報復は最後まで
縁章次郎
報復は最後まで
「あがっ」
汚い声だな、と頭の片隅で思う。口を閉じさせていないから声が漏れるのは仕方ないにせよ、唾液と一緒に垂れ流される汚い声を聞かなければいけないのは気が滅入った。
口の中に放り込んだペンチで、奥歯を引っ掴めば、懇願する顔と目が合う。情けない顔だ。
「助けて欲しいのか?」
気まぐれに尋ねてみる。当然相手は小刻みに頭を縦に振った。奥歯を掴んでいるから無理には動けない顔でそれでも必死に頷く様は、ピンを刺された虫みたいだ。
「やめて欲しい?」
相手の男は必死に首を縦に振る。それを鼻で笑えば、ますます怯えの色が濃くなった。
「こんな事でやめて欲しいのか、お前」
ずっとずっと小さく臆病な奴だったようだ。奥歯を抜くなんて、歯医者でさえやっているのに。あるいは殴ったら簡単に飛ぶのに。
「じゃあ、こっちにするか?」
拘束した指、その先端を触る。一枚だけ赤黒く変色したそこは、さっき散々悲鳴を上げられながら剥がした所だ。
男は僅かに、だが必死に首を横に振った。根性なしめ。
「俺にはよ、弟分がいるんだわ」
「へ?」
急に身の上を話し始めた俺に男は困惑しているようだった。それに笑ってやれば、男も意味もわからず愛想笑いを返してくる。
「丁度、オメェみてぇによ。根性なしで弱っちくてなぁ。一枚爪が剥がれただけでピーピー泣きやがんのよ」
可哀想にちょっと殴ったら、痛い、なんてメソメソ泣く弟分だ。殴れば歯なんか簡単に飛んで、その上メソメソ泣いて、歯がなくなっちまうよ、なんて言うのだ。その癖図太くて、歯医者代やら餓鬼みてぇなおやつ代やらを兄貴分に強請ってくる。
根性なしとは言ったが、俺について来れているんだ。本当は根性もあるはずで、いつかうまく育てばでかい仕事だってできるような男になるはずなのだ。でも、いつまで経ってもピーピー泣くのは拾った時から一向に変わらないのだ、あの弟分は。
「オメェもピーピー泣いたなぁ」
最初に顔を殴りつけて身体がぐらついた瞬間に、腹を足で蹴り倒した。最初はイキがっていたが、手を踏みつけて骨を砕いて、そうして何度も顔を殴って前歯を折れば、この男はいつしかピーピー泣いていた。
「俺はよぉ。ピーピー泣くのが鬱陶しいんだ」
相手の顔が蒼白になる。粗相をしたのを気が付いたみたいに、身体が小刻みに震えている。
「でもよ、弟分が泣くとな、何とかしてやんなくっちゃななんて気も起こすんだわ。全くおかしくなっちまったもんだ。ピーピー泣いてるとよ、可哀想って言うんだろうかな、そんな気持ちになる。俺も人の子だわな」
男の腫れ上がった目が僅かに開かれる。もしかしたら、可哀想だと許されるのではないか、なんてそんな希望を抱いているような目でこちらをみている。
「なぁ、やっぱり可哀想だと思わねえか? 拷問なんてよ」
尋ねれば、男は喜色が混じった顔で何度も頷く。それに笑い返してやれば、助かったなんて顔をした。その裏で、報復のことを考えているのが丸わかりだった。
「そうだよなぁ。じゃあなんでお前、俺の弟分を拷問したんだ?」
一瞬、男の時間が止まる。そうして数秒後に、唾を大きく飲み込んで、震え始めた。何故、自分がこんな目に合っているのか、理由がやっと分かったらしい。
「なぁ、お前はやめて欲しいんだよな?」
震えながら男はそっと頷く。
「俺の弟分もやめてって言わなかったか?」
男は頷かない。目をあちらこちらに逸らして、何とか状況を変える方法を探している。そんなもの無いのに。
「なあ、俺の可愛い弟分がやめてっつってもやめなかったお前に、やめる理由、あるか? しかも拷問理由も、随分お粗末な理由だったらしいじゃないか。なんだお前自身の女に振られた報復って? その上、人違いだったと?」
何故それを、と言った顔で男はこちらを見る。だから、こいつは駄目なのだろう。俺の弟分だって教育の賜物で、やるなら最後までやるのだ。まだ大きな仕事はさせてはないが、自分の仕事は最後まで終わらせている。拷問なんかの仕事が失敗して出来ないなんて時は俺が尻を拭ってやるが、最近は上手くなって来ている。まだ拙いが、成長している。
それに比べて、こいつは駄目だ。嘘の任務で仲間に全部任せて、その上、最後まで見届けずにさっさと帰りやがったのだから。だから標的に逃げられた。そうして逃げられたことさえ知らない。
「俺の弟分を舐めすぎだ。後、俺たちをな。ああ、そうだお前の仲間な」
それまで部屋にかかっていたカーテンを引く。
「ひっ」
男の口から悲鳴が溢れた。
「皆、あの世行きだ。良かったな、寂しくなくて」
思い返せば、男の仲間の方が見所があった。チンピラ上がりの馬鹿ではあったけれど、それは教育をされていなかっただけで、最後まで身内の事を吐かなかった奴だっていた。
ガチガチと男が歯を鳴らした。ペンチも入っているので、金属音が響いて煩い。取り敢えず、奥歯を一本引き抜いておく。
「あがっ、ひぎぃっーー!!」
ぼろぼろとみっともなく涙を流す男に鼻で笑ってやる。
「なあ、大事な事を教えてやるよ」
男は口から赤色と唾液をダラダラ流しながら、こちらを見上げる。
「標的の二の舞になりたくないなら、やるなら最後までだ。報復の時に一匹でも逃せば、また報復が待ってるぞ」
ガクガクと震える男の口に、手に持つペンチを再び突っ込んだ。
部屋の床は、中央の拘束椅子を中心に見事に真っ赤に染まっていた。排水溝がついているタイル張りの床だから、水を流せば済む話だが、何となくやる気が出ない。いつもその仕事は弟分のもので、彼はすぐ終わらせますなんて張り切って流すのだが、その姿が見えない事にモチベーションが上がってくれない。
死体は既に片付けた。あとは部屋の床を流すだけだが、サボりたくなる。
「仕方ねぇ、あいつにやることは最後までやれっつってんだ、俺がサボるわけにはいかねえわな」
仕事であるならば、仲間への掃除の依頼も仕事の分担として大事な仕事のうちではあるが、今回は私情だ。上にも許可はもらってあるし、仕事と言えば仕事だが、己の中では個人の報復の意味合いが強い。
「終わったら、見舞いに行くか」
どうやら人違いだと言ったきり、何も吐かなかったらしい弟分を褒めてやらねばならない。
立ち上がり、煙草を燻らせて、ホースを床へと向けて水を出した。
赤色は数十分後には綺麗さっぱり下水に流れていった。
報復は最後まで 縁章次郎 @chimaira
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