第22話:女神様の気まぐれ
# 恋愛フラグを折るだけの簡単なお仕事です。
## 第22話:女神様の気まぐれ
記憶は淡いベールのように、時に現実を曖昧に包み込む。
神代遼は目を覚まし、森のお祭りの余韻に満ちた朝の静寂を感じていた。
「今日も平和な朝か……」
彼のつぶやきは、昨日の喧騒を経て訪れた安らぎへの安堵だった。日々のサバイバル生活の中で、たまに訪れる平穏な瞬間——それは彼にとって貴重な宝物のようなものだった。
「アフロネア、おはよう」
習慣的な挨拶を口にするも、返事はない。腕輪は平静な青い光を放ち、「12.5」のポイントは変わらなかった。
「珍しいな……」
遼は不思議に思いながらも、準備を始めた。女神がこうして沈黙することは滅多になかった。通常なら「寝坊助!」と元気な声で朝の静寂を打ち砕くところだ。
キャンプを出ると、仲間たちは既に活動を始めていた。レオンは木を伐採し、フローラは薬草を集め、エリオットは器具の修理に取り組んでいる。昨日の「森のお祭り」の高揚感はすっかり引き、日常が戻ってきていた。
「おはよう、神代」
レオンの明るい声に、遼は手を振って応えた。
「今日はどんな計画だ?」
「湖の調査を続けるつもりだ。あそこなら恒久的な住処になりそうだからな」
レオンの言葉には前向きな響きがあった。彼らの不思議な状況も、もはや「生きる場所」として受け入れつつあるようだった。
遼はセリアの姿を探した。彼女は少し離れた場所で、薬草を丁寧に仕分けていた。昨日のお祭りでの笑顔とは打って変わり、今日の彼女は物思いに沈んでいるようだった。
「セリア、おはよう」
「あ、神代さん。おはよう」
彼女の反応にも、何か普段とは違う雰囲気があった。視線が少し泳ぎ、微かに頬が赤く染まっている。
「ユーノスは? アフロネアが今朝は静かなんだ」
遼の質問に、セリアの表情が複雑に揺れた。
「それが……ユーノス様も沈黙されています」
二人の会話は、互いの神との繋がりが普段と違うという共通点を確認したところで途切れた。何か異変が起きているのかもしれない——そんな予感が、遼の心をかすめた。
***
昼過ぎ、遼は一人で湖の岸辺に立っていた。朝から何度もアフロネアを呼びかけたが、返事はなかった。彼女がこれほど長く沈黙することは前例がなく、不安が募っていた。
「アフロネア、どうしたんだ? 何かあったのか?」
水面に映る自分の姿を見つめながら、彼は再び問いかけた。すると——
『あ……や、やっと呼んでくれたわね』
突如として女神の声が響いた。しかし、その調子はいつもと明らかに違っていた。高慢さや茶化すような調子はなく、どこか恥じらうような、そわそわとした感じがあった。
「一日中呼んでたけど? どうしたんだ、様子がおかしい」
『べ、別に何でもないわよ! ちょっと神の都合で忙しかっただけ!』
明らかに取り繕うような口調に、遼は首をかしげた。
「昨日の祭りで何かあったのか?」
その質問に、アフロネアの気配が一瞬凍りついたように感じられた。
『な、何もないわ! ただの神々の交流よ! 人間には関係ないことだから気にしないで!』
焦った様子の否定に、遼の疑念は深まった。神々の世界で何か起きたのは間違いないだろう。
「そうか。なら良かった」
彼は敢えてそれ以上追及せず、話題を変えることにした。
「今日のサバイバル作業の計画なんだけど……」
『それより!』
アフロネアの声が、突如として彼の言葉を遮った。
『あなた、新しいギフトが欲しくない? 特別なものよ。他の人間には与えてないわ』
唐突な提案に、遼は戸惑った。いつものアフロネアなら、ギフトを与える時はもっと高飛車だった。「奉納ポイントを稼いだご褒美よ」とか「あなたの頑張りに対する神の慈悲」といった言い方をするのが常だ。
「どうしたんだよ、急に。何か企んでるのか?」
『失礼ね! 私はただ、あなたを……特別扱いしようと思っただけよ』
その言葉に、遼の背筋に違和感が走った。「特別扱い」——それはアフロネアが口にするには不自然な言葉だった。
「特別扱い……?」
