第23話:漂流者との遭遇
夜明けの光は、新しい真実を照らし出すこともあれば、より深い謎を生むこともある。
目覚めた神代遼を待ち受けていたのは、後者だった。
「朝だぞ、アフロネア」
彼の呼びかけは、昨夜の奇妙な出来事への確認でもあった。腕輪の星マークは消えていない。「女神の恩寵」は継続中らしい。
『おはよう』
アフロネアの声には、珍しく素直さがあった。いつもの高飛車な調子はなく、どこか恥じらうような柔らかさが感じられる。
「このギフトを解除するって約束だったはずだが」
『そうだっけ? そんな約束してたかしら?』
明らかに知らぬ存ぜぬを決め込む女神に、遼はため息をついた。
「みんなが変になってるんだ。早く元に戻してくれ」
『あら、そんなに悪いことかしら? 人に好かれるのは嬉しいことじゃない』
「それが本当の好意なら、ね。でもこれは人工的なものだろう? そんなの意味がない」
遼の言葉に、アフロネアは一瞬沈黙した。
『……本当の好意って何かしら? 人の心なんて元々複雑で、様々な要素が絡み合って生まれるものよ。このギフトは単に、あなたの潜在的な魅力を引き出しているだけ』
その言い訳めいた説明に、遼は首を横に振った。
「とにかく、解除してくれ」
『ごめんなさい、それができないのよ。このギフトは一週間続くように設定されているから』
「何だって?」
『神の力にも限界があるの。一度発動したギフトを途中で解除することはできないわ』
アフロネアの言葉に、遼は頭を抱えた。一週間も「女神の恩寵」の効果に耐えなければならないと考えると、気が遠くなる。
「大丈夫よ。私が見守っているから」
『安心したらどうよ』
アフロネアの声には、不自然な優しさがあった。明らかに、何か企みがあるようだ。
***
キャンプに出ると、予想通り異様な雰囲気が漂っていた。仲間たちの視線が、一斉に遼に向けられる。
「おはよう、神代!」
フローラが駆け寄り、特製の朝食を差し出した。彼女の瞳は輝き、頬は桜色に染まっている。
「あ、ありがとう」
戸惑いながらも受け取ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「森で見つけた特別なキノコと、湖の魚を使ったスープです。神代さんのために早起きして作りました」
その言葉に、遼は申し訳なさを感じた。これは彼女の本心ではなく、ギフトの効果なのだ。
「神代、今日の行動計画だが」
レオンが近づいてきた。彼の態度も普段より親しげで、遼の意見を特別に重んじるような様子がある。
「湖の北側にまだ調査していない地域がある。今日はそこを探索したいのだが、君にリーダーをお願いできないか?」
「え? 僕がリーダー?」
通常なら自分が指揮を執るレオンが、突然遼にリーダーシップを譲るなど考えられないことだった。
「ああ。君の冷静な判断力と洞察力は、我々の中で群を抜いている。今日の探索は君に任せたい」
明らかにギフトの影響を受けた発言に、遼は困惑しながらも頷くしかなかった。
「あの、神代さん」
今度はラティアが接近してきた。昨夜の焚き火での中断の後、彼女の攻勢は一層強まっているようだった。
「今日の探索、私もご一緒させてください」
彼女の瞳には、普段見せない柔らかさが宿っていた。
「ああ、もちろん」
断る理由もなく、遼は同意した。状況はますます複雑になっていく。
キャンプの片隅で、セリアが彼らの様子を静かに見つめていた。彼女だけは「女神の恩寵」の効果を受けていないようで、複雑な表情を浮かべている。
遼が彼女に近づくと、セリアは小さく頭を下げた。
「神代さん、今日も大変ですね」
「ああ。アフロネアに言わせると、このギフトは一週間続くらしい」
その報告に、セリアは驚いた様子を見せた。
「一週間も……」
「ユーノスからは何か聞いてない? 神々の間で何が起きているのか」
セリアは少し考え、慎重に言葉を選んだ。
「昨日のお祭りの後、神々の間で何か……交流があったようです。詳細は分かりませんが、雰囲気が変わりました」
