第5話 提灯小僧とソロキャンパー
ねえ、知ってる?
キャンプ好きのあいだでは、けっこう有名な話なんだけどさ。
山の奥でひとりでキャンプしてると、たまに現れるらしいよ。
夜、焚き火の向こうに知らない子どもが立ってるの。
顔はよく見えないけど、古びた提灯を持ってて、静かにこう言うんだって。
「……さみしいの?」
うなずくと、その子は少しだけ笑う。
そんで、一人の時間が、なくなっちゃうんだってさ。
でも不思議なことに、その子が現れた夜は、危ないことが起きないんだ。
焚き火が風で倒れそうになっても、自然に手が伸びるし、動物の気配がしても、なぜか遠ざかるんだって。
*
ユズキは、会社と人付き合いに疲れていた。
誰にも会わず、スマホを見ず、誰にも気を遣わずに過ごせる時間。
そんな“ひとりの時間”を求めて始めたのが、ソロキャンプだった。
朝に淹れるコーヒーの香り。
夜に食べるインスタントラーメンの湯気。
何も話さなくていい、ただ焚き火の音だけが響く時間。
それが、彼女にとっての至福だった。
その夜も、いつものようにテントを張り、焚き火を囲んでいた。
ただ、その夜は少し違った。火を拾いに少し森へ入った帰り道、ふいに獣の気配を感じた。
熊かもしれない。そう思った瞬間、草むらがガサリと動き、心臓が跳ねた。
咄嗟に身をかがめると、奥に灯りが揺れていた。
提灯の光。
それがスッと動き出し、道なき道を先導するように揺れながら進んでいく。
怖かった。でも、あの灯りなら——そう思えた。
気づけば、提灯のあとを夢中で追いかけていた。
そしていつのまにか、元のキャンプ地に戻っていた。
焚き火は無事だった。熊も現れなかった。
ふと、背後の気配に気づく。
振り返ると、焚き火の向こうに、小さな子どもが立っていた。
提灯の灯りに照らされて、その輪郭だけが浮かんで見える。
目が合ったような気がした。ほんの一瞬だけ、口元が緩んだ気がした。
古びた提灯を提げ、無言でこちらを見ている。
「……さみしいの?」
その声が風に溶けた瞬間、ユズキの中で何かが緩んだ。
うなずいていた。無意識に。
翌朝、目覚めると、置いてあったチキンラーメンが半分なくなっていた。
*
「“都市伝説、買います”って……ここ、噂で聞いたんです。語れば、あの夜のこと、記録に残せるって」
久遠の店のカウンターに、ユズキは座っていた。
提灯の灯りのような、淡い光が店内を照らしている。
「焚き火が倒れかけて、気づいたら避けてたんです。あの子がいたからってしか思えなくて……」
久遠は静かに帳面を開く。
「語ってもいいよ。“孤独と寄り添ってくれた怪異”は、記録される。代償は、“完全なひとりの時間”」
ユズキは少し笑った。
「いいですよ。それで、また会えたら嬉しいかもしれないし」
その日から、ユズキは“完全なひとりきり”にはなれなくなった。
森の静寂の中でも、気配のようなものがついてくる。
ひとりきりのキャンプは、不思議とできなくなった。
テントの外に、そっと揺れる灯りを想像してしまうから。
静かなカフェで本を読んでいても、ふと気配を感じるときがある。
誰もいない隣の椅子が、少しだけ軋んだような気がして、そっと目を逸らす。
*
ユズキは再び山へ行った。
チキンラーメンを、二つ持って。
焚き火の明かりに照らされるテントの外、そっと提灯が揺れていた気がした。
*
「孤独って、“一人でいられる”ってことじゃないんすよね」
チカゲがチキンラーメンをずるずるすすりながら言う。
「でも、たまにああいう灯りがあると、ありがたいっすね」
久遠が頷く。
「それが怪異でも、かまわない。……君がひとりでいることを守ってくれるなら」
「てか、俺もラーメン食いたくなったー!」
「あげないよー」
今日の怪異は、静かに記録された。
それは、寂しさの灯りだったのかもしれない。
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