第30話:女神の休暇宣言!

 朝の光が森を優しく照らす頃、神代遼は目を覚ました。

 前夜の肝試しイベントで盛り上がったキャンプは、まだ静けさに包まれている。彼はテントの中で、縁結びの石をじっと眺めていた。セリアから受け取ったそれは、今も微かに虹色に輝いていた。


「おはよう、アフロネア」


『ええ、おはよう』


 女神の声には、どこか落ち着かない響きがあった。昨夜の肝試し以来、彼女の調子が少し変だと遼は感じていた。


「どうしたんだ? 昨日から様子がおかしいけど」


『……ちょっと話があるの』


 彼女の声には、珍しく真剣な調子があった。


「何?」


『私、休暇を取ることにしたわ』


「え?」


 遼は思わず声を上げた。


「休暇って、神様が?」


『ええ、神にも休みは必要なのよ』


 アフロネアの声には、どこか言い訳めいた調子があった。


「突然どうしたんだよ」


『神事務所の監査が入るの。定期的な業績評価よ』


「神事務所? 監査?」


 遼は信じられないという表情で問い返した。


『そうよ。神々にも組織があって、上司がいるのよ。たまには成果報告が必要なの』


 アフロネアの説明は、いかにも後付けのように聞こえた。


「……嘘くさい」


『失礼ね! 本当よ! まあ、信じるか信じないかはあなた次第だけど』


 女神の声は、微妙に上ずっていた。


「で、その休暇ってどういうこと? 僕はどうなるんだ?」


『一週間だけ手を引くわ。その間、あなたのフラグブレイク・ミッションも中断。腕輪の力も一時停止よ』


 そう言うと同時に、遼の腕輪から青い光が消え、灰色に変わった。


「え、マジで?」


 彼は驚いて腕輪を見つめた。確かに、いつもの暖かさが消えている。


『ええ。一週間の自由を楽しんでちょうだい。その間、私は……業務整理をしているから』


 アフロネアの説明には、何か隠している様子があった。


「本当の理由は?」


 遼の鋭い質問に、女神は一瞬黙った。


『……思うところがあるの。少し距離を置いて考えたいだけ』


 彼女の声には、珍しく迷いが混じっていた。


「昨日のことか? 肝試しで見つけた石とか……」


『うるさいわね! とにかく一週間よ! それまでは好きにしていていいわ』


 普段の高飛車な調子に戻ったアフロネアだったが、どこか取り繕っているようにも感じられた。


「わかった。でも、何かあったらどうすればいいんだ?」


『心配ないわ。何も起きないはず。それに……』


 アフロネアの声が少し柔らかくなる。


『もし何かあっても、私はずっと見ているから』


 その言葉には、意外な温かさがあった。


「見てるのかよ。休暇じゃないじゃん」


『そ、それは……まあ、念のためよ!』


 慌てたような女神の反応に、遼は思わず笑みを浮かべた。


「わかったよ。一週間の自由を満喫してみるよ」


『ええ、そうしなさい』


 アフロネアの声は徐々に弱まり、やがて完全に消えた。テントの中は静けさに包まれた。


「本当に行っちゃったのか……」


 遼はため息をつくと、テントを出た。朝日が眩しく、新しい一日の始まりを告げている。


 ***


「え、祭り?」


 遼がキャンプの中央に到着すると、すでに朝食の準備をしていたフローラが嬉しそうに告げた。


「はい! 明後日、夜空が最も美しく見える時期なんです。森の民の伝統では、その夜に"星祭り"を開くんですよ」


 彼女の瞳は輝いていた。


「星祭りか……それは面白そうだな」


 遼の言葉に、フローラは一層嬉しそうに微笑んだ。


「それで、皆さんにも参加してもらおうと思って。レオンさんにも相談したら、大賛成してくれました」


「レオンも?」


「はい。彼も皆のために何か楽しいことをしたいと思っていたようで」


 フローラの説明に、遼は頷いた。確かにキャンプ生活も長くなり、みんなのモチベーションを高める何かがあれば良いと思っていた。


「協力するよ。何をすればいい?」


「ありがとうございます! まずは飾り付けの材料を集めたいんです。森の中の色とりどりの花や、光る苔、あとは……」


 フローラの説明は続いたが、遼は少し考え事をしていた。アフロネアが突然「休暇」を宣言した理由——それは本当に「神事務所の監査」なのだろうか? それとも、昨夜の肝試しでの出来事と関係があるのか?