彼女の説明は曖昧だが、何か重要な変化があったことは間違いないようだ。
「今日の探索、君も来るか?」
「はい。私も同行します」
セリアの言葉には、遼を見守るという意図が感じられた。
***
午前中、探索隊は湖の北側へと歩を進めていた。遼を筆頭に、レオン、ラティア、フローラ、そしてセリアが続く。いつもならレオンが先頭を切るはずだが、今日は彼が率先して遼にその役割を譲ったのだ。
「この先に何があるかな」
フローラの声には期待が込められていた。彼女の視線は遼の背中に注がれ、彼の一挙手一投足に感嘆の色を浮かべている。
「未知の領域だからこそ、慎重に進もう」
レオンの言葉には、いつもの指揮官としての威厳がありながらも、遼への敬意が透けて見えた。
森を抜け、丘を登ると、湖の北側の全景が見渡せる場所に出た。青く輝く水面が広がり、その向こう岸には未知の森が続いている。
「綺麗だな……」
遼のつぶやきに、皆が同意するように頷いた。
「神代さんの目に適う景色で何より」
ラティアが甘い声色で言った。彼女はさりげなく遼の腕に触れる。
『ちょっと! そこまで近づかなくても見えるでしょ!』
突如として空から降ってきたアフロネアの声に、一同が驚いた。ラティアは反射的に身を引いた。
「誰?」
レオンが警戒の表情を浮かべる。遼以外の者には、アフロネアの声は不思議な現象にしか聞こえないのだろう。
「あ、いや、気のせいだと思う」
遼は慌てて取り繕った。
『ごめんなさい、つい出ちゃった』
アフロネアの声は、遼の頭の中だけに響く。その調子には、明らかな嫉妬めいたものがあった。
「神代さん、あの湖の向こう……何か見えませんか?」
セリアが突然言った。彼女の視線の先を見ると、確かに湖の対岸に何か人工的な構造物のようなものが見える。
「あれは……小屋?」
遼の言葉に、全員の注目が湖の向こうに集まった。
「誰かいるのか?」
レオンの声には緊張が含まれていた。彼らは自分たち以外の人間に出会ったことがなかったからだ。
「確かめてみよう」
遼の提案に、全員が頷いた。
湖の周りを回り込み、対岸へと向かう道すがら、遼の心は複雑な思いで満ちていた。新たな出会いの可能性と、「女神の恩寵」の効果が続く中での不安。そして何より、アフロネアの奇妙な行動の理由が気になっていた。
『気をつけて。向こうに何がいるか分からないわ』
アフロネアの声には、珍しく心配の色が混じっていた。
「ああ、分かってる」
遼は小声で返した。アフロネアの態度は確かに変わっていた。神々の世界で何が起きたのか――それが気になって仕方なかった。
***
小屋に近づくにつれ、それが最近建てられたものであることが分かった。木の切り口は新しく、構造も洗練されている。
「誰か住んでるんだ……」
フローラのつぶやきには、期待と不安が入り混じっていた。
小屋の前に立つと、中から物音が聞こえてきた。遼は仲間たちに後ろに下がるよう手で合図した。
「もしもし、誰かいますか?」
遼の呼びかけに、小屋の中が一瞬静まり返った。そして、扉がゆっくりと開いた。
「何者だ?」
現れたのは、20代後半と思われる男性だった。彼は短く刈り込まれた髪と鋭い眼差しをしており、その姿からは緊張感が伝わってきた。
「私たちはキャンプで生活している漂流者です」
遼の言葉に、男性は彼らを一人ずつ観察するように見た。
「漂流者か……そうか、君たちも"あの嵐"で来たんだな」
男性の言葉に、一同は驚きの表情を浮かべた。"あの嵐"——それは彼らをこの世界に連れてきた現象のことだろう。
「あなたも?」
レオンの問いに、男性は頷いた。
「俺はハルト。三ヶ月前に、突然の嵐と光に包まれて、気がついたらここにいた。どうやら俺たちだけじゃなかったようだな」
その言葉に、希望の光が見えた気がした。彼らのような境遇の人間がいるということは、この状況についての情報を共有できるかもしれない。
「私たちは約二ヵ月前に来ました。学園の修学旅行中に突然……」
遼の説明に、ハルトは深く頷いた。