『そう。あなたは優秀な使いだから、特別なギフトに値するわ。それだけよ』
アフロネアの説明は、どこか言い訳めいていた。遼はますます混乱する。
「まあ、ギフトをもらえるなら嬉しいけど」
『じゃあ決まりね! はい、特別ギフト「女神の恩寵」よ!』
腕輪が一瞬明るく輝き、ポイント表示の横に小さな星マークが浮かび上がった。
「これは何をするギフトなんだ?」
『それはね……』
アフロネアの声が少し弾んだ。
『今日から一週間、私の特別な加護があなたに宿るわ。周囲の人々があなたを魅力的に感じるようになるの』
その説明に、遼は目を見開いた。
「え? それって、フラグが立ちやすくなるってこと?」
『そうよ! 素敵でしょ?』
遼は頭を抱えた。女神の考えることは本当に理解できない。彼の任務は「フラグを折ること」なのに、なぜわざわざ「フラグを立てやすくする」ギフトを与えるのか。
「そんなの困るよ! ポイントが減っちゃうじゃないか!」
『大丈夫よ。このギフトによって立つフラグでポイントは減らないわ。それが特別なところ!』
その保証に、遼は少し安堵した。だが、それでも違和感は残る。何か裏があるのは間違いない。
「……なぜそんなギフトを?」
『べ、別に理由なんてないわよ! ただの気まぐれ! さ、早くキャンプに戻りなさい!』
アフロネアの声は慌ただしく、そして会話は一方的に切られた。残されたのは、腕輪に浮かぶ星マークと、遼の中に渦巻く混乱だけだった。
***
夕方、キャンプに戻った遼は、奇妙な視線を感じていた。仲間たちが彼を見る目が、どこかいつもと違うのだ。特に女子たちの視線が気になる。
「神代、調査はどうだった?」
レオンが話しかけてきたが、彼の態度にも微妙な変化があった。いつもより親しげで、距離が近い。
「あ、ああ。湖は住処に適していると思う」
「そうか! さすが神代だな。鋭い観察眼だ!」
レオンは遼の肩を叩き、明るく笑った。その反応は明らかに大げさだった。
「神代さん、お茶をどうぞ」
フローラが優しく微笑みながら、茶碗を差し出してきた。彼女の頬は微かに赤く、瞳は普段より輝いているように見えた。
「ありがとう」
遼が受け取ると、フローラの指が彼の手に触れ、彼女はさらに赤くなった。
「今日の薬草採集で見つけた特別なブレンドです。疲れを癒してくれますよ」
彼女の親切にも、何か特別な色を感じる。いつもより積極的で、仕草にも甘さが混じっているようだった。
「おい、神代! この木の切り方、教えてくれないか?」
「神代さん、この虫の名前、知ってますか?」
「神代、今晩の食事の感想を聞かせてほしい!」
次々と話しかけてくる仲間たち。皆が遼に興味を示し、彼の意見や考えに耳を傾けようとしている。
「なんだこれ……」
遼は唖然とした。この状況は明らかに異常だった。そして思い当たる原因はただ一つ——「女神の恩寵」というギフトの効果だ。
キャンプの片隅で一人佇むセリアの姿が目に入った。彼女だけは遼に近づいてこず、複雑な表情で状況を見守っていた。
「セリア」
遼が近づくと、彼女は少し身構えるような素振りを見せた。
「神代さん、何か変わったことはありませんか?」
彼女の問いには、既に状況を察している冷静さがあった。
「ああ、アフロネアが奇妙なギフトを与えてきたんだ。『女神の恩寵』だって」
遼の説明に、セリアの瞳に理解の色が浮かんだ。
「そうですか。神々の気まぐれは時に理解しがたいものですね」
彼女の言葉には、何か含みがあるように感じられた。
「ユーノスは何か言ってる?」
「いいえ、今日はずっと沈黙されたまま。ただ、昨夜の祭りの後、神々の間に何か……変化があったようです」
セリアの言葉から、遼は何か重要な手がかりを感じた。
「変化? どんな?」
「詳しくは分かりません。ただ、今朝の雰囲気が違っていました。そして今、あなたの周りに起きていることも、その影響かもしれません」
彼女の分析は的確だった。神々の世界で起きた何かが、この現実に波紋を広げているのだろう。
***
夜、遼は一人で焚き火のそばに座っていた。周囲の視線を避け、静かに思索に耽りたかったのだ。しかし、その願いもすぐに叶わなくなった。
