第15話:洞窟の一夜、そして理解

 雨は止む気配がなく、森を覆う夜の闇はさらに深まっていた。洞窟の中、神代遼はわずかな光を放つ腕輪を眺めながら、セリアの容態を見守っていた。彼女は穏やかな寝息を立て、以前より顔色も良くなってきている。


「……」


 セリアがうっすらと目を開いた。彼女はゆっくりと状況を理解しようとしているようだ。


「気分はどうだ?」


 遼の問いかけに、セリアは微かに頷いた。


「少し、良くなりました……ありがとうございます」


 彼女の声は弱々しいながらも、はっきりとしていた。セリアは上体を起こし、周囲を見回した。


「洞窟……? どのくらい眠っていたのですか?」


「数時間だ。外はもう暗くなっている」


 遼は洞窟の入り口を指差した。そこからは激しい雨音と、時折閃く稲妻の光が見えた。


「雨は一晩中続きそうだ。今日はここで夜を過ごすことになりそうだな」


 セリアは静かに状況を受け入れ、少し身体を起こして壁に背を預けた。


「他の皆さんは……?」


「別ルートで戻ったはずだ。おそらく既にキャンプに着いている」


 セリアは安堵の表情を見せた。そして、遼に申し訳なさそうに微笑んだ。


「あなただけが、私のせいで……」


「気にするな。俺の判断だ」


 遼は持っていた携帯食と水筒をセリアに差し出した。「少し食べられるか?」


 セリアは感謝の言葉と共に、少しずつ食べ始めた。彼女の動きは徐々に確かさを取り戻していった。


「あの実は……どうやら私には合わなかったようです」


「あれは危険だったんだ。フローラも心配していた」


「そうですね……」


 二人の間に沈黙が流れた。洞窟の外では雨が激しく降り続け、風が木々を揺らす音が聞こえる。遼は腕輪を見つめながら、何か考えているようだった。


 しばらくして、セリアが静かに口を開いた。


「神代さん、教えてもらえますか?」


「何を?」


「なぜあなたはフラグを折るのですか? 本当は……モテたいのに」


 その直球の質問に、遼は少し言葉に詰まった。


「どうして俺がモテたいと思ってるんだよ」


「それは……あなたの瞳を見れば分かります」


 セリアの真摯な言葉に、遼は苦笑した。


「そうかもな。でも、それはどうでもいいんだ」


 遼は左腕の腕輪を見つめながら、自分の状況を説明し始めた——アフロネアとの出会い、強制的な「使い」任命、フラグを折らなければ生きていけない状況。


 セリアは静かに聞き入り、時折頷いた。そして彼女も自分の立場を明かし始めた。


「私もあなたと似たような立場です。ユーノス様に選ばれた『恋の使い』として、恋愛の成就によって人の魂が浄化されると信じています」


「フラグを立てることで、君も生きるためのポイントを得ているのか?」


「はい。この腕輪が私の命綱です」


 セリアは自分の虹色に輝く腕輪を見せた。


 互いに敵対する立場でありながら、似た境遇にあることに、二人は奇妙な連帯感を覚えていた。


『ちょっと! 敵に情報漏らさないで!』


 アフロネアが遼の頭の中で叫んだ。彼女は明らかに警戒していた。


「アフロネアとユーノスはどんな関係なんだ?」


 遼の質問に、セリアは少し考えてから答えた。


「姉弟神だと聞いています。しかし考え方が正反対で……アフロネア様は『恋愛は幻想であり、人々を惑わす』と考え、ユーノス様は『恋愛は魂の浄化であり、祝福すべき』と信じています」


