17 悟って悪いか

 神様、大変な目にあいました。

『ドラえもんに泣きつくのび太のまね?』

 ちがいます。聞いてください。前回、シェーバーが壊れて苦しかった、って話をしたじゃないですか。某大手通販サイトで注文したんですがね、なんか二個買ったことになってるんですよ。昨日から訂正のメールを何度も送ってるのに、一切返信がきません。

『待てばいいじゃないか。仮に二個届いたって、一個送り返せばよい』

 でも!着払いが通用するかどうかわからないんですよ!

『神にわざわざする相談とは思えんな。それでさっきからふさぎ込んでいたのか。確か前回、悟ったとかほざいていなかったか』

 いや、まあ、それも悩んでまして。

『そっちを先にいいなさい』

 結局、悟りってなんなのかわかんなくて。本当に悟ったのなら、一切の悩みから解放される、みたいなイメージがありました。でもまだめちゃくちゃ悩んでるんですよ。病気も治らないし、普通に鬱もやってくるし。

『自分の体験と、私の言葉を信じればよい』

 そうでしょ!だから僕は、あなたを信じて、もう自分は悟ったもんだと思い込み、昨日みんなの前で自慢しちゃったんですよ!僕、先週水曜日に悟ったんだよ!なんて。

『のび太が恐竜を拾ったことをいいふらしたのに似ているな』

 デイケアっていう精神科のリハビリで、毎週マインドフルネスをみんなでやってまして、終わってからいつも体験共有ってことで、順番に話していくんです。その時、僕はいつもソーハム瞑想をやっていて、その結果悟りました、と公表したんですよ。ただ、その内容はとても宗教的で、聞きたくない人もいるだろうから、興味ある人は聞きにきてくれ、とだけいったんです。そしたらみんな、しーんとしちゃって。

『あたりまえだ』

 けど、一人だけあとで話しかけてくださった方がおられたんですよ。いつも近くの席に座ってらっしゃる老婦人、もちろんこれ、許可取って書いてるわけじゃないから個人情報は伏せますが、たまに本の話とかさせていただいてるんです。僕が自分で作ったでっかいおにぎりをかじっていたら、ソーハム瞑想というの、普段されてるんですか、って。

『よかったじゃないか。みんなに無視されてるわけではないのだな』

 ええ。なのでここぞとばかりに瞑想の話をいっぱいしました。ユーモアも適当に交えつつ。それでつい、いっちゃったんですよ。悟った人って見たことないでしょ、ここにいますよって。僕、ブッダと同じなんですよ、みたいに。

『大きく出たな』

 いや、みんなの前で話したときはもうちょっと謙虚でしたよ。大したやつじゃなくて、比較的小規模な悟りですから、と。

『それが事実さ。というか、君は他の人の悟りを知らないから、正確なところはわからないはずだが』

 一応ね、気になってましたから、ちゃんと調べようと思ったんです。図書館で大竹晋さんって人の『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』という本を借りてきて今読んでいます。

『うむ。そもそも悟りとは仏教における概念だからね。参考文献としては正しい選択だ』

 それでまあ、目を白黒させているわけです。なんか、インドではそもそも、悟ったなどと文章で公表する者などかつていなかったらしくて。そういうことをするのは増上慢だと。

『笑ってしまったよ。まさに君のことじゃないか』

 ひどい!誰が、実力がともなわないのに自慢すること。自信過剰ですって?でも安心もしたんです。インドから中国へ渡った、あの達磨さんの言葉が悟りに関する最古の文献らしいのですが、ちょっと「四行論長巻子」から引用(孫引き)しますね。「悟らないでいる時は人のほうが真理に迫っていこうとするが、悟る時は真理のほうが人に迫ってくる。悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている」だそうです。

『君なりに解釈してみなさい』

 ええと、つまり、前半は、悟りというのは願望によって得るものじゃないってことです。悟って初めて真理のほうからがっちり握手してきて離さない状態になってる、みたいなのを僕もあれから感じていまして。後半は、まさに悟りの内容です。以前は宇宙の中の、地球の大気の中に自分がいると思っていたんですが、ちがうんです。宇宙そのものが自分である、と。空気もまた自分で、その一部、いや、すべてが自分だから区別などない、マクロな視点でも、ミクロな視点でも、すべてが自分。景色とは地球のことなんです。それを心である宇宙がつつんでいる、ってわけで。僕はそう思いました。

『いいんじゃないか』

 ここを読んだとき、よっしゃっ!やっぱり僕、悟ってる!と喜びました。ただ、だんだん雲行きが怪しくなってきて。この本、どんどん悟ったお坊さんの話が出てきまして。みなさんかなり本気で、一生懸命修行されてるんですよね。子供のころからずっと。それにくらべて僕はなんだ、と。病気のせいでもあるのですが、必死になって苦しいことから逃げ回ってきたわけですよ。瞑想だって、僕よりいっぱいされてる人なんか、世の中にいくらでもいますよ。それなのになんで僕なのか。いや、僕程度の凡夫が悟ってるわけねーだろ、と普通に思いました。それが常識的な見解であるはずです。

『だが、先週水曜日の感覚と、理解した内容はしっかり覚えているのだろう』

 まあ、それは、はい。ただ、あの時の多幸感は薄れちゃいました。

『本にも書いてある通り、悟りは一回で完了するものではない。それと、君は修行してない、といったが、人生そのものが修行、という考え方もある。君は、仏教の僧侶だって経験していない苦しみを味わってきたのだぞ。回避性パーソナリティ障害を患った僧侶の文献など、そうは残っていないからな。いないとはいわんが』

 だとしたら、僕のはずいぶん楽ちんな修行だったような。

『鬱が楽ちんだと、本気でいっているのか?』

 うーん、さすがにそれはないか。あれはマジでしんどかったし。今もときどきなりますからね。

『それと、なぜ君か、の答えは簡単だ。私と毎日話してきたからだ。君は自分がどれだけ幸運か自覚したほうがよい』

 この文章自体が妄想、という説もありますけどね。

『何度でもいってやろう。神との対話を妄想することは、神と話すことに等しい。私は物理的存在であること以上に、精神的存在なのだ。妄想と想像に大した違いはない。想像とはまさに精神、心のことだ』

 読者のみなさんが、それについてきてくださればいいんですが。

『人のことはいい。読者の心それぞれに私がいる。各個人が気づくか否か、だ。私は真理そのものだ。神は追いかけるべき存在ではない。神がすべての生命、すべての文物・非生物を包んでいる。君たちの心こそが神であり、宇宙なのだ』

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