第29話:肝試し! 恋の仕掛け

 夏の夜は、星の輝きと共に訪れる。

 そして時に、予想外の冒険をも連れてくる。


 キャンプの中央に設けられた焚き火の周りで、仲間たちが集まっていた。夕食を終え、リラックスした雰囲気の中、エリオットが突然立ち上がった。


「あの、みなさん! 提案があります」


 普段は静かな彼の声が、珍しく力強く響き渡る。皆の視線が彼に集まった。


「今夜、肝試しをしませんか?」


 その予想外の提案に、一同から様々な反応が上がった。興奮した声、恐怖に震える声、そして好奇心に満ちた囁き。


「肝試し?」


 レオンが首を傾げる。


「ああ、昨日北の森を探索していたら、ちょうど良さそうな場所を見つけたんです。洞窟もあるし、雰囲気も抜群で」


 エリオットの目は輝いていた。その熱意は伝染性があり、次第に周囲も乗り気になっていく。


「面白そうだな」


 レオンも興味を示した。


「普段の生活に少し刺激が欲しいと思っていたところだ。皆はどうだ?」


 多くの生徒たちが賛同し、キャンプは急に活気づいた。


『肝試し? 子供っぽいわね』


 アフロネアの声が、遼の頭の中で響いた。その調子には、皮肉めいたものがあったが、同時に好奇心も感じられた。


「でも楽しそうじゃないか」


『そうかしら?』


「ああ。彼らにとっては良い気分転換になるだろう」


 レオンが肝試しの詳細を説明し始めた。二人一組のペアで、森の中に設置された目印を辿りながら、最奥の洞窟まで行って証拠品を持ち帰るという内容だ。


「さあ、ペアを決めよう」


 レオンの言葉に、皆が動き始めた。友達同士で誘い合ったり、くじ引きで決めたりと、キャンプは一気に祭りのような雰囲気になった。


「神代さん」


 声がして振り返ると、フローラが立っていた。昨日の雨宿りでの会話以来、二人の間には新たな理解が生まれていた。


「もし良ければ、一緒に行きませんか?」


 彼女の誘いには、単なる怖さの共有を超えた意味があるように感じられた。


「ああ、喜んで」


 遼の答えに、フローラは嬉しそうに微笑んだ。


『また二人きりね。デート続きなのね』


 アフロネアの声には、茶化すような調子があったが、どこか複雑な感情も混じっていた。


「嫉妬してるのか?」


『まさか! 神が人間に嫉妬するわけないでしょ』


 強い否定には、逆に真実が透けて見えるようだった。


 肝試しの準備が進む中、遼はふとセリアの姿を探した。彼女はキャンプの隅で、一人物思いに耽っているようだった。


「セリア、参加しないの?」


 彼の問いかけに、彼女は静かに顔を上げた。


「ええ……私は見守る役をしようと思います」


 その言葉には、何か深い意味があるように感じられた。


「何か感じることがあるの?」


「はっきりとはわからないのですが……今夜、何かが起きるような予感がします」


 彼女の直感は鋭かった。神の使いとしての彼女の感覚は、普通の人間よりも敏感だったのだろう。


「警戒しておくよ」


 セリアは小さく頷いた。彼女の周りには、微かな虹色の光が漂っているように見えた。


 ***


 夜が更け、森は闇に包まれた。月明かりは木々の間から漏れ、幻想的な光景を作り出していた。


「それでは、肝試し開始!」


 レオンの掛け声と共に、最初のペアが出発した。そして次々と、二人組が暗い森へと消えていった。


「僕たちの番だ」


 遼とフローラのペアは、中盤の出発組だった。二人は小さなランタンを手に、森の入り口に立った。


「緊張しますね」


 フローラの声には、恐怖というより、期待の色が混じっていた。


「大丈夫、僕がついてるよ」


