1-3【物言わぬ証人】

 

 じっとりと水気を含んだ空気が沈黙を重くする。

 

 京極は少年の隣に同じように座り込んでただ呆然と骸を眺めていた。

 

 冷蔵庫のノイズも蛍光灯の点滅もない薄暗い部屋。

 

 それは疾うの昔に電力が打ち切られたことについての物言わぬ証人のようだった。

 

「まずは飯を食わねえとだなあ」

 

 そう独り言ちた男の方に、少年は僅かだけ目を動かした。

 

 無精髭と少し痩せた頬、肩まで伸びた癖のある黒髪。

 

 決して身綺麗とは言い難いその男は、少年の方には目もくれず独り言を続ける。

 

「それとお風呂だな。こんな現場の後は熱いシャワーに限る。スパに行ってきれいなお姉ちゃんにマッサージでもしてもらえれば言うことなしなんだがねえ」

 

「スパ……」

 

 少年の消え入るような声が聞こえて、京極はやっと視線をそちらに向けた。

 

「スパを知らないのかい? でっかいお風呂が何種類もあるんだ」

 

 両手を広げて湯船の大きさを表現する男を見ながら、少年は小さく「スパ……」と繰り返した。

 

 不憫な子どもだ……と、京極は遣る瀬無さを含んだ優しい目で少年を見つめ、気が付くと頭に手を置いていた。

 

「いつか行くといいよ。その頃にはきっと、お姉ちゃんのマッサージにも食い付くようになってるさ」

 

 少年がよくわからないと言った表情を浮かべていると、バタバタと足音がして数名の男が部屋に入ってきた。

 

 少年は再び視線を虚空に向けて固まってしまう。

 

 こうして気配を殺して生き延びてきたのだろう……

 

 京極は小さくため息をついてから、鑑識達の方を向いて口を開いた。

 

「検死の許可が下りたよ。それと生活課にも繋いでくれ。おそらく虐待だ」

 

「了解しました」

 

 男たちは証拠になりそうなものを丁寧に回収し終えると、遺体の移動に取り掛かった。

 

 ところが遺体はまるで何かに縫い付けられたように固まっていて、地面から剥がれない。

 

「なんだこれ……? どうなってんだ……?」

 

 鑑識達が戸惑いの声を上げたので、京極もそちらに向かい遺体を覗き込んだ。

 

「どうしたんだい?」

 

「いえ……遺体が動かないんです……見えない糸で縫い付けられたみたいに」

 

「……さっき神父が言ってたのはこういうことか……どれ……」

 

 京極が手を伸ばしたその時だった。

 

「うおっ……⁉」

 

 突然遺体から力が抜けた。

 

 まるで糸が切れた様に、反り返った体が地面に崩れ落ちる。

 

 その場にいた全員が言葉を失い、床に崩れ落ちた遺体を見つめていた。

 

 どくどくと鼓動が早くなり、それとは無関係のはずの遺体からも、どくどくと体液が滲みだす。

 

 我に返った京極は、鑑識達に向かって口を開いた。

 

「理由はわからないが……これで動くだろう。床がダメになる前に運んでくれ」

 

 こうして男達は亡骸を真っすぐにして死体袋に入れた。

 

 死体袋のジッパーが閉じる不快な音は、まるで男の断末魔を代弁しているかのようだった。

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