第2話 予測可能回避不可能
「副所長。お疲れ様です」
「ご苦労。疲れているのに、気を使わせてすまんな」
部屋に入ってきたのは背の高い壮年のキューピッドだ。彼の翼は汚れているが、これは縁を結ぶためにあらゆる場所を飛び続けたことでついたもので、事務所に長い間貢献し続けていたことを表していた。腕にリボンがないのは俺と同じだ。だが、これは管理する立場にあるため、そもそもつける必要がないからだ。
(俺も早くこうなりたいけど、今のままじゃ夢のままだろうな……)
「君の作った弓矢によって、今日も世界で数多の恋人達が誕生している。非常に喜ばしいことだ」
「ありがとうございます」
お礼を言いつつ、俺は動揺を隠しながら次の言葉を待った。副所長は目的のない会話をしないタイプだ。ここへ来たのは伝達か招集か、それとも厳重注意か。
「しかし、長い間君がその現場に立ち会えないのは、事務所の一員として……キューピッドの一員として如何なものかと常々考えている」
「そう仰いますと……」
「君も一度、現場で本来の作業にあたってみると良い。今日の納品数は既にノルマを達成している。今からでも間に合うだろう」
「お気遣い感謝致します。しかし万が一の事態に備え、ここに常駐したい所存です。全ての弓矢は一つ一つ検品した上で納品させて頂いておりますが、この繁忙期では弓の一張、矢の一本の不具合が不測の事態に繋がる恐れがあるのです。万全は尽くしておりますが、手作業ではやはり限界があるので……」
どうにかそれっぽい言い回しを流暢に言って見せる。しかし内心は疑問でいっぱいだった。
(何故急に俺にそんな提案をしたんだ? 向こうは人手不足でもないだろうに)
俺の内面を見透かしたように、副所長は手に持っていたファイルを差し出した。入っていた書類に目を通す。
その途端、心の臓が大きく躍動し、目の前が一瞬だけ大きく歪んだ。
「バレンタインを機に弓矢自動製造機の導入が決まったんだ。試運転で一定の成果が認められ次第、ここへ運ばれる流れとなっている。君は製造と検品を一人で背負っていたが、次からは検品だけで済むぞ」
報告が遅れて申し訳ない。そんな彼の声が遥か遠くで聞こえた。俺はそうですかと返答し、購入にかかった金額を、酷く掠れた声で読み上げた(俺がこれまで数十年、事務所で勤めて稼いだ年収を遥かに超える金額だった)。
「そう。品質を保証しつつ、一番安いものを選んだのだが、それでもこの値段になってしまったんだ。しかしこれで君の負担が減ると思うと安いものだと、所長は仰っていたよ」
そして彼はこちらへ来るよう呼んだ。俺は足をもつれさせないように部屋を出る。誰もいない広間を横切りながら、心の中で叫ばずにはいられなかった。
(実質解雇通知じゃないか!!!!!!)
十分後、俺は副所長のお達で、一人夜空を飛んでいた。手元には新品の弓と矢。眼下には大都会の夜景が広がり、建物の隙間を縫うように多くの人が歩いている。横幅に広げられた遊歩道と車道が絶妙な位置で置かれ、ビル群の明かりがネオンのように灯っていた。
(人間のデザインセンスには、いつも驚かされるばかりだ)
やがて一際大きな公園が目に止まる。周囲を樹木で囲われた島が、大都会の街と橋で繋がっているもので、若い男女に限らず多くの老若男女が楽しげに歩き回っていた。
「ここがいいだろう」
俺は辺りを見回しながら、背中の翼をぎこちなく動かし降下する。キューピッドの状態では人間に認識されることはない。弓矢を打っても決してバレないのだ。よって結ばれた人間達はまるで運命の出会いや一目惚れと誤認する訳である……。
「いい感じの男女、いないかな……」
下から照らされたライトアップと水路が幻想的で美しい。仕事でなければゆっくりと見てまわりたいものだ。奥のカフェの誘惑に耐えながら、ターゲットを探し続ける。
行き交う人々の間の中には、赤い糸で結ばれた者達もいる。その場合は彼らが既に恋人同士であるか、血の繋がった人間同士であることを意味するのだ。
やがていい感じの二人が目に止まる。歳が近い男女だ。共に若く、仲良しそうに歩いている。弓矢を使わずともカップルになりそうな雰囲気である。
(俺が背中を押してやろう)
矢をつがえた途端に腕が震え出す。案の定緊張で狙いが定まらない。長く呼吸を繰り返し、彼らを凝視する。額から流れる汗をなんとか振り払い、矢を放った。
まず男の方へ直撃。彼は足を止めて静止し、周囲へ首を巡らせる。女も彼の横で立ち止まり、どうしたのと声をかけている。たまらず心の中でガッツポーズする。
「次だ」
弓をつがえる。腕を伸ばし、弓を引く。目標は止まっている。今が絶好の機会だ。
大きく息を吐いて止め、放つ。愛の矢が回転しながら飛んでいく。
間違いなく女に当たる……はずだった。彼女が急に伏せる。矢が上を通過し……奥の老婆へ直撃した。
「なっ」
老婆と男が目を合わせる。男はポカンと口を開け、老婆は逆に手でそっと口元を隠す。
双方は頬を紅潮させ、やがて目を逸らした。実際は短くも、「永い」時間が二人の間に流れていた。女が靴紐を結び終えて立ち上がる。
「どうしたの。顔が赤いよ」
男は彼女の声で我に返り、何でもないよと笑い返した。そして二人は再び歩き出し、公園を去っていく。俺はというと、ただただ浮遊したまま一部始終を見届けた。
「マジかよ」
気づくと俺は地上で倒れていた。服が汚れるのも構わず、その場でのたうち回った。
「嘘だろ嘘だろ嘘だろおおおおおっっっっっっっ!!!!」
俺は、とんでもない年の差カップルを爆誕させてしまったみたいだった。
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