 遼の言葉に、彼女は微笑んだ。


 二人は暗い道を進み始めた。月明かりと小さなランタンの光だけが、彼らの導きだった。


 森の中は思ったより静かで、時折聞こえる虫の音や葉の擦れる音が、かえって緊張感を高めた。


「最初の目印はあそこね」


 フローラが指さす先に、木に結ばれた赤いリボンが見えた。


「よく見つけたね」


 彼女の観察眼は鋭かった。森の民の血を引く彼女は、自然の中での感覚が研ぎ澄まされているのだろう。


 二人は赤いリボンを目印に進んでいった。道は次第に険しくなり、木々はより密集してくる。


「次の目印は……あれかな?」


 遼が指さした先には、青いリボンが見えた。しかし、不自然に揺れているようにも見える。


「ちょっと待って」


 フローラが彼の腕を掴んだ。


「あのリボン、罠かもしれません」


 その言葉通り、青いリボンの周りには何かの仕掛けがあるようだった。リボンに近づくと、糸が張られており、それが引っ張られると何かが落ちてくる仕組みになっていた。


「誰がこんなものを?」


『楽しい仕掛けね』


 アフロネアの声には、悪戯っぽい調子があった。


「君の仕業か?」


『いいえ、でも素晴らしいアイデアだわ。肝試しに仕掛けを加えるなんて』


 遼とフローラは慎重に罠を避け、先に進んだ。しかし、次の目印の辺りでも同様の仕掛けを発見した。今度は音が出る仕掛けで、触れると大きな音で驚かせるようになっていた。


「これは……誰かのいたずらね」


 フローラの言葉通り、これは明らかに当初の計画にはなかった追加の仕掛けだった。


「でも、なぜ?」


 その疑問への答えは、次の目印で明らかになった。黄色いリボンの下には、小さな紙が置かれていた。


「何か書いてある」


 フローラがそっと紙を拾い上げた。


「"怖い時こそ、心は近づく"……何のメッセージでしょう?」


 その言葉の意味に、遼は思い当たるふしがあった。これは肝試しというより……。


「恋愛フラグの仕掛けだ」


「え?」


「肝試しで怖い思いをすれば、自然とペアの距離が縮まる。いわゆる"怖がらせて惹きつける作戦"というやつだ」


 フローラの頬が赤くなった。彼女もその意図を理解したようだった。


「そんな……誰がこんな」


『面白い展開ね』


 アフロネアの声には、純粋な楽しさがあった。


「これも君じゃないよね?」


『私じゃないわ。でも興味深いわね。誰かがカップル成立を狙っているのかしら』


 二人は注意深く先に進んだ。次々と現れる仕掛けは、全て「恐怖を利用した恋愛フラグ」を立てるためのものだった。突然の物音、動く影、不気味な光など、典型的な肝試しの演出が施されていた。


「神代さん、これって……」


「ああ、誰かが僕たちをカップルにしようとしてるんだ」


 その結論に、フローラは複雑な表情を浮かべた。昨日の彼女の告白と、遼の中途半端な返事を考えれば、この状況は微妙なものだった。


「気にしないで。仕掛けを楽しもう」


 遼の言葉に、フローラは安堵したように微笑んだ。


「はい。それが一番ですね」


 二人はより一層警戒しながらも、肝試しを楽しむ余裕を持ちつつ進んでいった。


 やがて、洞窟の入り口に到達した。ここが肝試しのゴールだった。


「ここまで来たね」


「はい。でも……中に入るのは少し怖いです」


 フローラの正直な気持ちに、遼は微笑んだ。


「一緒に行こう」


 二人は手を取り合い、洞窟の中へと足を踏み入れた。内部は予想以上に広く、壁には蛍光のような光る苔が生えており、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「綺麗……」