「神代さん? 聞いてますか?」


 フローラの声で我に返る。


「あ、ごめん。ちょっと考え事を」


「大丈夫ですか? 何か悩みでも?」


 彼女の心配そうな表情に、遼は微笑みかけた。


「いや、大丈夫。それより、祭りの準備を手伝うよ」


「はい! ありがとうございます」


 フローラの笑顔は、朝の光の中で一層美しかった。


 ***


 昼過ぎ、遼はレオンと共に森の中を歩いていた。星祭りの装飾用の木材を集めるためだ。


「神代、調子はどうだ?」


 レオンの突然の質問に、遼は少し驚いた。


「ああ、普通だけど……なんで?」


「いや、何となく今日は様子が違うと思ってな」


 彼の洞察力は鋭かった。確かに、アフロネアの不在で何かが違う一日だった。


「そうかな……まあ、少し変わったことがあったよ」


「何かあったのか?」


「うん、ある意味で"休暇"をもらったというか」


 レオンは首を傾げたが、それ以上詮索はしなかった。彼は遼のプライバシーを尊重する男だった。


「そうか。ならば、この祭りは良いタイミングだな。楽しもう」


「ああ」


 二人が木材を集めていると、森の奥からカサカサという音が聞こえた。振り返ると、一匹のリスが彼らを見つめていた。


「おや、リスか」


 レオンが言った。リスは特に警戒する様子もなく、彼らを観察していた。


「変わったリスだな。人を怖がらないのか」


 遼が近づこうとすると、リスは少し身を引いたが、完全には逃げなかった。それどころか、妙に遼の方をじっと見つめているように感じられた。


「気のせいかな……」


 遼がつぶやくと、リスは一度クルリと回り、また彼を見た。その仕草には、どこか意図的なものが感じられた。


「神代、気に入られたようだな」


 レオンは笑いながら言った。


「そうみたいだな」


 遼は微笑んだが、どこか引っかかるものを感じた。このリスの目は……どこか見覚えがあるような。


「さて、材料は十分集まったな。キャンプに戻ろう」


 レオンの声に、遼は我に返った。


「ああ、そうだな」


 二人が立ち去ると、リスは木の上から彼らの後ろ姿をじっと見つめていた。その瞳には、単なる野生動物とは思えない知性の光が宿っていた。


 ***


 キャンプに戻ると、すでに祭りの準備が始まっていた。女子たちは色とりどりの布を使って装飾品を作り、男子たちは広場の設営を進めていた。


「お帰りなさい、神代さん」


 フローラが嬉しそうに駆け寄ってきた。彼女の手には、花で作られた冠があった。


「これ、あとで祭りで使うものなんです。皆さんにもかぶっていただく予定で」


「へぇ、綺麗だな」


 遼が感心して見ていると、フローラは少し照れたように笑った。


「あの、もしよければ……試着してみていただけますか?」


「え? 僕が?」


「はい。サイズを確認したいので」


 その言葉には、別の意図も感じられたが、遼は素直に応じた。


「わかった」


 フローラが冠を彼の頭に乗せる。花の香りが優しく鼻をくすぐる。


「とても似合います!」


 彼女の素直な感想に、遼は少し照れた。周囲からも口笛や冗談が飛ぶ。


 「王子様みたいだな、神代!」

 「いいぞー、神代!」


 和気あいあいとした雰囲気の中、遼は微笑んだ。こんな風に皆と楽しむのは、久しぶりの感覚だった。


「神代さん」


 振り返ると、セリアが静かに立っていた。彼女の表情には、何か意味深なものがあった。


「何か変化を感じませんか?」


 彼女の問いかけに、遼は少し驚いた。


「ああ、君にもわかる?」


「はい。神々の気配が……変わっています」


 セリアの洞察力は鋭かった。神の使いである彼女には、アフロネアの不在が感じられるのだろう。


「アフロネアが"休暇"を取ったんだ」


 遼の説明に、セリアは目を見開いた。


「休暇……? 神が?」


「ああ、"神事務所の監査"とかなんとか」


 セリアは少し考え込むような表情をした後、小さく笑った。


「なるほど……」


「何かわかるの?」


「いいえ、ただ……興味深いことです」


 彼女の笑みには、何か知っているような雰囲気があった。


「あの、セリアさん」


 会話に割り込むように、フローラが近づいてきた。


「あなたも星祭りのことご存知ですか? 森の伝統について」


「ええ、少しは」


「それならぜひ、アドバイスをいただきたくて」


 フローラの誘いに、セリアは穏やかに頷いた。


「喜んで」


 二人の女性が去っていく様子を見ながら、遼はふと森の方を振り返った。そこには先ほどのリスが、まだ彼を見つめていた。


「まさか……」


 彼はふと思いついたが、すぐに首を振った。そんなはずはない。


 だが、リスはまるで彼の考えを読んだかのように、クルリと回って尻尾を振った。


「アフロネア……?」


 彼の小さなつぶやきに、リスは反応したようにピクリと耳を動かした。


「冗談だろ……」


 遼は呆れたように笑ったが、どこか納得もしていた。女神の「見ている」という言葉は、こういう意味だったのか。


 夕暮れ時、キャンプは祭りの準備で活気づいていた。皆が思い思いの役割を果たし、協力し合う姿に、遼は温かいものを感じた。


 アフロネアがいない今、彼は自由だった。フラグを折る義務もなく、ただ普通の若者として過ごせる時間。


 だが同時に、どこか物足りなさも感じていた。脇から彼を見守る女神の存在に、いつの間にか慣れていたのだろうか。


「一週間か……」


 遼は空を見上げた。夕焼けに染まる雲の間から、一つの星が瞬き始めていた。明後日の星祭りでは、もっと多くの星が輝くことだろう。


 そして彼の知らないところで、神々の世界にも、新たな星が生まれようとしていた。

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