第3話 心労サンドイッチ
「なるほどね」
作業室にて報告を聞いた副所長は顎に手を当て、どこか明後日の方向を凝視した。俺は疲労も絶望も隠せないまま、黙って項垂れていた。脳内では次に彼が言うフレーズを予測しようとしていたが、どう思考を捻っても良い展開になるとは考えられなかった。
絶好の機会を逃した上に、無関係の老婆を巻き込んでしまった。記憶処理の手続きは煩雑な上に人道的観点から忌避されつつある。この一件で事務所の名に傷がついてしまえば、他の競合相手が調子に乗り出すだろう。
一番ミスってはいけない時期に、とんでもない失態をやらかしてしまった俺に残された道は、自主退職しかないように思えた。
(いっそ解雇にしてくれ……!)
前者も後者もほぼ同じだが、自分で首を切るよりかは微かに楽なのだから。
「よろしい」
副所長が大きく頷く。俺は反射的に顔を上げた。
「君は、このまま縫合を続けなさい。思わぬミスとはいえ、ここから生まれる愛もあっていいだろう」
「えぇ!?」
思わず拍子抜けた声で叫んでしまった。幸い後輩は退勤済みらしく、今の声に気付き、甲斐甲斐しく扉をノックしてくるなんてことはないようだ。もしこんな初歩的ミスがバレでもしたら、小一時間の説教ではきっと済まなかっただろうから。
「しかし副所長。二人はカップルと呼ぶにはあまりにも、歳が離れすぎております。私には荷が勝ち過ぎます」
「いいや」
彼はゆっくりと首を横に振った。
「我々キューピッドの弓矢に狂いはない。常に真実の愛を射抜くのだ」
俺は激しく動揺した。
「相手が半世紀先を生きていても、ですか?」
「それを成就させるのが君の役割だ。そうだろう?」
そして副所長はドアに手をかけ、こちらへ穏やかに笑いかけた。
「君ならできるさ」
ドアが丁寧に閉ざされる。しばらく立ち尽くした後に、俺はのろのろと荷物をまとめた。今やることは、施錠される前に部屋を出ることだ。今作業部屋に一夜漬けでもされたら、ショックで鳥のように凍え死んでしまうだろうから。
明かりが消えゆく事務所を背に、俺はある場所へ飛んでいく。行きつけの飲み屋は大盛況のはずだ。店の戸を開けた途端、喧騒が鼓膜に突き刺さる。キューピッド達がそれぞれ羽を伸ばし、雑談に花を咲かせながら酒を酌み交わしていた。
近くの店員が「いらっしゃいませ〜」と言いながら、空のジョッキを両腕に携えながら奥へ引っ込んでいった。
いつも座っている一番奥の座席には、あいにく別の客が座っていた。自分と同じ年齢のキューピッドが、酒も飲まずに枝豆やつまみをつついている。どこか曇った顔で枝豆をむく様子と作業部屋に篭る自分を重ねずにはいられず、俺は彼からそっと視線を逸らした。
唯一空いてた席はカウンターのみで、他に独り身の自分が座れそうな場所は見当たらない。渋々そこへ腰を下ろすと、アルバイトらしき若い店員がお冷とおしぼりを持って来た。
「らっしゃいませ〜」
俺はどうもとそれを受け取りながら、反射的にこう唱えた。
「角ハイ一つ。あと砂肝お願い」
店員の後ろ姿を眺めながら、俺は備え付けのティッシュで机を吹くと、そこにおしぼりを敷いて突っ伏した。
「どうすっかなぁ〜」
「どうしたんスか?No.1111(オールワン)」
カウンター越しに若い店主が話しかけてきた。2月という時期にも関わらず、彼は半袖のポロシャツ姿で、首に巻かれたタオルで終始額の汗を拭いていた。それでも首から滴る雫が、紺色のトップスにまばらなシミを作っている。今は近くの店員へバッシング指示を飛ばしている所だった。
「いつもより元気ないじゃないスか。ただでさえ辛気臭い顔がもっと暗くなっちゃって」
「やかましいわ」
店主と俺は顔馴染みで、多忙にも関わらず積極的に話しかけてくることが多い。俺は嫌いではないのだが、疲れている時まで年下に構われるのは勘弁だった。
奥の座席へ目をむける。あの下戸っぽい客人はまだ帰る気は無さそうだ。
「今日は飲みにきたんだ」
「そうなんスか!ここに座ったから、てっきり俺と話したいのかと!」
「ここしか空いてなかったんだよ」
「せっかくだしなんか話しましょうよ〜」
俺は空気の読めない青二才に疑念の目をむける。目が合った彼はきょとんとしていたが、ただにっこりと笑うだけで、俺の心情を汲み取るつもりは一ミリもなさそうだった。
(せっかくだし話してみるか。所々フェイクを入れれば大丈夫だろう)
「なぁ、No.0401」
俺は奴に問いかけた。
「歳の差カップルってどう思う?」
「いいじゃないスか。幾つになっても恋には落ちるものでしょ」
「相手が半世紀ほど離れていてもか」
「えっ。何スかそれ……」
店主は流石に面食らった様子だった。ポカンと口を開け、作業の手も止まる。
しかし次の瞬間には、彼の顔には再び笑顔が蘇っていた。
「最高じゃないスか……!!で、誰を好きになった感じ?」
「誰って」
「その半世紀離れた相手っスよ!上ですか、下ですか? 下だったら……ちょっとアレかもだけど、否定はしないっスから、否定は」
「ばっ……違えよ!!」
思わず大声が出てしまい、慌てて口を塞ぐ。周囲は一瞬だけ静まり返ったが、店主が「冗談じゃないすか〜」と笑うと店員達はほっと胸を撫で下ろし、業務を再開した。
客達もその様子に安心したらしく、店内はすぐに元の活気を取り戻した。
店主にすまないと頭を下げると、彼はいいえ〜と手をひらひら振った。
「それで?」
彼は身を乗り出して声をひそめた。
「本当はどうなんスか? 俺は口硬いんで安心して下さい」
「俺の話じゃないから。えぇっと、その……俺の知人の話だから」
店主はほうほうと答えたが、目元がにやけている。鼻から信じていないようだが、これ以上は何も言うまいと決めた。
(話せば話すほど、ボロが出てしまうからな)
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