少し涙ぐみながら、はぁたんは微笑んだ。
耳がふわっと立ち上がり、しっぽもくるりとやさしく揺れる。
「しあわせの味、見つかったでちね〜!」
「……これは、今のはぁたん様にしか出せない味です」
プンたんは最後に、淡々と、けれどやさしい声で言った。
「つまり、味覚的にも感情的にも“正解”です。……異論はありません」
ちおがまた余計な一言を添える。
「よっしゃ〜〜ウチのミラクルミックス大成功やな!! なんか、すごいやんこれ〜」
「二度と再現できない“奇跡の混沌”ですね。……控えめに言って事故です」
「えー、照れるぅ〜!」
今日もmum colorsのキッチンには、
やさしい香りと、ちょっとした騒がしさと、たしかなしあわせが満ちていた。
⸻
■ メニュー紹介:
「ミント香るブリュレタルト」
思い出に届かなくても。
今のあなたが作る“しあわせの味”は、きっと誰かの心に届く。
〜 次回予告 〜
第3話「プンたんの分析ドリンク劇場」
その一杯に、気持ちはこめられるのか。
数字と記憶とちょっとのスパイスで、今日もmum colorsにしあわせが香ります。
——心にそっと灯る、“特別”のレシピ。
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