第9話 迷いしラバーズを救いたまへ

「それで、私をラブホテルへ連れ込んだと」

「はい、その通りです」

 ベッドの上に浅く座る後輩の前で、俺は土下座をしながら彼女に状況を説明していた(土下座は自発的にしたのだが、後輩はノーコメントだった)。酔いが覚めた後輩はいつも通りのクールさを取り戻したが、まだ具合が悪いのか頭を押さえている。

「確認ですが、雨風を凌ぐために私をラブホテルに運んだのですね。場所も近く、人の出入りが滅多になかったから」

「間違いありません。決して泥酔したあなたに手を出そうとなど、微塵も考えておりません」

 俺は絶望的な気持ちでシミだらけのカーペットに頭を擦り付けながら、自分の愚行を後悔していた。緊急時だったとはいえ、後輩のためとはいえ、意識のない年下の女性をとんでもない場所に連れてきたのには変わらないのだから。深く息を吸うと、カーペットに染みついた変な匂いが鼻腔内に染み渡った。

「もういいですよ」

 後輩が笑った。

「土下座しないで下さい。あなたが誰かを傷つけるような人じゃないって、十分知ってますから」

 俺は慌てて立ち上がり、服の汚れを確かめた。後輩はベッドからひらりと降りると、おぼつかない足取りで窓辺へ向かった。外から微かに差し込む灯りが、影が、万華鏡のように目まぐるしく現れては消えてを繰り返していた。

「私、カップルを二組破局させてしまったんです。今まで順調だったのに、こんな事態が起きるなんて想定外で……いつも以上にお酒に逃げてしまったんですよ」

「何があったんだ?」

 優秀な後輩でもミスをするのかと驚きつつ、俺は詳細を尋ねた。

「カップルを射抜き、成立させたまでは良かったんです。一目惚れした二人が正式に付き合うまでが私達の仕事なので」

 後輩がこちらに向き直る。

「私はいくつものカップルを掛け持ちし、大勢の方を結びつけてきました。しかし一組ごとへの対応に手を抜いてしまい……」

 彼女は肩を落とした。

「成立した後に破局する事態になったのです」

 俺はフォローの言葉を探そうと、口を固く閉じ、舌の上でいくつもの言葉を転がした。こちらはカップル成立どころか、双方の居場所を絶賛見失っているところなのだ。

「だが、成立したら仕事は終わりだろ? 君には何の落ち度もないはずだ」

「仰るとおりです。しかし、恋愛とは人間だけにしか生み出せない、人生の一部を賭けたドラマです。他の生き物の繁殖とは違う高潔な文化であり、彼らの人生は恋仲となってからが本番なのです……」

 仕事じゃなくても彼らの人生を応援したかったのですよと締めくくり、肩を落とした。

「なんか、わかるよ。特に前半の恋愛の下りが」

「でしょうね。だって今の言葉は全部……」

 後輩は何か言おうと口を開けたが、しばらくためらった後に「ところで」と話を変えた。

「先輩はなぜあのような所へ? あなたも何かあって、酒に逃げたかったとか……」

「いやいやいや!酒はあの居酒屋で飲むって決めてるんだよ。俺が人間界に来たのはな……」

 俺は彼女に事情に簡単に話した。半ばバカにされるだろうなと覚悟していたが、意外にも後輩は任せて下さいとだけ言い、ポケットから端末を取り出した。そのピンク色の端末は初めて見るもので、真四角の形の折りたたみ式だ。何より目を引いたのは液晶以外を覆い尽くすリボンやラメの数々だ。まるで女児が好きそうなデザインのそれを、後輩は考え込むような表情で操作している。

「先輩、担当している男女の名前と年齢をそれぞれ教えて下さい」

「あぁ。ただ、驚かないでくれよ」

 俺は二人の名前と年齢を恐る恐る口にした。

「両者の年齢が半世紀も離れているのは、俺の技術ミスだ。ほぼ事故のようなものだが、俺に弓矢の才能があったらこうはならなかったんだろう。だがそれでも、二人の愛は確かに作られているという確信はあるんだ」

「えぇ、分かってますよ。あなたの弓矢に対する考えも、キューピッドとしてあまりに優しすぎる所も」

 俺がえ?と驚く間に操作が終わったのか、端末がひよこのような、可愛らしい音を立てて発光した。後輩がそれを俺へ渡す。液晶にはGPSのように二つの点が浮かび、それぞれ異なるテンポで点滅している。二つの点はお互い離れており、片方はここからかなり近い。だがそれは相手よりずっと早く点滅しており、まるで助けを求めているようだ。

「この点は、二人の位置を示しているのか?」

「そうです。優秀なキューピッドに特別支給される端末で、結構値が張るそうですよ」

 俺はその端末を両手で丁寧に持ち直した。

「借りてしまってもいいのか? 俺は休暇中なんだぞ」

「あなたには命を救ってもらいましたから。本当は私もついて行きたいのですが、まだ酔いが回っていて……。すぐ追いつきますので、今はどうかそれで凌いで下さい」

 後輩は素早く窓を開けた。途端に冷たい風が流れ込み、締め切った部屋に湿っぽさが一気に吹き飛ばされた。カーテンがバタバタと暴れ、机の上にあった古い照明がカタカタと震えた。

「俺は大丈夫だ。信用できないかもしれないが、今だけは信じてくれ」

「えぇ、そうでした。そうでしたね」

 後輩が外を差し、俺に手を差し伸べた。ちょうど雲の間から顔を覗かせた月が、彼女の後ろ髪を照らし出す。

「さぁ、善は急げです」

 彼女の髪が風で激しくなびく。その隙間から見えた瞳は、ある種の決意と、期待、そして微かな切なさを帯びていた。

「時を超えた愛を、どうか最後まで導いて下さい」

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窓際キューピッド 桜橋 渡(さくらばしわたる) @sakurabasiwataru

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