「神代さん、一人ですか?」
ラティアの声がして振り返ると、彼女が上品な微笑みを浮かべて立っていた。普段なら傲慢な態度の彼女が、今夜は優しく穏やかな表情を見せている。
「ラティア……何か用?」
「別に。ただ、星を見るのにいい場所だと思って」
彼女は遼の隣に座り、夜空を見上げた。その仕草には計算されたような優雅さがあり、彼女の香りが微かに漂ってきた。
「今夜は綺麗な星ね」
「ああ……」
遼は居心地の悪さを感じながらも、無難に応じた。
「神代さん、あなたって本当に不思議な人ね」
ラティアが突然言った。その瞳には、これまで見せたことのない興味と温かさが宿っていた。
「どういう意味だ?」
「強がりなのに優しくて、時々クールなのに根は熱い人。そんな矛盾が魅力的だと思うの」
彼女の言葉に、遼は困惑した。これはまさしく「女神の恩寵」の効果だ。彼女の本来の性格からは考えられない発言だった。
「ラティア、君は今、普段と違う」
「そう? 私はただ、今まで言えなかったことを言ってるだけよ」
彼女は微笑み、さらに遼に近づいた。遼の腕輪が微かに震え、フラグ検知の合図を発している。
「神代さん、私、あなたのことを——」
「こらー! こらこらこら!」
突如として空から降ってきた声が、二人の間に割って入った。それはアフロネアの声だった。
『ラティアさん、今夜は風が冷たいわね。寮に戻ったほうがいいわよ!』
アフロネアの声は奇妙なほど焦っていた。そして、次の瞬間、風が強く吹き、焚き火の火がラティアのドレスの裾に飛びそうになった。
「きゃっ!」
彼女は驚いて立ち上がり、身を引いた。
『ほら、火事になるところだったじゃない。危ないから早く戻りなさい!』
アフロネアの声には、明らかな妨害の意図が感じられた。ラティアは不満そうな表情を浮かべながらも、仕方なく立ち去った。
「一体何なんだよ……」
遼が呟くと、アフロネアの声が低く響いた。
『ちょっとやりすぎたかしら……』
「やりすぎも何も、君がこのギフトをくれたんじゃないか」
『そ、そうだけど……あんまり積極的に迫られるのは想定外だったわ』
その言葉に、遼は混乱した。
「何が目的なんだ? わざわざフラグを立てやすくしておいて、立ちそうになったら邪魔するなんて」
『そ、それはね……』
アフロネアの声が詰まる。彼女の様子はますます奇妙だった。
「もしかして、君は……嫉妬してるのか?」
遼の推測に、アフロネアの気配が凍りついた。
『な、何言ってるの! 神が人間に嫉妬するわけないでしょ! ばかばかしい!』
彼女の否定は強すぎるほどだった。それが逆に、遼の疑念を深めることになる。
「君が僕に気があるとか?」
『そ、そんなわけないじゃない! 私はただ、あなたが優秀な使い魔だから特別扱いしてるだけよ! 愛玩……じゃなくて、大切な下僕として!』
アフロネアの言葉には、明らかな動揺が含まれていた。遼は突然の推測に、自分でも驚いていた。神が人間に恋心を抱くなんて、あり得ないことだ。きっと別の意図があるはずだ。
「なら、このギフトを解除してくれ。みんなが変になってる」
『それは……明日になれば考えるわ。今日はもう遅いし、神の力も疲れるの』
明らかな言い訳だったが、遼はこれ以上追及しても仕方ないと判断した。
「分かった。でも明日は必ず解除してくれよ」
『はいはい。寝なさい、遅いわよ』
アフロネアの声は、少し安堵したような響きを含んでいた。
遼は焚き火を見つめながら、考え込んだ。神の気まぐれは理解しがたい。だが一つだけ確かなのは、今日からしばらく、彼のサバイバル生活はさらに複雑になるということだった。
星空の下、彼の腕輪は微かに琥珀色に輝いていた。その色は、アフロネアの目の色を思わせる——そんなことを考えた瞬間、遼は自分の思考に驚き、激しく首を振った。
「何を考えてるんだ、僕は……」
彼のつぶやきは、夜の静寂に溶け込み、答えのない問いとして宙に浮かんだままだった。
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