「集団で来たのか。俺たちは三人だけだった」
「他にも仲間がいるんですか?」
フローラの質問に、ハルトは小屋の中を振り返った。
「ああ。ミナとカイト。今は食料調達に出かけているが、すぐ戻るだろう」
彼は扉を広げ、中に招き入れるしぐさをした。
「とりあえず入ってくれ。話は中でしよう」
一同は感謝の言葉を述べ、小屋に足を踏み入れた。
内部は意外に広く、洗練された暮らしの痕跡があった。手作りの家具や調理器具、壁には地図らしきものが掛けられている。
「よくこんな立派な小屋を」
レオンの感嘆の言葉に、ハルトは少し誇らしげに微笑んだ。
「俺は元々建築関係の仕事をしていたんだ。この森の資材を使えば、こんなものは簡単さ」
彼は皆を椅子に座らせ、水を差し出した。
「で、君たちはどこで生活しているんだ?」
「湖の南側にキャンプを設けています」
遼の説明に、ハルトは思案顔になった。
「なるほど。あそこは見晴らしがいいからな。俺たちは最初そこにいたんだが、ミナが湖の北の方が気に入って、ここに移ってきたんだ」
「あの、この世界のことで何か分かったことはありますか?」
セリアの静かな問いに、ハルトは複雑な表情を浮かべた。
「正直、謎だらけだ。だが、一つだけ確かなことがある——ここは元の世界ではない。そして、俺たちは"選ばれた"んだ」
「選ばれた?」
遼の問いに、ハルトはさらに言葉を続けようとした瞬間、外から声が聞こえてきた。
「ハルト、戻ったわよ! 見て、すごい収穫!」
扉が開き、若い女性が入ってきた。長い黒髪を後ろで束ね、活発な印象を与える女性だ。彼女の後ろには、少し年下に見える青年が続いていた。
「おや、お客さん?」
女性の目が遼たちに向けられる。
「ああ、南側のキャンプから来た漂流者たちだ」
ハルトの説明に、女性は明るく笑った。
「まあ! 他にも人がいたなんて! 私はミナ、こっちはカイトよ」
彼女は親しげに手を差し出し、一人ずつ握手を交わしていく。彼女の屈託のない笑顔に、場の雰囲気が和らいだ。
「これは驚きだな。他にも漂流者がいるなんて」
カイトと名乗った青年は、落ち着いた声で言った。彼の眼鏡の奥の瞳は、知的な光を宿していた。
「どうぞ、これ食べて」
ミナは集めてきた果物を皆に分け与えた。彼女の明るい性格は、この異世界での生活の不安を少し和らげてくれるようだった。
「ところで、ハルトさん」
遼は先ほどの話題に戻った。
「"選ばれた"というのは、どういう意味ですか?」
その問いに、三人は互いに視線を交わした。そして、カイトが口を開いた。
「俺たちは"特別な力"を持っているんだ」
「特別な力?」
レオンが身を乗り出した。
「ああ。この世界に来てから、俺たちは普通じゃない能力を得た。例えば、俺は物事の"確率"が見える」
カイトの言葉に、一同は驚きの声を上げた。
「何かの行動の成功確率とか、出来事の発生確率が数値として見えるんだ。これのおかげで、食料調達や危険回避が随分と楽になった」
「私は"強化"の能力よ」
ミナが続けた。
「触れたものの性質を一時的に強くできるの。木なら硬く、武器なら鋭く、食べ物なら栄養価を高められるわ」
彼女の説明に、フローラは目を輝かせた。
「そして俺は"構築"だ」
ハルトが言った。
「自然素材を使って、通常より速く、より堅固な構造物を作れる。この小屋も、普通なら一ヶ月かかるところを三日で建てた」
その言葉に、遼は自分の腕輪を無意識に触った。彼らの言う"特別な力"と、「フラグブレイク・ギフト」は関係しているのだろうか。
『注意して』
アフロネアの声が、突然遼の意識に届いた。
『彼らの言う"力"は、神域の影響を受けたものよ。でも、彼らには背後に神がいない』
その警告に、遼は少し身構えた。彼らは神の使いではなく、偶然神域の力を得た存在ということなのだろうか。
「私たちにもそういうものがある」
セリアが静かに言った。彼女の判断に、遼は驚いた。彼らの能力を明かすつもりだろうか。
「私たちの一部も、特別な"感覚"を持っています」
