だから少女は引き金を引く

香音

第1話

 スパークリングコーヒーという嗜好品を知っているだろうか。言ってしまえばやや濃いめに抽出したコーヒーと炭酸水を混ぜただけの飲み物。これがとてもおいしい。

 コーヒーの濃厚さと炭酸の爽快感、くどさは無く、口に含んだ瞬間スッと鼻に抜けていく芳醇な香りは他のどんな飲み物にも代えることのできない至高の逸品なのである。


 不思議なことに他人からの同意はなかなか得られない。


 (これの良さが分からないなんて、人生損してるよなぁ……)


 そんなことを思いながらシエラはカップの底に残った最後の一口をストローでズズズと啜る。

 硬いプラスチックの底で役目を終えた氷達が軽やかな音を立てた。初夏の蒸し暑さの中でこそ、風情を感じられる涼し気な音だ。


 季節は夏。市街地から少し離れた場所に位置するこの公園も、春の色どりを失い、本来の落ち着いた緑色を取り戻しつつあった。広々とした……とは決して言えないが、色味の少ない居住区の中で、自然を感じられる貴重な場所だ。

 今日は数日ぶりの猛暑になった。普段は賑わっているこの公園も、今は散歩中の市民と多少の制服姿がまばらに散見されるだけ。

 閑散とした公園の中央、公園のシンボルである噴水の傍らに出店した小ぶりな屋台で、商店で買うよりはやや割高なドリンクを楽しんでいる制服姿の二人組がいた。片方はシンプルなセーラー服、もう片方はジャケットの代わりにベストを着たブレザーと一見不思議な組み合わせである。


「ご馳走様です! また来ます!」


 つい先日、半袖のセーラー服に衣替えをしたばかりのシエラは、空になったカップを一段高いカウンターの上に置いた。炭酸コーヒー、こんなに美味しいのに、このあたりでこれにありつけるのはここだけなのがなんとも勿体ない。本当は自分で作る方が安上がりなのだろうが、残念ながら彼女は絶望的に料理というもののセンスが無かった。


「どうも! いつもありがとうね!」


 カウンターの向こうからまだ若い店主の笑顔が見えた。

 きっとその”ありがとう”は単純に飲み物の事だけでは無いのだろうな、とシエラは思う。


「シエラもよくあんなのをこう毎度毎度好き好んで飲むなぁ……」


 先にカップを空にしていたベスト姿が笑いとも呆れとも言えない表情をしているのが見える。


「えー、美味しいじゃん、スパコ」


「多分そう思ってるのはオマエだけだよ……」


 よいしょと背中のソフトケースを背負いなおし、てててと友人のもとに向かう。それなりに重量のあるギターケースは、これからの時期、制服の背中が蒸れるので正直あまり好きではなかった。自分と違ってハードタイプのケースを手提げで持っている友人にこの苦労はわからないだろう。


「ワタシもサーシャみたいにハードケースにしようかなぁ……」


 一見成り立たない会話だが、シエラは思っていることが口から出がちなのである。

 そして、友人もその癖を良く知っていた。


「やめとけやめとけ。オマエじゃ2日もしないうちに腕が上がらなくなるだけだって」


 だからこそ、嚙み合わない独り言にも問答無用でツッコんでくるのだ。

 ベスト姿の友人――サーシャは、決して軽くはないであろうハードケースをまるで中身など入っていないかのようにぷらぷらさせている。その細腕のどこにそんな力があるのかわからない。見た目以上に親友の腕っぷしが強いのをシエラは誰よりも良く知っていた。しかしそれはそれ、素直に認めるのはシエラ的にはちょっと悔しいのだ。


「別にサーシャだってワタシと対して変わんないじゃん」


「人は見かけによらないって言うだろ?」


 もうかなり暑くなってるのにもかかわらず、未だ長袖シャツにベストといういで立ちのサーシャを見ながらシエラは唇を尖らせた。


「なにさ、こちとら背中まで汗だくだってのに、長袖なんか着て余裕ぶっちゃってさ!」


 別に本気で言っているわけではない。彼女だってそれを分かっていると知っているからこそちょっと強いことが言えるのだ。


「ウチだって半袖の方がいいに決まってんじゃん、体質的に日焼けすると痛いんでショーがなく長袖なんだよ」


「日焼け止め塗ればいいじゃん! ワタシだって頭真っ黒なせいで熱吸っちゃって大変なんだから……!」


 今時珍しい真っ黒な髪を頭の後ろでまとめているシエラ。対するサーシャはやや癖のある薄い金髪を肩上ギリギリのところでサッパリと切っている。


「この時期日焼け止めって手に入りにくいの知ってんだろ? 髪の問題なんて帽子でもかぶればいいだけじゃんか」


「いやですぅ。帽子なんて被ったらせっかくセットした髪が乱れちゃうから被らないですぅ」


「ポニーテールにセットも何もあるかい!」


「……」


「……」


「「暑っついねぇ……」」


 もう何回目になるのかも分からないそんな会話。他愛もないが、どこか心地よいそんな会話を楽しみながら二人はゆったりとした足取りで噴水広場を後にした。

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