第6話 無自覚ワーカーホリック
「ふう」
作業部屋に戻ると、俺は椅子に座り、机にもたれかかった。途端に体が凄まじい疲労を訴えてきたが、心地の良い疲れであった。
本当はこのまま寝てしまいたいが、そうもいかない。俺は時計を確認すると、両手を机に置き、力を込めて自分の体を引き剥がした。
「やるかぁ」
弓矢の制作は機械の導入まで続く。それまでは何とか両立させるしかない。いつものように就業時刻までパーツを組み合わせ、箱に入れるだけ……。だった。
三十分ほど作業したところで、俺は違和感に気づいた。
(手元が、おぼつかない……)
心地よいとはいえ、疲労は疲労。視界もぼやけ、手元のパーツは今にも手から離れてしまいそうになっている。微弱な睡魔にも少しだけ襲われていた。
「いけねえ」
俺は重たい瞼を上げつつ、テキパキと作業を進めていく。
(いつものようにすればいい。いつものように……)
無心で弓矢を作り続けていると、遠くからドアが開く音と、誰かの足音が近づいてくる。手元に影がかかる。声の先を見ると、白い制服が目に入った。
「作業しながら居眠りなんて不摂生です?」
後輩が腰に手を当てながら、ニヤニヤとこちらを見下ろしている。右手に握られていたエナジードリンクの缶を目の前におく。
「副所長さんから聞きましたよ。カップル人組の縫合の最中のようですね。でもまだまだですよ」
そして俺にリボンの数を見せつけた。リボンの数はゆうに十を超えており、十四にまで達していた。
「もっと頑張って下さい。でもまぁ、あなたの努力を認めてあげなくもないですよ」
「どうも……」
それから彼女は色々偉そうに講釈を垂れていたが、全て聞くほどの余力は残っていなかった。やがて「期待してますよ」と言い残して去った後には、疲労困憊の俺と弓矢のパーツ、そしてエナドリ缶が残った。
冷たいそれのプルタブを開け、甘酸っぱい液体を流し込む。後輩の襲来は予想外だったが、差し入れのおかげで少しは意識が覚めた。
「やるか」
俺はいつもよりスピード重視で作業を終え、終業時間ぴったりに事務所を出た。頭の中はすでに恒星達のことで埋め尽くされていた。
(このままカップルとして成就した後も、彼らは平穏でいられるのだろうか?)
最初に恒星と幸子を射抜いた時、恒星の側には女性がいた。その時の二人は明らかに友人以上の距離感で歩いており、腕を組む姿はカップルに違いなかった。
だから俺は彼らを撃とうとしたのだ……。
「まさか、隣を歩いていた彼氏が、半世紀先を生きる女性に惚れるとは思うまい」
約束された修羅場が脳裏をよぎる。ふと携帯を握る指先が微かに震えていた。
「そもそも成就したところで、寿命もあるし……誰も幸せにならないじゃないか」
これは俺自身の価値観にすぎないが、愛する人間同士にはなるべく長い時を過ごしてほしい気持ちがあるのだ。
「……」
俺は何となく二人の元に向かうべく、翼を広げた。場所は最初に恒星達が出会った公園だ。時間帯もあの時と同じ。一角に佇むベンチには肩掛けニットを羽織った幸子と、ダウンジャケットを着た恒星が座っていた。相変わらず微笑ましい会話を繰り広げていたが、見ると二人はそっと手を繋ごうとしていた。
骨ばった大きな手と、シワの多いか細い手がベンチの上を彷徨っている。
(これは一押しいるか?)
そう思った矢先、恒星が幸子に向き直る。彼はもう片手を伸ばし、幸子の手を両手で包み込んだ。幸子が顔を上げて彼の方を見る。恒星は視線をそっと逸らしたが、耳や頬がほんのりと紅潮していた。
俺はほっと肩を落とした。もう二人はすっかりラブラブみたいだ。
(少なくともノルマは達成できそうだ)
ふと視線を隅に向けた時だった。彼女がいた。背筋が一瞬で凍りつく。木の裏に隠れたまま靴紐をしっかり結び直し、彼らへ鋭い視線を向けている。
(嘘だろ……)
修羅場は避けられないどころか、今にも起きてしまいそうだ。
俺は思わず地を蹴って飛び上がり、上空へ避難した(キューピッドが人間に見つかることなど絶対にあり得ないのに)。
しかし遠巻きに様子を見るも、彼女が二人の元に行く様子はなく、ただ木の影から監視をするだけだ。
(何だ。機会を伺っているのか……?)
やがて恒星達がベンチから立ち上がる。彼女は即座に撤退し、結局二人の前に現れることはなかった。俺は不穏な気持ちのまま帰宅した。
まともな家事をしていないせいか、洗濯物が床一面に溢れている。部屋の隅には缶ハイボールと弁当の空がビニール袋の中で屯していた。
掃除機をかけようとしたが、充電がないので充電器を探し、壁にかけコードを刺した。時間潰しに缶ハイボールを開け、透き通った黄金色の中身をあおる。
ずいぶん味気なく感じた。
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