彼女の言葉は慎重だった。詳細は明かさず、しかし共通点を示している。
「やはり」
ハルトが満足そうに頷いた。
「だから俺は言ったんだ。俺たちは"選ばれた"んだと。この世界は、特別な力を持つ者だけを集めているんだ」
その理論に、遼は複雑な思いを抱いた。彼らは神々の干渉について知らないようだ。彼らの「力」は偶然の産物なのか、それとも別の目的があるのか。
「それで、君たちの"力"は何なんだ?」
カイトの鋭い質問に、一瞬の沈黙が訪れた。
「それは……複雑なんです」
遼は言葉を選びながら答えた。
「詳しく話すには時間がかかります。今日はもうすぐ日が暮れるので、またの機会に」
その言い訳は、半分は真実だった。日は確かに西に傾きつつあった。
「そうだな。今日はもう遅い」
ハルトも同意した。
「また来てくれ。互いの情報を共有できれば、この世界での生き方も変わるかもしれない」
彼の提案に、遼たちは感謝の意を示した。
「ぜひまた。今度は私たちのキャンプにも来てください」
フローラの言葉に、ミナは嬉しそうに頷いた。
「ぜひ行くわ! 新しい友達ができて嬉しいわ」
別れ際、カイトが遼に近づいてきた。
「神代さん、君には特別な確率が見えるよ」
彼の呟きに、遼は驚いた。
「どういう意味ですか?」
「君の周りには、通常ありえない"引力"がある。人を惹きつける確率が異常に高い」
カイトの観察眼は鋭かった。彼は「女神の恩寵」の効果を、自分の能力で感知したのだろう。
「一時的なものです」
遼は正直に答えた。
「そうか。興味深いな」
カイトは微笑み、それ以上は追及しなかった。
***
夕暮れの森を、遼たちは静かに歩いていた。新たな出会いの余韻と、彼らから得た情報の重みを感じながら。
「彼らも私たちと同じね」
フローラのつぶやきには、同情と共感が込められていた。
「いや、少し違う」
レオンが言った。
「彼らは少人数で、しかし確かな"力"を持っている。俺たちは集団だが、その"力"は神代とセリアだけが持っているようだ」
その分析は的確だった。
「でも、私たちには他にも"力"がある」
ラティアが意外な発言をした。
「団結力よ。大人数でも秩序を保ち、共に生きる知恵。それは彼らにはない強みではないかしら」
彼女の言葉には、ギフトの効果を超えた真実があった。
「その通りだな」
遼は同意した。
「私たちは皆でこの状況を乗り切ってきた。それが最大の強みだ」
「神代さん……」
セリアが静かに言った。
「彼らの言う"選ばれた"という言葉をどう思いますか?」
遼は少し考え、慎重に答えた。
「僕たちは確かに"選ばれた"のかもしれない。でも、それは神々のゲームの駒として、ではなく」
「では?」
「自分たちの意志で道を切り開くために」
その言葉に、セリアは深く頷いた。彼女の瞳には、理解と共感の色が浮かんでいた。
『素敵な答えね』
アフロネアの声が、遼の心に落ちてきた。その調子には、珍しく素直な感嘆が込められていた。
『神々のゲームの駒ではなく、自分の道を選ぶ者たち——それこそが、私が見たかった光景なのかもしれない』
その告白は、アフロネアにとっても意外なものだったようだ。彼女自身も、この状況に新たな視点を見出しつつあるのかもしれない。
キャンプへ帰る途中、遼はふと湖面に映る夕日を見て足を止めた。水面に反射する光が、不思議な模様を描いている。それは彼の腕輪の光と同じ、琥珀色だった。
「きれいだな」
『ええ、本当に』
女神と人間の声が、同じ感嘆を共有する瞬間。それは小さな奇跡のようにも思えた。
しかし遼の心には、まだ多くの疑問が渦巻いていた。新たな漂流者との出会い、彼らの持つ「力」の正体、そしてアフロネアの奇妙な態度の理由——。
森の中を歩きながら、彼は改めて自分の立場を考えた。フラグを折る者であり、神の使いであり、そして一人の人間として。自分は本当に何を「選ぶ」べきなのか。
その答えは、まだ見えないままだった。
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