第6話 一件落着

意識が途切れる瞬間、

誰かの声が確かに耳に届いた気がした。

けれど、その意味を考える余裕もなく、

暗闇が俺の視界の全てを包み込んでいく。



――次に目を開けたとき、

視界には白い天井があった。

ぼやけた輪郭が少しずつ形を持っていき、

蛍光灯の光がやけに眩しく感じる。

「......起きた?」

その声に視線を向けると、

すぐ隣の椅子に座っている七瀬さんの姿があった。

(.....ずっとここにいてくれたのか?)

「...ここ、保健室...」

「うん。取り敢えず保健室にって」

「俺、どれくらい眠ってました?」

「二時間...くらい?」

(そんな眠ってたのか...)

え、気絶するとこんなもんなの?

分かんないよ...俺気絶初心者だから。

有識者の方(?)ベストアンサーお願いします。

(...いや、違う違う!)

「...ぁ、あ、あの...」

(...上手く喋れねぇ)

口を開くと喉が乾いていて、言葉が掠れる。

七瀬さんは黙って水を差し出してくれた。

受け取って一口含むと、冷たさが喉を通っていく。

身体の奥にまで染み渡るその感覚が、

ぼんやりしていた頭を少しだけ覚ましてくれる。

(キンキンに冷えてやがる...!)

「...ありがとうございます」

「ううん、あんなの放っておけないよ」

そう言いながら、七瀬さんは少し視線を逸らした。

いつもの明るい表情からは想像がつかない...

少し苦い顔だった。

(七瀬さんがいてくれて助かった...)

あのまま続いていれば、

俺はあの場で倒れたままだったかもしれない。

...ふと机の上を見ると、

彼女のスマホが置かれている。

「さっきの動画…ちゃんと持ってるよ

必要なら渡すし、誰かに見せる準備もしてある」

「...助かります」

(これで、甘凪には何もできないはずだ...)

俺が保健室に運ばれたときに、

七瀬が事情も説明してくれただろうし、

しっかりとした証拠もある。

「甘凪には、このこと...」

「言ってない。言うつもりもない」

七瀬さんの返答は早かった。

「余計な心配...させたくないんじゃないかなって」

その一言が、妙に胸に沁みた。

(優しい人だな...)

保健室の窓から差し込む夕陽が、

カーテン越しに柔らかく揺れている。

外の空気はまだ少し熱を帯びていて、

日常の匂いがほんの少しだけ安心感をくれる。

「...本当に、ありがとうございます」

「...あんまり無茶しないでね」

七瀬さんは心底不安といった表情で、

俺にそんなことを呟いていた。

その声には、注意と心配が混ざっていて、

言葉以上に重みがあった。

「と、というか...甘凪...!」

(忘れてた...!一緒に帰る約束が...)

「帰ってもらったよ...もちろん事情は濁してね」

「そ、そうですか...ありがとうございます」

短く息を吐く。

安心したのと同時に、

胸の奥にほんの少しの罪悪感も芽生える。

(何から何まで申し訳ない...)

そんな俺を見て、七瀬さんはふっと笑った。

「...如月くん、ひーちゃんのこと好き過ぎか?」

「へっ...?」

一瞬の沈黙。

保健室の壁掛け時計の針が、

規則正しく時を刻む音がやけに耳に残る。

「そ、そそ、そんなこと...」

「動揺しすぎでしょ〜」

先程までの真剣な表情とは変わり、

ニヤニヤとした表情になっていた。

「まぁ...そういうことにしといてあげるよ」

そう言って七瀬はさんは再び笑った。

その笑顔は、少し子供っぽく、眩しかった...

「そういえばさ」

七瀬が、少しだけ身を乗り出してきた。

「私のこと、七瀬さんじゃなくていいよ」

「え?」

「七瀬でいい。敬語も、いらない」

「でも、それは...」

「あ、結衣でもいいよ?」

「そういうことじゃないですぅ...」

(俺で遊ばないでぇ...)

俺には分かる...これは敢えてやっていると...!

(でも...色々助かったしなぁ...)

「...わ、わかった。じゃあ、七瀬」

名前を呼んだ瞬間、

彼女の口元がわずかに緩んだ気がした。

「そうそう、その方が自然」

窓の外、夕陽はますます傾き、

保健室の中はオレンジ色に染まっていく。

「じゃあ蒼真、よろしくね」

(さりげなく名前呼び...)

「えへ、なんか変な顔してる?」

「いや、そうじゃなくて...」

俺の頬が少し熱くなるのを感じる。

七瀬はそんなことお構いなしに、

くすくすと笑いながらこちらを見ていた。

「...保健室って意外と静かだよねぇ〜」

「うん...こんなに静かなの、久しぶりかも」

「...というか、ひーちゃん説得するの

めっちゃ大変だったんだよ?愛されてんね〜」

「それ聞いても恥ずいだけだから!」

「照れてる?可愛いねぇ〜」

俺たちは言葉を交わしながら、

保健室で少しずつ心を落ち着けていく。

(はぁ...一件落着かな)

静かだけど温かい時間が流れていた。

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