真神の空に雪降りて

辰栗 光

第一章 月の名を持つ者たち

1 狼と狐 -1

 夕日のしこむ小屋の中、空利くうりは日の光を避けるように、すみでひざを抱えていた。


 自分は何なのか――そのこたえを望みながら。


 空利は顔を上げた。

 目の前に父が立っていた。焦茶の目はどこまでも深く、優しい色をしていた。


「ねえ。おれって、何なの?」


 空利は、父にすべてを託した。あともどりはできない。でも、大丈夫。父ならきっと、自分を導いてくれる。信じているから。


 戸から吹きこむ春の風が、父の髪をゆらした。銀色に輝く髪は、空利の憧れだった。


「空利はおおかみだよ」


 ほほ笑みとともに、父は言った。

 空利の胸に、決意が芽生えた瞬間だった。



 それから四年。



 空利は、目の前の光景にため息をついた。


(修練のじゃま、しないでほしいんだけど)


 森の中にぽっかりできた空き地。その真ん中に、空利は立っていた。

 東の空が明るくなっている。雪解けの季節が終わったといっても、日の出すぐのこの時間はまだ肌寒い。


 空利はすみれ色の目で、自分を囲む人影を確認した。みんな、髪が金色だ。年は空利と同じ十四か、少し上だろう。太刀たちや短刀をかまえて、空利を見据えている。


(一、二……五人。紫眼しがん持ちは一人か)


 五人のうち、空利は正面の一人に意識を向けた。その者には、ほかの四人と異なる点が二つある。そして、その二つは空利と正面の者との共通点でもあった。


 一つは身なり。空利たちが着ているのは、白い狩衣かりぎぬだ。ほかの四人は、農民が着るような、くすんだ色の衣をまとっている。しかも、目の前の一人だけは、短刀ではなく太刀を手にしていた。身分が違うと一目でわかる。


 もう一つは、さらに重要なことだ。


 紫の目。


 今から五千年前、神は四足獣から人と呼ばれる獣を創造した。人は後ろ足二本で立ち、尾はなく、耳は顔の横にあって、理性を持つ。


 人のうち、金毛のキツネをもとにして創られたのが月狐げっこ族だ。


 人の目は、茶や焦茶が多い。だが、月狐族の初代頭領の目は紫だった。月狐族において、紫の目は紫眼と呼ばれ、初代頭領の血統に連なるあかしとして特別視されていた。その目を、空利たちは持っている。

 なお、取り巻き四人は焦茶の目をしており、その目は紫眼に対して黒眼くろめと呼ばれる。


 目の前の紫眼持ちが、声高に空利をののしった。


「昨日はよくも俺の弟をやってくれたな! おまえみたいな狼の血がまじったやつ、存在するだけで胸くそわりいんだよ!」

「たしかに、俺は狼と月狐のあいだに生まれた。けど、狼の血をさげすまれる筋合いはない」


 空利は言い返しつつ、昨日の朝のことを思い出した。今のように、紫眼の少年が手下を引き連れて挑んできたため、返り討ちにしたのだ。目の前の紫眼持ちは、その仕返しに来たらしい。


 数年前まで、空利にいやがらせをする紫眼持ちは、毎日のようにやってきた。しかし、空利が強くなるにつれて頻度は減り、今では年に数回あるかないかだ。連日というのはめずらしい。


(人を相手に腕試しできるのは、俺としてもうれしいけどな)


 空利は、腰の左右に両手を回した。それぞれの手で、小太刀こだちつかを握る。


 空利の愛刀は、金色に輝く二振り一対の小太刀。刀身は一尺五寸で、刃は幅が広く、反りがある。つばはない。右手で握る柄の頭には、梅の実大の赤い石がはまっている。


 空利は小太刀を抜いた。その瞬間、斜め前にいた一人が、短刀で斬りかかってきた。


(遅い)


 空利は右足を蹴り上げた。狙いどおり、足が相手の腹にくいこむ。


(まずは一人)


 すかさず、左右から短刀が空利に襲いかかった。左の切っ先が、わずかに早くひらめいたか。

 空利は左の小太刀の峰で、相手の上腕を打ち据えた。手首を返してもう一人の横腹をたたく。


(三人目)


 峰打ちをくらった二人は、短くうめいて地面にひざをついた。そのとき、空利の背後で風が動いた。

 空利の死角を突くべく、短刀が突き出される。相手は、本気で空利の命を取りに来ているようだ。


 切っ先が首の後ろを突く寸前、空利は宙を舞った。からだが弧を描く。一筋の光が、空利の首の後ろで結んだ髪を照らした。金色に銀がまじった髪で、長さは肩と腰の中間くらいだ。


 空利は、眼下に金色の頭をとらえた。一瞬の出来事で、相手はまだ空利の居場所をつかめていないようだ。


「こっちだ!」


 空利の声に気づいて、黒眼持ちが上を向いた。だが遅い。焦茶の目に映ったのは、薄青の空のみだろう。

 空利は、状況を把握できていない黒眼持ちの背後に、ため息まじりに着地を決めた。


(せっかく教えてやったのに)


 慣れた動きで、相手の後頭部を小太刀の峰で打つ。四人目のからだが、重力に耐えきれずに前へかたむいた。


(あとは紫眼持ちだけか)


 空利は頭の中に、次に見えるだろう光景を思い描いた。倒れた四人目の向こうには、紫眼持ちの姿が現れるはずだ。しかし、空利の予想は外れた。開けた視界に紫眼持ちはいなかった。あるのは乾いた大地と、常緑の木々のみだ。


 空利は、あわてて周囲を見回した。


(どこ行った)


 うろたえる自分が、先ほどの黒眼持ちの姿と重なった。次の瞬間、空利は真上に鋭い気配を感じた。

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