「兄妹喧嘩の一環なのか?」


 セリアは小さく笑った。


「それも否定できません。神々の喧嘩の一環というか……単なる兄妹喧嘩の代理戦争かもしれません」


『失礼ね! これは神聖な実験よ!』


 アフロネアの怒った声が響いた。


「神聖な実験なら、なぜこんな無人島で?」


『……退屈だったのよ』


 アフロネアの拗ねたような答えに、遼は思わず笑みを浮かべた。


「あなたの神様も、時々わがままなんですか?」


 セリアの質問に、遼は溜息混じりに笑った。


「ああ、それはもう……」


「ユーノス様も気分屋で……」


 セリアも笑顔を見せた。二人は神々の扱いにくさについて、共感するように小さく笑い合った。


 火を起こして体を温めながら、二人の会話は続いた。洞窟の中の小さな火が、彼らの表情を優しく照らしている。


「ユーノス様は、人間の純粋な感情を尊重していると言います。特に恋愛は、魂の成長と浄化に不可欠だと」


「アフロネアは違うんだろう?」


「はい。彼女は恋愛の脆さと一時性を指摘するそうです。恋愛は幻想であり、真の自由は感情に縛られないことにあると」


 セリアの説明を聞きながら、遼は考え込んだ。アフロネアの考えには、どこか自分の心に響く部分もあった。しかし同時に、セリアの言葉にも真実があるように感じられた。


「でも、俺たちはそんな神々の都合で振り回されてるわけだな」


 セリアは少し悲しげに笑った。


「そうですね。私もあなたも、選択肢がなかった。ただ、その中でどう生きるかは自分たちで決められます」


「神々の代理戦争の中で、か」


 セリアは火を見つめながら、静かに語った。


「私は……恋愛の力を信じています。単なる代理戦争ではなく、魂の救済という意義があると思いたい」


「君は本気でそう思ってるんだな」


「はい。だからこそ、この役目を全うしたいんです」


 セリアの瞳には真摯な光が宿っていた。遼は彼女の信念の強さに、思わず見とれてしまった。


「あなたは? フラグを折ることに、何か意味を見出していますか?」


 遼はしばらく考えてから口を開いた。


「正直、最初は強制されたことで不満しかなかった。でも、最近は……少し違う視点も持ち始めてる」


「それは?」


「誰もが自分の選択で恋愛すべきじゃないかって。神に操られたり、フラグに導かれたりするんじゃなく」


 セリアは遼の言葉をじっと聞いていた。


「それも一つの真実かもしれません。私は恋愛を成就させたいと思っていますが、強制ではなく……導くことが大事だと思っています」


「ライバルなのに、意外と話が合うな」


 二人は微笑み合った。敵対者としてではなく、同じ境遇を生きる者同士としての理解が、少しずつ深まっていた。


『まさか裏切る気じゃないでしょうね?』


 アフロネアの警戒する声が聞こえた。


「安心しろ。俺はフラグを折ることに命かけてるからな」


 遼の言葉には、どこか迷いも混じっていた。セリアと話すことで、彼の中の確信は少し揺らぎ始めていた。


 時が過ぎ、二人の会話は様々な話題に広がった——島での生活、使いとしての日々、そして各々が持つ夢や希望。


「こんなに長く話すのは初めてかもしれませんね」


 セリアの言葉に、遼は頷いた。


「そうだな。敵同士なのに、不思議だ」


「敵というより……ライバルという感じがします」


 セリアの表現に、遼は同意した。確かに純粋な敵意はなく、互いの立場を尊重しつつ競い合う関係。それはライバルと呼ぶのがふさわしいかもしれない。


 夜が更け、雨音が少し小さくなってきた。セリアは眠そうな表情を見せ始めた。


「少し休みましょう。明日はまた長い一日になりそうですから」


 遼は頷き、火を小さくしながら言った。


「ああ。明日はキャンプへの道を探さないとな」


 二人は洞窟の壁に背を預け、少し距離を置いて横になった。セリアは遼に小さく微笑みかけた。


「明日からは敵同士に戻りますが、今夜のことは忘れません」


「ああ。でも、敵同士というより……ライバルって感じかな」


 セリアの笑顔が、火の光に照らされて柔らかく見えた。彼女はゆっくりと目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。


 遼はまだ目を開けたまま、洞窟の天井を見つめていた。


『あなた、あの子に心を開きすぎじゃない?』


 アフロネアの声には、いつもの高飛車さとは違う、何か複雑な感情が混じっていた。


「別に。ただ話しただけだ」


『まあ、いいわ。でも使命を忘れないでね』


「分かってる」


 遼はセリアの寝顔を見つめながら考えた。彼女との会話は、自分の中の何かを揺さぶった。フラグを折ることの意味、そして恋愛の本質について。


 雨音を聞きながら、遼もゆっくりと目を閉じた。明日はまた別の一日。彼とセリアは再びライバルとして向き合うことになる。しかし、この洞窟での一夜は、二人の関係に微かな変化をもたらしていた。


 それは敵意ではなく、相互理解と尊重。そして、同じ運命を背負う者同士の、言葉にならない連帯感だった。

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