 フローラの声には純粋な感動があった。


「本当だね」


 洞窟の奥に進むと、小さな祭壇のようなものが設置されていた。そこには証拠品のはずの石が置かれているはずだったが——


「石がない」


 遼が言った。祭壇には何も置かれていなかった。


「おかしいわね。レオンさんは証拠品を置いたと言っていたのに」


 二人が困惑していると、突然後ろから声がした。


「お待ちしていました」


 振り返ると、セリアが立っていた。彼女の手には証拠品であるはずの石が握られていた。


「セリア? なぜここに?」


「私が仕掛け人です」


 彼女の告白に、二人は驚きを隠せなかった。


「仕掛け人?」


「はい。この肝試しは、私がエリオットさんに提案したものです」


「なぜ?」


 その問いに、セリアは石を遼に差し出した。


「これをご覧ください」


 石を見ると、それは普通の石ではなく、虹色に輝く特別なものだった。


「これは……」


「ユーノス様から授かったものです。"縁結びの石"と呼ばれています」


 彼女の説明に、遼は驚きを隠せなかった。


「縁結び? つまり、この肝試し全体が……」


「はい。恋愛フラグを立てるための仕掛けです」


 セリアの告白には、使命感と共に、どこか申し訳なさも混じっていた。


「でも、なぜ?」


 フローラの問いに、セリアは静かに答えた。


「ユーノス様の使命を果たすため。そして……」


 彼女は少し躊躇った後、続けた。


「そして、お二人は本当に似合っていると思ったからです」


 その素直な言葉に、フローラの頬が赤くなった。


『まあまあ、ユーノスの策略だったのね』


 アフロネアの声には、意外にも怒りではなく、感心したような調子があった。


「でも、セリア、僕はフラグを折る役目を……」


「はい、知っています。だからこそです」


 彼女の言葉には深い意味があった。


「二人の神の使いとして、私たちは対立する立場です。しかし、それは人間としての幸せを否定するものではないと思うのです」


 セリアの哲学には、成熟した知恵が感じられた。


「神代さんが全てのフラグを折り続ければ、あなた自身の幸せは?」


 その問いかけは、遼の心に深く響いた。


『彼女の言うことには一理あるわね』


 意外にも、アフロネアは同調するような声を出した。


「君も?」


『私はただ観察しているだけよ。でも……あなたの幸せも、時には考えるべきかもしれないわね』


 女神の言葉には、珍しく思いやりが込められていた。


「神代さん」


 フローラが静かに呼びかけた。


「私は昨日、自分の気持ちを伝えました。そして、あなたの答えも聞きました」


 彼女の瞳には、強さと優しさが宿っていた。


「だから、この石の力を借りなくても、私たちの関係は既に形作られていると思います」


 彼女の言葉には、成熟した理解があった。無理に結ばれることを求めるのではなく、互いの立場を尊重する姿勢。


 セリアはそんな二人を見つめ、静かに微笑んだ。


「私の役目は果たしました。この石をお二人にお渡しします」


 彼女は石を遼の手に置いた。


「どうか大切にしてください。これは単なる恋愛の象徴ではなく、人と人との真実の絆を表すものですから」


 その言葉と共に、セリアは洞窟を後にした。彼女の背中からは、神の使いとしての威厳と、一人の少女としての優しさが感じられた。


 洞窟に残された二人は、しばらく沈黙していた。虹色に輝く石が、ランタンの灯りの中で美しく光を放っていた。


「フローラ」


「はい?」


「昨日の続きになるけど……」


 遼は言葉を選びながら、誠実に語ろうとした。


「君の気持ちは、僕にとって大切なものだ。でも、僕にはまだ果たすべき使命がある」


 彼の言葉に、フローラは優しく微笑んだ。


「わかっています。急かしません」


 彼女の理解に、遼は安堵した。


「ただ、一つだけ教えてください」


「なに?」


「もし、使命がなかったら……あなたはどうしたいですか?」


 その直球の質問に、遼は少し考えてから答えた。


「そうだな……きっと君ともっと近づきたいと思う」


 素直な気持ちを伝えると、フローラの顔が明るくなった。


「それだけで十分です」


 彼女の言葉には、満足と希望が込められていた。


「さあ、戻りましょう。皆が待っています」


 二人は虹色の石を大切に持ち、洞窟を後にした。


 ***


 キャンプに戻ると、既に多くのペアが帰還していた。皆、肝試しの恐怖と興奮を語り合い、賑やかな雰囲気が広がっていた。


「戻ったか!」


 レオンが二人を見つけ、近づいてきた。


「証拠品は見つかったか?」


 遼は虹色の石を見せた。レオンは少し驚いたような表情を見せた。


「それは……セリアが渡したのか?」


「知ってたの?」


「ああ、彼女から聞いていた。肝試しの真の目的をね」


 彼の言葉に、遼は驚いた。レオンも計画に加担していたのだ。


「君も協力したんだな」


「まあな。君たちにとって良い機会になればと思ってね」


 レオンの笑顔には、友人を思う優しさがあった。


「そういえば、ラティアは?」


「ああ、彼女は……」


 レオンの頬が少し赤くなった。


「実は彼女と一緒に肝試しに行ったんだ。そして……」


 彼の表情から、何かが進展したのは明らかだった。


「おめでとう」


 遼の言葉に、レオンは照れくさそうに笑った。


「ありがとう」


 彼らの会話を横目に、フローラは優しく微笑んでいた。彼女の表情には、友人の幸せを心から喜ぶ純粋さがあった。


 キャンプは今宵、特別な活気に包まれていた。肝試しの冒険談、そして生まれたばかりの新しい感情。全てが混ざり合い、夜の森に温かな光を投げかけていた。


 遼は焚き火の側で、虹色の石を見つめていた。それは単なる証拠品ではなく、新たな可能性の象徴のようにも思えた。


『素敵な夜よね』


 アフロネアの声には、純粋な感慨が込められていた。


「ああ。君も楽しんでるみたいだね」


『ええ。人間の感情の機微は、いつも私を驚かせるわ』


 彼女の言葉には、神としての観察眼を超えた、一人の存在としての素直さがあった。


「アフロネア、聞いていいか?」


『なにかしら?』


「フローラとの関係について、君はどう思ってる?」


 その質問に、女神は少し間を置いて答えた。


『それはあなた自身が決めることよ。私があなたに「フラグを折れ」と命じたのは事実だけど、全てのフラグを折る必要はないのかもしれないわね』


 彼女の回答には、以前とは異なる柔軟さがあった。


「変わったな、君も」


『そうかしら? 私はただ……観察を続けているだけよ』


 言葉とは裏腹に、彼女の声には明らかな変化があった。より人間的な、感情豊かな調子に。


 遼は星空を見上げた。無数の星が瞬く夜空は、無限の可能性を示しているようだった。彼の心の中にも、新たな感情が静かに育ちつつあった。


 そして明日もまた、彼らの物語は続いていく。森の中の小さなキャンプで、神々の思惑と人間の感情が交錯する、特別な日々が。

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