第11話 男女二人、薄暗い用具室にて

「はぁ……体育館ですか」


 水上は呆けたような返事をした。食後で頭が回っていないのだろうか。


「いえいえ、頭はちゃんと回ってますよ? 回って回った上で、何言ってるんだこの人。ああ、疲れてるんだな、私がしっかりしなきゃ! って思っただけです」


 両手をグーにして自分を鼓舞する仕種をしやがった。


「とりあえず一応同級生ですけど、言葉だけでも師匠と敬ってる手前、本人の健康チェックのために聞きますけど」


「話の枕が長すぎだろ。やっぱ師匠なんて口先だけじゃねえか」


「何の実績も無い同級生を敬うわけないじゃないですか。あっはっは――目がぁぁあ!」


 ミカンの皮で水上の目を無理矢理塞いでやった。

 目は口程に物を言う。目は口の代わりだ。


「別に頭はしっかりしてるし、考え無しに体育館なんて言ったわけじゃねえよ」


 提案したのも考えたのも俺じゃないけど。


「体育館なら練習しやすいだろって話」


「……ああ、あの謎梯子はしごにぶら下がれば安全性に練習できますね」


「そっちは考えてなかったな……っていうか、うちの体育館にそんなのあったっけ?」


 小学校中学校と当たり前に背景に溶け込んでいて気にしてなかったけれど、籠城高校の体育館にあっただろうか。

 まあしかし、無くても問題は無い。あったらラッキーくらいの話である。


 月曜日。

 今日もいつものように――自分で言ってて悲しくなってくるが、生徒会活動の一環として水上と昼食を共にした。

 同じ学食内に腕木もいるのだが、水上が苦手なのか、それとも食事は孤独で食べるのが作法なのか今日も一人だった。それが当人にとって心地いいならそれでいいのだが。


 それはさておき。

 引き受ける気も巻き込まれる気も無いと、以前はっきり言いきっていた水上の後輩の話である。

 昨日、近況報告のついでで所長に伝えたところ簡単ながらアドバイスを貰ってしまったので、それを無駄にしないために水上に伝えただけである。この話を聞いてどうするかまでは俺の関知するところではない。学校の治安を守る生徒会の役目だ。


 それに、この練習には俺は関与しない方がいい。

 環境を整えるのに複数の協力者が必要だからだ。

 幾分か評価がマシになってきたとはいえ、未だ嫌われ者の身。そんなのがいては集まるものも集まるまい。

 準備段階から頓挫しかねない練習なんて、一体誰がやりたいと思うのか。

 失敗すれば命を失いかねないのだから尚更だ。

 魔法使いとはつくづく厄介だ。


「師匠の本命の案とは?」


「まあ本命って言われるほどスマートじゃ無いけどな……」


 人の案にケチを付けるのもアレだが――ましてや魔法のエキスパートの案であるが――しかし、実際にスマートとは程遠い。やってることはただの人海戦術だ。



「なんですかその小説だったらいかにも傍点ぼうてんがついてそうな、もったいぶった台詞は」


「あれ傍点って言うのか」


 謎梯子の正式名称は知らないのにそんなことはよく知ってるな。バッククロージャーとかバランとかも知ってそうだ。


「それで、傍点師匠は具体的にどうしようと」


「誰が傍点師匠だ、着物着て大喜利でもするのかよ……。人を用意して高いところに魔法無効の領域を作るんだよ。知ってるだろ? 他人が一定の距離に近付くと魔法が使えなくなるの」


「ああ、なるほど。くす玉の要領で人間を天井に吊るすんですね。さすが鬼畜師匠、考えることがひと味違う」


「吊るさねえよ。二階のギャラリーに用意するだけだ」


「なんだそっちでしたか」


「そんな案を思いつくお前の方が鬼畜だよ」


「ま、理屈は分かりました。じゃあ早速行きましょうか」


「どこに?」


「発案者なんですから、安全管理の責任も負ってもらわないと」


 発案者では無いけれど、そう言われてしまっては否定がしにくい。

 返却口に食器を返し、水上に連れられるまま体育館に移動することになった。

 なんとなく。

 腕木がこちらを覗いてる様な気がしたが、多分気のせいだろう。


 籠城高校には体育館が二つある。大きい方が第一、小さい方が第二と呼ばれているが、全校集会で使われているのが第二の方なので、時々ごっちゃになることがある。なので生徒間で呼ぶときは単純に『大きい方』か『小さい方』だ。


 そして今回、水上が選んだのは『大きい方』だった。

 何故『大きい方』を選んだのかと言えば恐らく理由は無く、強いて言うなら俺らが高校生だから、くらいのものだろう。


 そしてその『大きい方』には予想通りというか、ギャラリーはあってもあの謎梯子(正式名称を肋木ろくぼくと言うらしい)は無かった。肋木の代わりになりそうなものも当然ない。

 どうやらこのまま、無事に(?)所長の案が採用されることになりそうだ。


「採用はいいですけど、ギャラリーの高さから落ちたら普通に危険ですよ」


 ギャラリーを見上げ、水上がもっともな懸念を口にする。

 運動神経の良い男子生徒なら、手すりを乗り越えてギャラリーから飛び下りるくらいの高さではあるけど、実行できることと無傷でいられるかは全く別の問題だ。


「けどそんなのマットを敷けば大丈夫だろ」


「私見たことないんですけど、マットとかありましたっけ?」


「それはさすがにあるだろ、学校の体育館なんだから……」


 用具室にはボールと掃除用モップしかない、なんてことはさすがに無いだろう。肋木が無くてもそれくらいはあるはずだ。

 それもそうですね――と水上は納得した風に頷き、用具室へ真っすぐ進んでいく。このまま入り口付近で待たせてもらおうか、なんて思いかけたが、マットが無かった場合(そんなことは無いと思うが)の保険は打っておこうと思い直し、後を追うことにした。変に煽られたら殴りそうだ。


 バスケに勤しんでる生徒を横目に(向こうからはがっつり見られた。生徒会役員と行動を共にしてればそうもなるか)、水上が開放した用具室へ入る。

 入り口を開放しても、明り取りの窓一つない、天井の低いコンクリート打ちっぱなしの空間は、昼間だというのに薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。


「どうだった?」


「いやー、あるには、あったんですけどねぇ…」


 どこか歯切れの悪い返事をしながら水上が指差す先には、うずたかく積まれたマットの山が見えた。

 ただし、大量のボールが詰め込まれたキャスター付きのカゴや、跳び箱、その他の器具の、さらに奥まった場所に。


「なんだ、これくらいなら取り出し楽だろ。ちょっと動かすだけだし」


「取り出しはそうなんですけどね、別に取り出さなくてもいいんじゃないかと」


 そう言って今度は上を指差す。


「……ああ」


 なるほど。

 積まれたマットの上に立てば天井に手が届くか。

 これならいくら重力が反転しようと大して影響は無さそうだ。剥き出しの鉄骨に手を付ければ天井の強度も問題無い。わざわざギャラリーに人を配置するより準備も格段に楽だし、何より人目につきにくい。ばれてもせいぜい不真面目な生徒として教師に咎められるくらいだろうが、生徒会役員の水上が一緒なら、その辺りも上手くやり過ごせるだろう。


 なにはともあれ、これで俺の役目はこれで終わり、後は水上と例の後輩自身が頑張る番だ。

 ようやく肩の荷が下りたような、晴れ晴れとした気分で用具室を出ようとした。しかし、水上はまだそこを動こうとしなかった。


「うーん……ちょっと埃が気になりますね」


「知らねえよ」


 俺が気にするべきは、もっと他にあるかもしれなかった。

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